びしびしと空打ちを二度、三度入れて、敵陣に飛車を打ち下ろす。
「空打ちってどんな風?」
「そうだな。ゴミ箱に遠くから勢いつけて投げ入れる感じかな」
それは全く無駄な力かもしれない。体力と時間の無駄かもしれない。普通にすれば間違いがないのに、勢い余って外してしまうかもしれない。だけど、人はそれをやりたがるものだ。それは遊びだ。あるいは様式、美学だ。勢いつけてドボン♪と風呂に飛び込んだり。猫だって同じだ。ボールに食らいつく前に、じりじりと後退りして楽しんでいるのだ。
「特に意味がない奴?」
「まあそうだね」
意味か無意味かで生き物は動かない。それは心だ。
心が躍り、駒は飛んで行くのだ。
・
「お前が先手だ!」
僕は中央の歩を突いて中飛車と決めた。すると相手は飛車先を突いてきた。居飛車だ。僕は中央の位を取った。相手が銀を繰り出してきたので、それに銀を合わせ対抗した。相手は角道を止めて手厚く指してきた。僕は右の銀も繰り出して中央に二枚銀を並べた。銀という駒は横に並べたり縦に並べたりするのが好形と聞いた。
駒組みが続き、僕は左の金を囲いにつけて金を縦に並べた。金という駒は縦や横に並べると強いと聞いた。相手は歩の頭に角をのぞき揺さぶりをかけてきた。僕は穴熊に組み替えた。疎ましい角に対して、歩を突いて追い返した。すると相手は端に角を逃げた。元の場所に戻ると思ったので意表を突かれた。勢い僕は端を攻めた。角頭は弱点とは言え、穴熊の端はもっと弱点かもしれない。そこは諸刃の剣だ。だけど、ロマンがある。ロマンはあるけど一貫性がない。一貫性はないけど気合いがある。棋理としては間違っているかもしれないが、筋は通っている。結局のところいいのかわるいのか。「少しわるくても楽しいからいいか」将棋は楽しく指した方がよいという話もある。「えいっ!」という気合いも3分切れ負けでは大切だ。相手が怯んで間違えるかも。
端に香が走った手に対し、相手は桂を跳ねてきた。ちょうど一段飛車になっていたため、居飛車の飛車が遠く端まで通ってきた。(狙っていたか?)僕はふらふらと角を取った。(角頭を歩で押さえて封じるのが最善だった)同香が王手!となり穴熊玉を逃げ出した。すると相手は地下鉄飛車に転回してきた。
「ちくしょー。いつの間に乗車券を?」
受けてもロケット香があるし桂が跳んでくるので、端を明け渡し更に玉を逃げ出した。すると相手は香車を成り込み桂を取ると飛車を成り込んできた。角を取るために自陣を破られて竜を作られるようでは、割に合わない。更に不満なのは角を筆頭に振り飛車の左辺が働いていないことだ。元々が左辺での戦いに備えての駒組みなので、突然右辺で大決戦になってしまうと取り残されてしまうのだ。目先の利にとらわれて全体の駒の働きが疎かになってはならないという好例だろうか。
僕は一段飛車で成香を回収すると金を寄せて竜に当てた。相手も飛車には弱い陣形だ。竜が逃げた手にもう1枚の金を押し上げて圧を加える。そして竜を自陣にまで追い返した。「まさか追い返せるとは」それは夢のような展開に思えた。
僕は垂れ歩を打って敵陣の竜に圧をかけた。すると相手は香を打ってきた。僕は中段に香を打ち対抗した。すると相手は自陣に桂を打って端の歩を取りにきた。なんともう一度端の突破を狙っているではないか。僕は飛車を寄って勢力を増強した。相手はかまわず桂を跳ねてきた。金取りだ。僕は勢い香で桂を取り返した。(痛恨の一手)冷静に金を寄ってかわしておけば、相手の端攻めは渋滞しておりさばけなかった。飛車取りに香を走られた時、数では受かるはずなのに歩切れのために端の突破を阻止することが困難になっていた。結果、二枚成香によって自陣の金をはがされ、気づくと裸の王様になっていた。逃げて逃げて玉は左の端まで追い立てられた。大脱走の果てに受けを誤り寄り形となり、最後は時間切れ負けとなってしまった。
将棋は勢いも大事だ。
しかし、勢い余って自滅することもあるので注意されたい。
~含みにする手
あなたは「食べたい物から食べる」人だろうか。それについては、僕はいつも迷ってしまう。先に食べるか後で食べると決めていればいいが、決めてないから迷ってしまうのだ。実際、そういう人も多いのではないか。別に決めることもないのだ。今日は食べたい物から食べるけれど、明日は違ってもいい。食べたい物を先に食べると、うっかり食べ損ねるという心配がない。世界が終わってしまうかもしれないから、早く食べるに越したことはないと主張する人もいるが、世界が終わるなら別にどっちでもいいような気もする。食べてしまった物はなくなってしまうが、食べずに置いておけば、楽しみにする時間を長くする気がする。将棋には味消しという言葉や、楽しみにするという用語もあって、何でもかんでもすぐに手を出すのはどうもよくないようなのだ。
「思いついた手はすぐに指してしまう」
突かれた歩はすぐ取ってしまう。
近づいた大駒はすぐ追ってしまう。
追われた駒はすぐ逃げてしまう。
狙い筋はすぐ決行してしまう。
ついつい手拍子のように、あるいはボールウォッチャーのように、視点がその場その場の動くものに固定されてしまう。
将棋にはあえて触れない、置いておく、含みにする、宙ぶらりんにしておく方がよい局面というのが多々あるようだ。
相手に指させて、タイミングをはかって動く。相手の指し手を逆用したり、無駄な一手を指させるようにするのだ。
(例えば起点/脅威となる大駒を長く置いておく。相手が脅威を除くためにプレスした瞬間に飛び込む。プレスを待って飛び込むことで、追う一手を無駄手にする。代わりに有効な一手を指せる)
将棋の駒は当たっている瞬間が最も働いているという。その瞬間だけにかかる技もある。
~逃げないさばき
振り飛車とは、大駒を巡る戦いではないだろうか。大駒はエースだから、相手も警戒してプレッシャーをかけてくる。それをただ怖いと感じるところから、楽しむところまで進むことが振り飛車党としての成長ではないだろうか。
追われるまま、攻められるまま、逃げたり隠れたりするばかりでは押さえ込まれてしまうだろう。最も警戒するべきなのは、取られてしまうことではなく、完全に働きを封じられてしまうことの方だ。相手のプレッシャーに対し、かわし、切り返し、さばいてみせる。そこに振り飛車のロマンがある。