「あなたの駒が猫たちによって使用されました」
お知らせが届いたのでどんな様子か見物に行く。
使われているのは飛車だった。飛車の上に乗って猫たちが所狭しと相撲を取っていた。あえてすべての駒を使うことはない。それが猫的な感覚なのだろう。(なるほど。こういう使い方もあったものだ)
白熱のぶつかり合い。夏を吹き飛ばそうかという気合いが大駒の上に満ち満ちていた。
ギャラリーを共有するということは、遊びであり、学びであり、発見だった。
黒猫は駒の尖った方に追われ窮地に陥っている。しかし、彼がうっちゃりの大逆転を狙っていることはその髭の伸びから明らかだった。
「ありがとう」
(使われて生きる)
そんな喜びに浸りながら、私は猫たちの終わりのない勝負を眺めていた。