大井神社(おおいじんじゃ)。通称:太郎明神、一の宮明神。
場所:茨城県笠間市大渕1652。国道50号線から茨城県道61号線(日立笠間線)に入り、北~北西へ約1.2km進み、左折(北へ)して涸沼川を渡る(山下橋)。田畑の先、正面の森が「大井神社」で、川を渡ったところから約300mで参道入口。その付近には駐車スペースはない。西へ約300m進むと、「大井神社入口」という案内板があり、そこから道なりに北へ進むと境内まで行けるが、境内への進入路が狭いので注意。
社伝によれば、初代・神武天皇の皇子・神八井耳命(カムヤイミミ)が皇弟(第2代・綏請天皇)に皇位を譲って東国に下り、当地に来たとき、「常陸那留大井乃水乃清介礼婆世母太平尓渡留浮橋」(常陸なる大井の水の清ければ世も太平に渡る浮橋)と詠じた。大同元年(806年)、平城天皇の勅宣により常陸国那珂郡大井村和体ヶ峯に社殿を造営し、「大井大明神」と称えた。「延喜式神名帳」登載の式内社と定められ、官幣使が派遣されたため、今も「宣命使台」という地名がある。中世には、大井の地を割いて金井、大淵の2村を置き福田、飯田、石寺、寺崎、日沢の5村を合わせた地域の総鎮守として「太郎明神」、また大井、箱田、石井、来栖の4村4社の一宮として「一の宮明神」(四所一宮)と称し、崇敬されたという。 現在の祭神は、神八井耳命。
ということで、当神社は常陸国式内社「大井神社」の論社であるが、現・笠間市は、古代には新治郡に属したとみられるところから、常陸国那賀郡鎮座というのに合致しないのが難点である。古代の郡境の問題は非常に難しいが、笠間市大渕というのは笠間市笠間の北隣(当神社は新治郡鎮座の式内社に比定される「佐志能神社」(笠間市)(2018年9月15日記事)のほぼ真北、約2km(直線距離)のところ)になることから、結構厳しい感じである。
因みに、当神社には鳥居がない。そこで、こんな昔ばなしがあるという。「大昔、常陸一宮「鹿島神宮」には鳥居がなかった。そこで、鹿島の神様は「大井神社」の大きな鳥居を貸してほしいと頼み、大井の神様も渋々これに応じた。鹿島の神様が鳥居を中々返してくれなかったので、大井の神様が度々催促したが、なしのつぶてで返してもらえず、今に至るまでそのままになっている。」(笠間市文化財愛護協会編「笠間市の昔ばなし」より)
茨城県神社庁のHPから(大井神社)
写真1:「大井神社」入口。鳥居はない。
写真2:社号標「延喜式内 大井神社」
写真3:御神木「親子杉」
写真4:杉木立の長い参道。いかにも神社の参道、という感じ。
写真5:「宣命殿」
写真6:拝殿。「延喜式内社 四所一宮 太郎明神」という額がかかっている。
写真7:本殿
場所:茨城県笠間市大渕1652。国道50号線から茨城県道61号線(日立笠間線)に入り、北~北西へ約1.2km進み、左折(北へ)して涸沼川を渡る(山下橋)。田畑の先、正面の森が「大井神社」で、川を渡ったところから約300mで参道入口。その付近には駐車スペースはない。西へ約300m進むと、「大井神社入口」という案内板があり、そこから道なりに北へ進むと境内まで行けるが、境内への進入路が狭いので注意。
社伝によれば、初代・神武天皇の皇子・神八井耳命(カムヤイミミ)が皇弟(第2代・綏請天皇)に皇位を譲って東国に下り、当地に来たとき、「常陸那留大井乃水乃清介礼婆世母太平尓渡留浮橋」(常陸なる大井の水の清ければ世も太平に渡る浮橋)と詠じた。大同元年(806年)、平城天皇の勅宣により常陸国那珂郡大井村和体ヶ峯に社殿を造営し、「大井大明神」と称えた。「延喜式神名帳」登載の式内社と定められ、官幣使が派遣されたため、今も「宣命使台」という地名がある。中世には、大井の地を割いて金井、大淵の2村を置き福田、飯田、石寺、寺崎、日沢の5村を合わせた地域の総鎮守として「太郎明神」、また大井、箱田、石井、来栖の4村4社の一宮として「一の宮明神」(四所一宮)と称し、崇敬されたという。 現在の祭神は、神八井耳命。
ということで、当神社は常陸国式内社「大井神社」の論社であるが、現・笠間市は、古代には新治郡に属したとみられるところから、常陸国那賀郡鎮座というのに合致しないのが難点である。古代の郡境の問題は非常に難しいが、笠間市大渕というのは笠間市笠間の北隣(当神社は新治郡鎮座の式内社に比定される「佐志能神社」(笠間市)(2018年9月15日記事)のほぼ真北、約2km(直線距離)のところ)になることから、結構厳しい感じである。
因みに、当神社には鳥居がない。そこで、こんな昔ばなしがあるという。「大昔、常陸一宮「鹿島神宮」には鳥居がなかった。そこで、鹿島の神様は「大井神社」の大きな鳥居を貸してほしいと頼み、大井の神様も渋々これに応じた。鹿島の神様が鳥居を中々返してくれなかったので、大井の神様が度々催促したが、なしのつぶてで返してもらえず、今に至るまでそのままになっている。」(笠間市文化財愛護協会編「笠間市の昔ばなし」より)
茨城県神社庁のHPから(大井神社)
写真1:「大井神社」入口。鳥居はない。
写真2:社号標「延喜式内 大井神社」
写真3:御神木「親子杉」
写真4:杉木立の長い参道。いかにも神社の参道、という感じ。
写真5:「宣命殿」
写真6:拝殿。「延喜式内社 四所一宮 太郎明神」という額がかかっている。
写真7:本殿
え、鳥居立ったのですか? それは、めでたい。
経緯がわかったら教えてください。
そういえば、鹿島神宮も東日本大震災で大鳥居が倒壊して、一時、無いときがありました。平成26年に再建されましたが、「やっぱり神社には鳥居がないとな~」とか思われたんじゃないでしょうか。
機会があったら、私も見に行きたいと思います。
流石の行動力ですね。
それにしても、大井神社に鳥居が無いというのは民話にもなるくらいだから、相当長い間無かったのでしょうね。
それが建てられたのだから、素晴らしいことだと思います。
そうですね。喜ばしいことですね。
では失礼します。
ありがとうございます。
岡田郡も旧・下総国の現・茨城県ですかね。
引続き、よろしくお願いいたします。