日除けのシェードが下りている隙間5センチからのぞき見る。硝子、道、通行人、太陽の光、パチンコの光。一瞬だが神の視点を持ったような気がする。向こうはきっと別世界で、もはや交わることはかなわない。そのような錯覚が起きる。少し暑い。エアコンが利いていないことが妙に新鮮に思える。快適さを急ぎ求める世界が疎ましい。「暑いな」と言って冷たいものでも飲めばいいではないか。(あんまり快適だと話にならないよ) 暑いな、狭いな、眠いな、だるいな……。そうして感じながら生きていくのがいいのではないか。
冷たい飲み物は氷がとけ切る前に飲みたいものだ。記憶は熱い内に振り返った方がよい。できるだけ間を置かないように、振り返る。それが感想戦というものだ。
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76歩 34歩 68飛車 32銀!?
弾丸ウォーズでは、たまにこのようなうっかりミスに遭遇する。(0秒台で指してくる相手に多い)その時、あなたはどうするだろう? 間髪入れずに22角成と角を美味しくいただくか。それともまずは落ち着いてお茶を飲むか。明らかな操作ミスと見て取れる場合、それに乗じて勝勢を手にするのは気が引ける。例えば歩の頭に飛車が急停止してきた時など。(一路操作を誤ったのは明白だ)そんな時、僕はあえてそこを無視して端歩を突くことがある。言ってみればパスをするのだ。だが、パスが成立しない局面もある。そうすると自分が大損害を被る時などである。また、操作ミスとうっかりとは別のものだ。僕は操作ミスで停止した飛車を歩で取ることには、少し抵抗がある。では、32銀の時はどうしているかというと、間髪入れずに22角成と角を取る。
角を角で取ることの自然さに勝手に指が動いてしまう。(勿論それを取り返せないのは酷い)いきなり角得しては勝負ありだ。32銀は手拍子の大悪手。では、それに対する当然の一手22角成は好手なのか? ひねった見方をすれば、これもまた大悪手と言える。局面のバランスを一気に崩してしまうからだ。そのような将棋を誰が観たいと望むだろうか? (対局者自身はどうだろう?)確かにレーティングを稼ぐだけなら話は別だ。だが、ウォーズの棋士は、駒の損得や点数だけを気にかけて戦っているのだろうか。好敵手よりも昨日の自分よりも強くなりたいと思いながら、日々熱い棋譜を生み続けているのではないか。現代将棋は、バランスの時代である。相手のミスに誘われてバランスを崩しては、上達は望めない。
興味深いのは22角成と早々に角損した時の相手の態度である。これはだいたい3つのタイプに分けられる。即投了するのが第1のタイプ。逆転の可能性はほぼないので当然とも言える。平気な様子で指し続けるのが第2のタイプ。弾丸ウォーズは駒損くらいで終わらないのでこれも自然。動揺をみせないことで逆に相手が動揺するのもよくあること。だが、数手指してみて局面の深刻さを悟り、やや時間差で投了する。実に人間らしい。第3のタイプは徹底抗戦、詰むまで絶対に投げない棋士だ。(投了を知らない)マシンの如く最後の最後まで戦い抜くのだ。相手もうっかりミスをしないとは限らない。このタイプはなかなか厄介ではある。
さて、角得を果たした方は、局面をどう動かしていくべきだろう? (その考え方は?)将棋というゲームは、厳しい局面ほどに手が狭くなる傾向がある。逆にかなりよくなった局面では、手が広く、自分の好きなように指せる。角得後の局面は、無数の進め方、勝ち方が許される。角得の後は、香得もおまけでついてくる。その後、玉を右に悠々と囲うのもよい。狂ったように端から攻め込むことも有力。まるで何事もなかったように、普通の駒組みを始めたとしても、相手が追い込まれていくのは明らかだ。奥の手としては、投了する手だ。22角成をみても投了しない相手に対して、逆に投了してしまうという意表の一手! これも全くありえない筋ではない。(相手は酔っぱらいではないか?)というのが根拠となる読み筋で、上達を強く望むならばもっと手強い相手とすぐに指し始めるべきなのだ。
目的は何か? ただ勝つことなのか?
「だったらじゃんけんでもよくない?」
先生が昔言っていた言葉を思い出す。
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左角の席は既に取られている。逆サイドのコーナーをみつけて安堵する。番号札を四角いテーブルの角に置く。手前のスペースはやってくるコーヒーのためだ。
角はどこでも人気だ。オセロでも、マンションでも、電車でも、カフェでも、将棋でも、ほとんど例外がない。家の近所にあった廃れた食堂は最近になって突然、「かど屋」という店名に変えたようだ。ついに角で勝負をかけることを決断したのだ。店の硝子窓に大きなもじで「かど」と書かれている。その光景を目にした時、僕はその店が角に建っていたことに初めて気がついたのだった。角にはそれだけの価値がある。かどや食堂、かどやカフェ、かどやうどん、角屋書店、角銀行、かどやローソン、角劇場、角文具屋、角寿司……。今までどれだけの角、かどやに巡り会ってきたことだろう。
角に立つことは人間の防衛本能とも言える。例えばセンターに立った場合、四方八方から押し寄せてくる敵と戦うことは大変だ。一方、角に立てた場合は、そうした恐れは解消される。壁を背にして背水の陣から一人ずつ敵を片づけていけばいい。そうしてデュエルを制し続ければ、着実に勝利に近づいていくことが可能になる。数的不利の問題をポジション取りとデュエルによって解決するのだ。
現代フットボールにおける得点の鍵を握るのはセットプレーだ。とりわけ多くのチャンスを生み出しているのが、コーナーであることは言うまでもない。ファールを犯さずとも、ゴールラインを割ることによってコーナーキックの権利は獲得できるのだ。今現在、我々の代表チームでは、そのチャンスを十分に生かし切れていないのではないか。我々は長期的視点に立って、もっと強いキッカーを見出すべき時にきているのではないか。組織の運営、システムの構築、若い年代や指導者の育成を含め、我々全体が取り組むべき課題は多い。しかし、そこに踏み込むことをせずして我々の明るい未来はないであろう。確かなビジョンの元に着実に進歩を遂げる他国にどんどん置いて行かれることは間違いない。我々の目標は近所の公園よりも遠い場所に、より高い次元にあったはずだ。強豪国に勝利しただけで満足したり、一喜一憂しているようでは、我々の本当の夢は永遠にかなうことはないだろう。批判を恐れることなく叫ぶ声が聞こえてくる。そんな酒場が、ほらすぐそこの曲がり角にもみえているではないか。
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