その時、男は急いでいた。スキャンする僕のスピードが気に入らない様子で、威圧的な言葉で急かしてきた。僕は心を動かさないように努めた。スキャンする動作はむしろ遅くなった。男は更に怒った様子で、荒っぽい言葉の矢を放ってきた。それで僕の動作は更に鈍くなってしまった。
「少々お待ちください」
「さっさとしないか!」
「少々お待ちください」
「お前なめてんのか!」
「少々お待ちください」
僕はマニュアルのように繰り返した。
「こいつ!」
大男の腕が伸びて僕の肩を強く押した。
僕は緊急ボタンを押した。1番レジが止まった。後に並ぶ客は隣のレジへと流れた。警備会社につながりすぐに警官が3人寄ってきた。どうした、どうした。バックヤードに入り映像が再生されると大男の手が伸びて店員の肩を突いている。あるとすると暴行罪だ。被害届を出すか出さないかさあどうするね。話はややこしくだんだんとどうでもよくなっていく。迷子の犬を保護して交番に行ってあれやこれや書かされて時間がかかった過去の記憶がよみがえってくる。あの男さえどこかへいなくなってしまえばいいんだけれど……。警官の前で大男はすっかり大人しくなった様子だ。他のスタッフに負担をかけてしまうことも気になる。
「もういいです」
それではお疲れさまと警官たちは帰って行った。これで平和で多忙な時間が戻ってくる。そのはずだった。
大男はまだレジ前に残っていた。
「おい、お前!」
何も反省などしていない様子だ。
「警察呼んで済むと思ったら大間違いだ!」
警官が帰り状況は元に戻っただけだった。
「どうなってんだ、お前の態度は!」
男は店員としての態度をたずねている。反省すべきなのは、どうも僕の方らしかった。
「はあ……」
他にすることもなく僕は謝罪の言葉を並べて時がすぎることを願った。
「心から謝っていないな!」
見透かしたように熊は言った。確かに心はもうそこにはなかった。ただ死んだ振りを作る肉体をその場に置いていただけだった。熊は死人に鞭を上げるように勢いづいている。
「何だその目は。どこを見ているんだ?」
熊が何かを熱心にたずねている。
僕は折句の扉を開けて新しい世界で自分の言葉を追いかけていた。その扉を開く鍵は自分のポケットの中にだけある。僕はいつでも好きな時にそれを使うことができるのだ。言葉のわからない相手と向き合っているなら、心は体から切り離してしまえばいい。恐怖や退屈に対しながらも自分を保つために、折句は大きな武器であり宝物だった。
「何だこいつ」
あきれる熊の前で、僕は指を折りながら歌っていた。
疎ましい
他人野郎の
意地悪の
標的になる
「友よ頑張れ」
折句「うたいびと」