ヴィンテー爺の与太話

街の見て歩きを投稿したのは昔の話、
今は日常の与太話をたまに投稿する、
子供の絵日記の様なブログです。

大津コミセン ヨコハマ再発見野毛散策-3

2015-10-28 13:24:45 | ガイド街歩き

10月28日(水)   <10月23日(金)の続き>

横須賀大津コミュニティセンター                                                 もっと知りたい!!「ヨコハマ再発見」~あなたの知らない横浜
開港場のもう一つの「山の手」といわれた野毛山と
神社仏閣が多く残されている金沢文庫・金沢八景を巡ります。
そこにはあなたの知らない横浜の歴史や文化がきっとあります!!

 

桜木町駅⇒ガス灯記念碑⇒神奈川奉行所跡⇒掃部山公園⇒横浜能楽堂⇒

伊勢山皇大神宮山⇒崎紫紅邸跡⇒横浜道⇒

野毛山公園(横浜の豪商たち・十全病院跡・ラジオ塔・佐久間象山碑・茶亭窟螂蟻・

野毛山浄水場とパーマーの碑・有島三兄弟の家跡)⇒天神山土採り場跡⇒長者橋⇒

長谷川伸生誕地⇒吉田勘兵衛邸跡⇒日ノ出町

野毛山公園に入って来ました

この辺りは横浜の名所三溪園で知られる原富三郎三渓の養祖父で生糸貿易で財を築いた豪商・原善三郎などの別荘・屋敷があり関東大震災で全て壊滅した土地を、横浜市が買取り1926(大15)年に野毛山公園として開園した

ラジオ塔

日本放送協会がラジオの聴衆契約者が百万人を超えた記念に1932~3(S7~8)年にかけて全国の著名な公園や広場に合計41箇所設置したそうです。

 

1876(M9)に仮名垣魯文なる人物が窟螻蟻(くつろぎ)亭と銘打った

茶亭兼新聞縦覧所を設けた場所です。

浜開港の先駆者佐久間象山の碑

 

野毛山浄水場

 

横浜水道の設計・工事を手がけ「近代水道の父」と云われる

ヘンリー・スペンサー・パーマーの胸像

 

公園の展望台から眺めた横浜の街(江戸時代は全部海だったとは思えません)

スマホで撮ったパノラマ写真です。

奥の白い建物の場所に有島三兄弟(作家有島武郎画家島生馬・作家里見)の

住んでいたそうです。

江戸時代の木材商初代吉田勘兵衛が土砂を採取して埋立てた旨書かれている

天神山土採り場跡は急坂の途中の民家の前にあります。

 

長者橋の脇に立つのは、近くで産声をあげた長谷川伸生誕地の碑

吉田勘兵衛周辺は長者町と云われ吉田町の町名共々いまも残っています。

秋の爽やかな空のもと楽しい16,000歩でした。

案内役の元鎌倉女子大学講師小澤明夫と大津CCの菊池さん他2名の方々

ありがとうございました、次回も宜しくお願いします。

コメント
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