「寿司にしてやろうか」
そう言う時の父は何ともうれしげだった。
親戚から魚が届くと父は張り切って寿司を作った。
自分で魚を釣って帰ると父は迷わず寿司を作った。
父のハットには秘密があって、どんな時でもハットを脱いでさっと裏返すと不思議なことにそれはすぐに釜になって、そこにはシャリが用意されているようだった。その原理を父は誰にも説明しようとしなかったが、少し甘みの強いシャリは絶品だったのだ。
小さかった僕が転んで帰って来た時、虫に刺されて帰って来た時、先生に殴られて帰って来た時、父はいつでもこう言った。
「寿司にしてやろうか」
どんな痛みもネタに変えられるのだということを、僕は父の腕から学ぶことができた。
シャリには随分とうるさくなったものだが、父と同じような寿司の道を志すことはなかった。ハットを被ることに抵抗が強かったのだ。