妻がまた江戸の両親のお世話で実家に帰るので、JR鎌倉駅までクルマで送る。

ついでに私は鎌倉市内を歩くことにした。
本覚寺さんの境内を通り抜けさせてもらう。

するっと通り抜け。

だったら妙本寺さんへ行くんでしょ?
と、鎌倉通の方なら思うかもしれない。
たしかに妙本寺さん(↓)が見えている。でも違うのだわ(笑)。

ここからどんどん大町(鎌倉市大町)の東に向かって行くよ。
小川コータ&とまそんで、ちょい待ち、大町♪
妙本寺さんの手前で右に曲がって南へ。

路地を抜ける。
魅力的でしょ。

また別の道につながる。

これはぼたもち寺や八雲神社につながる道だ。

こちらが八雲神社だ。

とても小さな神社だが、かなりのファンがいる。

逗子へ抜ける県道に出る。

安養院の前だね。

これは(↓)ご存じですか?

はぶかさん(中華料理店)だ。

このあたりでは有名。
これすごいでしょ。

木が倒れたら根っこがすべてをひっくり返して、うしろの家も倒れそう。
あるいはうしろの家が倒れたら、木も抑えを失って倒れそう。

相互依存関係か。
こちらは安国論寺。チョー有名なお寺だ。

しかし私はそこには行かず、左折して妙法寺へ行く。

この道(↓)がそうだよ。

妙法寺道と書いてあるでしょ?

その道を行くとすぐ到着する。

総門が見えるね。

その脇の左側を上がりましょう。

妙法寺の詳細はこちらをお読みくださいね。

鎌倉市二階堂に護良親王を祀る鎌倉宮があるし、あるいはその近くに宮内庁管理下の護良親王の御陵があるが、この妙法寺もその親王との関係が深い。二階堂のとは別に、ここにもうひとつのお墓もある。
受付で拝観料を納めて通過する。

パンフレットと火が点いた線香を受け取る。

そして本堂へ向かう。

ここにお線香を挿す。

モンベルの冬用フリース製帽子を脱いで、合掌礼拝。

手を打ってはダメ。

三三七拍子なんてやっては絶対ダメ。

ナラの木を植木鉢に植えてあるね。

これは珍しい。
ナラの木は大好きなんだが、これは見たことがないな。
ここはいいお寺だねぇ。
どこか、なんとも言えない優しさを感じるお寺だ。
私は遺言状で、鎌倉沖に散骨してもらうよう指定してあるんだけど、ここの墓なら入ってもいいかも。
墓地受付中だし(笑)。

どんどん奥へ。

立派なイヌマキの木があるね。

我が家の生垣はイヌマキなんだが、放置するとこんな大木になるらしい。
近江井伊家の江戸屋敷(つまりは現在の紀尾井町のホテルニューオータニ)にも、巨大なイヌマキがあったことを思い出した。
こちらは大覚殿という建物らしい。加藤清正公の像が中にあるらしいよ。

さらに奥へ。
仁王門へ。ここも赤いんだね。

立派なつくりだ。

そしてその向こうには、苔むした階段が見える。

これがまたひとつのこのお寺のポイント。

しかしこの階段は上がることは出来ない。
見るだけ。

左を見ると、やぐらのようなものが。。。

化粧窟だ。

どこまでも近寄れるよ。

意外に漫画的なお顔。

さて、先ほどの苔むした古い階段は登れないが、その右手に新しい階段がつくられてるので、そこを上がりましょう。

するとそこに法華堂が現れる。

私が知るある男性が、若い頃、この法華堂で何日か過ごすという体験をしたことがあるらしい。
稀有な体験だね。

で、その人はそれを機会に鎌倉市に住むことに決めたらしい。
自分が上って来た斜面を顧みると、かなりの登坂だね。

鐘楼があった。

そこからさらに上がる。

ここまで上りがすごいとは思ってなかった(^^;;
こころの準備がなかったな(笑)
それを上がると御小庵跡だ。

ここが日蓮聖人が18年間住んだ場所。
鎌倉市内は日蓮聖人に係る旧跡が多い。

で、まずはここから左へ行く(あとでここへ戻る)。
ここは本当に寺なのか?と思うほどのハイキングコース的な道を行く。

途中大木が倒れている。

フィールド・アスレチック的な楽しさがある妙法寺♪
ますますいい寺だね。
まだまだ行くよ。

するといきなり現れるのがこちら。
南の方御墓。

南の方というのは、日叡上人のお母さま。
日叡上人は、後醍醐天皇の子である護良親王の子だ。
護良親王の御陵は鎌倉市二階堂にあるし、親王を祀る鎌倉宮もそこにあるが、その子である日叡上人は、日蓮上人を偲んで二階堂から離れたここ大町に伽藍を復興し、そこに両親である護良親王と南の方の墓を作ったのだ。
いい話でしょ。本当にいい話。
この妙法寺に入った時に感じる優しさというか朗らかな雰囲気は、そんなところから来ているのかもしれない。

こちらが日叡上人のお墓だ。

その横には日蓮上人の塔もある。
久遠寺みたいだね。

しばらくここにたたずむ。
だれも来ないね。日曜日だったんだけど。

裏を見ると住宅街。

谷戸の奥まで家が迫るところが鎌倉らしい。
また元に戻った。

今度は逆方向へ。
護良親王のお墓へ。

ここがまた大変。
どれだけ上るねん?っちゅうくらい階段がある。

上る、上る。
ここで私よりも少しシニアなひとりの男性と出会った。
「まだ上るんですかねぇ?」なんて会話しながら、一緒に上った。

もう、平らになってくれよというのが、切なる願い。

しんどいわ。
着いた。ここが最終目的地だ。

護良親王のお墓だ。

鎌倉宮やその近くの護良親王の御陵に行ったことがある方で、まだこちらに来られてない方は、ぜひこちらにもお越しください。
鎌倉では少ない皇室系の場所です。

頭の上は樹々がいっぱい。

しかしここまで上がると、絶景が享受できる。
鎌倉の市街地から稲村ヶ崎まで、よく見える。

光明寺の裏の天照山みたいだね。
「大塔宮・・・」(↓)とは、護良親王のことだ。
「おおとうのみや」あるいは「だいとうのみや」とも。

30年以上前に逗子市民になった当初、私は「大塔宮」を「だいとうぐう」と読んでいた。だって正しい読みを知らなかったんだもん(笑)
さて、あとは降りるだけ。

苦労して階段を作ったあとがあるね。
このあたりでよく出て来る石を置いたり、コンクリートと石で固めたり、

やっと仁王門まで来た。

そしてその先の総門を出る。

受付の方にご挨拶して、退場!
いいお寺だった。
【つづく】