久能山東照宮(くのうさんとうしょうぐう)。祭神:徳川家康公(東照公)。
場所:静岡市駿河区根古谷390。駿河湾に面した国道150号線(通称:久能街道)沿い、コンビニ「ローソン久能山入口店」のある交差点を北へ入って正面。ただし、こちらには駐車場がなく、長くて急な石段を上ることになる。そこで、「日本平パークウェイ」で日本平山頂まで行き(無料駐車場あり)、そこからロープウェイ(運賃:一般往復1千円)に乗るのが便利。なお、当神社では拝観料(大人5百円)が必要。
「久能寺」(2011年2月8日記事参照)が武田信玄によって有度山東麓に遷された後、「久能山」は自然の要害として山城となっていたが、元和2年(1616年)に徳川家康公が駿府で死去すると、その遺言によって久能山山上に葬られた。翌年には、その神廟(写真5)の前に社殿(写真4)が完成し、「東照大権現」の神号が授与された。正保2年(1645年)には宮号も許されたため、「東照宮」と称するようになった。現社殿は創建当時のもので、江戸時代初期の「権現造」社殿の代表的建物として平成22年に国宝に指定された。なお、楼門を入ってすぐのところに五重塔があったが、明治の神仏分離により破却されてしまった(惜しいことをした。)。
家康公は死後も江戸の西方を守っているのだ、と考える説もあるが、本人の意識としては、やはり久能山が南に開けた駿河湾の向こうに観音浄土を見ていたのではないだろうか。表参道の石段を上りきったところから振り返ると、真下に青い海が広がっているのが見える。「久能寺」の山号は「補陀落山」であるが、徳川家康公の遺骸が改葬されたという「日光東照宮」の「日光」は「二荒(ふたら)」を音読みにした「にこう」が元で、これも補陀落=ポータラカが語源だという。
久能山東照宮のHP
写真1:「久能山東照宮」表参道鳥居。石段は1159段ある(上るのは「いちいちごくろー」さんだ、とか。)
写真2:楼門
写真3:五重塔跡
写真4:きらびやかな社殿
写真5:神廟
場所:静岡市駿河区根古谷390。駿河湾に面した国道150号線(通称:久能街道)沿い、コンビニ「ローソン久能山入口店」のある交差点を北へ入って正面。ただし、こちらには駐車場がなく、長くて急な石段を上ることになる。そこで、「日本平パークウェイ」で日本平山頂まで行き(無料駐車場あり)、そこからロープウェイ(運賃:一般往復1千円)に乗るのが便利。なお、当神社では拝観料(大人5百円)が必要。
「久能寺」(2011年2月8日記事参照)が武田信玄によって有度山東麓に遷された後、「久能山」は自然の要害として山城となっていたが、元和2年(1616年)に徳川家康公が駿府で死去すると、その遺言によって久能山山上に葬られた。翌年には、その神廟(写真5)の前に社殿(写真4)が完成し、「東照大権現」の神号が授与された。正保2年(1645年)には宮号も許されたため、「東照宮」と称するようになった。現社殿は創建当時のもので、江戸時代初期の「権現造」社殿の代表的建物として平成22年に国宝に指定された。なお、楼門を入ってすぐのところに五重塔があったが、明治の神仏分離により破却されてしまった(惜しいことをした。)。
家康公は死後も江戸の西方を守っているのだ、と考える説もあるが、本人の意識としては、やはり久能山が南に開けた駿河湾の向こうに観音浄土を見ていたのではないだろうか。表参道の石段を上りきったところから振り返ると、真下に青い海が広がっているのが見える。「久能寺」の山号は「補陀落山」であるが、徳川家康公の遺骸が改葬されたという「日光東照宮」の「日光」は「二荒(ふたら)」を音読みにした「にこう」が元で、これも補陀落=ポータラカが語源だという。
久能山東照宮のHP
写真1:「久能山東照宮」表参道鳥居。石段は1159段ある(上るのは「いちいちごくろー」さんだ、とか。)
写真2:楼門
写真3:五重塔跡
写真4:きらびやかな社殿
写真5:神廟