眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

春の折句

2022-02-24 03:39:00 | 短歌/折句/あいうえお作文
おじいさん人参引いて食べんさい
いいや今夜はじゃこの天ぷら

(折句「鬼退治」短歌)

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遅読の棋士(未来角) 

2022-02-24 03:11:00 | 将棋の時間
「この手は?」
「30分です」
 自分の手番になってから30分が経過したらしい。驚くべきことに私はまだ具体的な読みを構築できずにいた。

(いつも何手くらい読まれるのですか?)
 相手が素人なのをいいことに私はよくうそをついた。(そうですね。縦横斜め合わせて100手から200手の時が多いでしょうか)正直に話して相手の残念そうな顔を見るのは嫌だった。
 実際の私は3手の読みにさえ苦労することが多々ある。読みの速い人というのは現在地を知ることが速い。予期せぬ局面に遭遇した時でも、経験か才能か瞬時に自分の立ち位置を見極めることができる。だから、すぐにでも前傾姿勢をとることができる。
 私は座布団の位置を正確につかむことにも苦労する。「読む」という動作に入る前に、自分の姿勢を定める時間が必要だった。

 指すということは触れたものを最後に放すことだ。一度手が離れたものを取り消すことはできない。「待った」ができないことが一手の意味を重くしている。取り戻せない一手に比べれば体は自由に動き直すことが可能だ。足を崩し、脇息にもたれかかり、天を仰ぎ、席を離れ、扉を開け、廊下を歩き、両手を広げ、深呼吸をし、席に戻り、グラスにお茶を注ぎ、盤面から目を逸らし、窓の外、庭を見れば、鳥が観戦に訪れている。触れて離れ、立って戻る。棋士も鳥も、大きな目で見ればその営みはそれほど変わりがない。ここはどこだ? 局面の本質はまだ見えてこない。座布団の厚みに少し違和感を感じる。お茶を一口含むと私は再び席を離れた。

 席に戻りしばらくすると部屋の中を虫が飛び始めた。どこから入ってきたのか。あるいは、私と一緒にやってきたのかもしれない。一度気になり始めると読みの入り口にも立つことができない。思わぬとこからも本筋を妨げる存在は出現するものである。
 私は端の歩を眺め、顔を上げた瞬間、対戦相手の様子を見た。男は前傾姿勢となり微かに縦に揺れながら読み耽っていた。まるで自分の手番のようだ。強い棋士は相手の持ち時間も自分の時間のように使うことができる。相手の手番に眠っているようでは、真の棋士とは呼べないのである。局面に没入しているがために、虫の存在などまるで目に入っていない様子だ。次元の違いに私は恐れを抱いた。

「この手は?」
「……分です」
 答えは聞かなくてもだいたいわかる。対局が確かに進行中だということを時に実感する必要があるのだ。
 昼メシはカツ丼だったな。夕食はどうするか。形勢を考えるとゆっくり味を楽しむというわけにはいかない。切迫した状況では、楽しみは保留しなければならない。歩が衝突したまま焦点がぼやけている。銀が要の金にかかっている。竜が眠っている。馬が暴れている。と金が光っている。局面は終盤の入り口から出口に向かっているに違いない。
 切羽詰まった状況で読むべきことは無数にあるはずなのに、私はまだふわふわと浮いているようだった。(遠足の計画を練っているように)それは実際に歩み始めるよりもわくわくするのだ。「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」難しい課題の中で欲望が輝き始めている。願いは叶うとは限らない。しかし、空想の中にある間は、限りなく自由で無敵だ。未来の風景が少しでも見え始めた時、長い停滞さえもが愛おしく感じられる。読みとは「楽しみ」を創造することなのだ。私は正座に直り、ついに前傾姿勢に入った。

「この手は?」
「2時間15分です」
 読みに耽ると時間は高速で流れて行くものだ。
(その間、私という存在は消え、私は棋士になる)
 さまよった末にいつもたどり着くここが、どうやら私の現在地のようだ。私の読みは遅い。何よりも読み始めるのが遅いからだ。

「残りは?」
「40分です」
 20手先で私は読みを打ち切った。
 そこが最も明るく見える場所だった。
 その先の手は……。
 行けると思った時に、行けるところまで。その先々で乗り継いで行けばいい。

 私は祈りを込めて読みの浅い角を打ち放った。
(未来に生きますように)

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