我が家を出て西方向に歩く。

階段をどんどん上がる。

広町緑地へ、鎌倉山の入口から入る。

「おとーさん、おかーさん、ボクに付いて来てくださいね」

はいはい。
外周路を左回りに行こう。
まずは石切場方面へ。
まずは石切場方面へ。

ものすごい下り坂。

すると現れるのが石切場だ。

下がって正面から見ましょう。

もっと下から見上げましょう。

ここでどんな人たちが採石していたのでしょうね。
さらに下がる。
さらに下がる。

この下りは以前よりキレイになったな。
下りは基本的に抱っこのドガティ君。
下りは基本的に抱っこのドガティ君。

階段の下りって、ワンコの腰骨に悪いらしいからね。
下りたところは蛙池。小さな沼だ。
下りたところは蛙池。小さな沼だ。

ここからは平らな道になるよ。

寄り道ばかりのドガティ君。

これが楽しいんだそうです。
巨大なメタセコイヤが2本見えて来た。
巨大なメタセコイヤが2本見えて来た。

有名な大エノキもあるよ。

そしてメタセコイヤの下を通り抜ける。

太い幹。

我々が歩く道の横には流れがあるが、これがやがて相模灘に注ぐ。

広町緑地の西北端に沿う道を進む。

すると住所で言うと、鎌倉市腰越の住宅地が迫って来る。

その住宅地を歩く。

我が七里ガ浜住宅地と同様、西武グループの開発による昭和の住宅地だ。

第二次大戦中ユダヤ人を助けた「命のビザ」で知られ、今もイスラエル高官が鎌倉市内の墓を訪れる杉原千畝さんは、晩年をこのあたりで過ごされたらしい。今年もイスラエルの方たちが早くも鎌倉市へやって来られた。
広大な住宅地の中に、今回の目的である龍口明神社がある。
広大な住宅地の中に、今回の目的である龍口明神社がある。

見えて来た。

ここです。
これが第一の鳥居だ。
これが第一の鳥居だ。

ワンコも入れる神社である。

こちらに、この神社の歴史やここに遷宮された経緯が説明されている。

京都に慣れた関西人は、東京に来るとなんでも新しく見えるし、鎌倉ですら妙に新しく見える。
しかし大河ドラマの鎌倉殿の13人が鎌倉に集結する遥か何百年も前から、さらに平安京が成立する前から、この神社の元宮は立派に存在したのだ。その頃の鎌倉の中心部なんて、ほとんど何もなかったであろう。
しかし大河ドラマの鎌倉殿の13人が鎌倉に集結する遥か何百年も前から、さらに平安京が成立する前から、この神社の元宮は立派に存在したのだ。その頃の鎌倉の中心部なんて、ほとんど何もなかったであろう。
西暦552年にお社が建てられたらしい。場所は、有名な龍口寺のすぐ隣だ。下の画像で左が龍口明神社の元宮で、右が龍口寺だ。

【Google】
下の地図で言うと、龍口寺は左下、赤い四角で囲ったところにある。そのすぐ脇にある青い星印が龍口明神社の元宮がある場所だ。外見上、龍口明神社の元宮より、龍口寺の方がはるかに大きいのだが、龍口明神社の元宮の方がずっと早くに建立されている。なにせ552年だからね。鎌倉時代にはすでにすぐその目の前に刑場があり、捕えられた日蓮上人がその刑場で処刑されそうになる(最終的には処刑されずに済む)。その日蓮上人の御難を偲び建てられたのが龍口寺なので、つまりそれは鎌倉時代の話であり龍口寺の方があとに出来ているということになる。
ところが龍口明神社元宮の裏山が関東大震災で崩れ、元宮は全壊する。すぐに改修工事は行われたが、その後交通事情の悪化があり神輿も難しくなったので、ようやく1978年になって遷宮となる。移された先は下の地図で右上の赤い丸で囲んだところだ。それが今回私たちが訪れたところである。

ここからはさらに鎌倉史的に面白い話になる。
もともとこの龍口明神社の元宮があったところは津村だった。津村は後に腰越村と合併して腰越津村となり、その後鎌倉市に編入される。一方でこの神社元宮の周囲の土地は片瀬村(現在の藤沢市片瀬)に編入されてしまう。
それにもかかわらず、この神社元宮のある地区は津村として残された。今では鎌倉市の飛地であり、鎌倉市津1番地となっている。

面白いのです。鎌倉市にも飛地ってあるのです。
前に紹介したように、逗子市側にも鎌倉市の飛地ってあったねえ。飛地の事情はいろいろ。
古い話はここで終了して、現在の龍口明神社に話を戻そう。
こちらが二の鳥居。

ありゃ、ミツウロコ(=北条家)だ!

北条家は龍が好き。
政子の父、時政が北条家にとって縁起がいい夢から覚めると手に残っていたのは龍の鱗が三枚。
それ以来のミツウロコだ。
御神木であるタブの木。鎌倉はタブが多い。

こちらがこの神社が祀る五頭龍。

この五頭龍は、もともとは現在の鎌倉市深沢の沼にいたらしい。昔から深沢は水はけが悪く、しばしば川が暴れたところだ(なぜか鎌倉市はそこへ市庁舎を移したいらしい)。
で、その五頭龍が散々悪さをして地元民に迷惑をかけたあと心を入れ替えて静かに山となったが、それが竜口山(龍口山とも。現在、片瀬山公園にもなっている)というのが伝説だ。それは龍口寺や龍口明神社元宮の裏山を指す。
そしてそれが20世紀になって、関東大震災で一部が崩れ、龍を祀っていた龍口明神社元宮を全壊させるとはなんとも皮肉な話である。それが原因のひとつとなり、その神社は現在この位置にある。
お参りしましょう。

一部前年のお札やお守りがあったので、お焚き上げをお願いした。

はい、ドガティ君も一緒にお願い、お願い。

「ボクも、もっとご飯がもらえますよーに」
私もお願いしました。
「カネと健康、カネと健康、カネと健康・・・」

これは金運のお守りです。

昇り龍のごとく、乱世になりそうな今年の金融市場を、私の金運だけはスルスルスルッと昇って行くのです。
今年はツキまくるね。

では、そろそろ失礼しましょ。

ありがとうございます。
神様がいそうな神社という気分になる。

【つづく】