コメントに書かれていたことについてもう少し補足説明をしておきます。
「走れてきたなと感じる理由」の部分です。「タイム測定をしないのに何故走れているというのが分かるのか」という話。確かにそういわれてみると(笑)。目に見える「記録」という目安がないのに何故走れてきているというのが分かるのか。うーん、なんででしょうか(笑)。
基本的に部活に入ってある程度走れるようになってきたときから選手には「自分の調子の把握」をできるように話しています。中学時代はとりあえず走っているという感じが強い。調子が良い悪いというのはほとんど関係なく試合があるから走るという感じだったと思います。入部してから「私は走れています」という話をできる選手というのはほぼ皆無。それでも今は「走れている」「走れていない」を冷静に判断できるようになってきているのかなと。
練習パートナーとの力の比較は「相対的評価」でしかありません。自分が速くなっていても相手も速くなっていたら「自分は走れていないのかも」という感覚になります。本来であれば誰からと比較するのではなく自分自身の感覚が重要になります。感覚の部分を求める。特に求め始めたのは4継について考えるようになってからかもしれません。4継は自分の調子を把握していないとマークの位置の設定が難しくなります。いつもより走れていたらマークの位置を遠くしなければいけませんし、走れていなければ近づけなければいけません。そこの部分を考えるためには私が見た「客観的指標」よりも自分自身の感覚が重要になってくると思っています。
この部分の感覚が鋭くなってくると「今日は動きが悪い」と感じる日は「調子を戻す」練習を少し取り入れて感覚を戻す。そういう部分が明確になっていると試合の時でも「いつもと違う」というのでチューブを使ったりスイッチングを意識したりして自分自身で動きを変えていくことができます。指導者が見ている感覚と本人の感覚。ここに「差」があるというのは問題です。指導者側が見て「動いている」と感じても本人が「悪い」と感じているようであれば何とかしないといけない部分です。
私が月曜日に「良くなってきたな」と感じた部分。これは感覚でしかないのかもしれません。本人ではないので目で見て判断するしかないので。この時の判断基準は「普段やっている動き」です。ドリルなどをしていて「重心の移動」がいつもよりスムーズだなと感じたらその日は走れる。この時に選手に必ず確認するようにしています。私が見た感覚と本人の感覚が一致するようにしていかなければいけないと思っています。実際に走って良く走れているときには本人にそのことを伝えるようにしています。それなりに選手とコミュニケーションを取りながら指導することが必要だと考えているからです。同じように「悪い」時にも確認するようにしています。どの部分が悪いから走れないのか。感覚的なものを聞く。もちろん、客観的に見ていて悪い動きをしていたらそこを修正する動きをします。
選手によっては「身体が軽いから走れる」というレベルで終わってしまう者もいます。これでは次につながらない。疲労が抜ければ走れるのは当然です。その部分だけではなくて「動きの部分」や「移動」の部分に着目していかないといけないと思っています。「調子が良い」という理由が明確でなければ次につながらないのです。「たまたま走れた」というのではパフォーマンスの再現性が低くなります。再現性というのは「次も同じような走りをする」という意味です。高校生であれば1回良い記録で走っても仕方ない部分があります。1日に3回、県総体でも中国大会でも同じように走れなければいけない。そこの部分は理解できるようにしていく必要があると思っています。
私が見る指標はどうしても「客観的なもの」でしかありません。本人との感覚をすりあわせていく作業が必要になる。これはある程度の競技水準にならないとできないのかもしれません。しかし、意識していくことで競技レベルに関係なく把握はできるようになると思っています。これまで選手に恵まれ良い選手の動きを見続けることができたのも幸いだと思っています。私は現場で選手を見ることが指導者としては大切だと思っています。もちろん、大会などを運営するためにはそういう部分に着目して取り組む人もいるでしょう。どちらの立場も必要だと思いますが。私は「現場で指導する」ことに生きがいを感じます。選手と関わることで自分らしく生きれる。クラス運営なども同じですが。こういう感覚を持っている人は実は少ないのではないかと感じています。本気で。
うーん、回答になっているでしょうか。分かりにくい「感覚」の部分ですね。申し訳ありません。可能であればまた書くようにします。
「走れてきたなと感じる理由」の部分です。「タイム測定をしないのに何故走れているというのが分かるのか」という話。確かにそういわれてみると(笑)。目に見える「記録」という目安がないのに何故走れてきているというのが分かるのか。うーん、なんででしょうか(笑)。
基本的に部活に入ってある程度走れるようになってきたときから選手には「自分の調子の把握」をできるように話しています。中学時代はとりあえず走っているという感じが強い。調子が良い悪いというのはほとんど関係なく試合があるから走るという感じだったと思います。入部してから「私は走れています」という話をできる選手というのはほぼ皆無。それでも今は「走れている」「走れていない」を冷静に判断できるようになってきているのかなと。
練習パートナーとの力の比較は「相対的評価」でしかありません。自分が速くなっていても相手も速くなっていたら「自分は走れていないのかも」という感覚になります。本来であれば誰からと比較するのではなく自分自身の感覚が重要になります。感覚の部分を求める。特に求め始めたのは4継について考えるようになってからかもしれません。4継は自分の調子を把握していないとマークの位置の設定が難しくなります。いつもより走れていたらマークの位置を遠くしなければいけませんし、走れていなければ近づけなければいけません。そこの部分を考えるためには私が見た「客観的指標」よりも自分自身の感覚が重要になってくると思っています。
この部分の感覚が鋭くなってくると「今日は動きが悪い」と感じる日は「調子を戻す」練習を少し取り入れて感覚を戻す。そういう部分が明確になっていると試合の時でも「いつもと違う」というのでチューブを使ったりスイッチングを意識したりして自分自身で動きを変えていくことができます。指導者が見ている感覚と本人の感覚。ここに「差」があるというのは問題です。指導者側が見て「動いている」と感じても本人が「悪い」と感じているようであれば何とかしないといけない部分です。
私が月曜日に「良くなってきたな」と感じた部分。これは感覚でしかないのかもしれません。本人ではないので目で見て判断するしかないので。この時の判断基準は「普段やっている動き」です。ドリルなどをしていて「重心の移動」がいつもよりスムーズだなと感じたらその日は走れる。この時に選手に必ず確認するようにしています。私が見た感覚と本人の感覚が一致するようにしていかなければいけないと思っています。実際に走って良く走れているときには本人にそのことを伝えるようにしています。それなりに選手とコミュニケーションを取りながら指導することが必要だと考えているからです。同じように「悪い」時にも確認するようにしています。どの部分が悪いから走れないのか。感覚的なものを聞く。もちろん、客観的に見ていて悪い動きをしていたらそこを修正する動きをします。
選手によっては「身体が軽いから走れる」というレベルで終わってしまう者もいます。これでは次につながらない。疲労が抜ければ走れるのは当然です。その部分だけではなくて「動きの部分」や「移動」の部分に着目していかないといけないと思っています。「調子が良い」という理由が明確でなければ次につながらないのです。「たまたま走れた」というのではパフォーマンスの再現性が低くなります。再現性というのは「次も同じような走りをする」という意味です。高校生であれば1回良い記録で走っても仕方ない部分があります。1日に3回、県総体でも中国大会でも同じように走れなければいけない。そこの部分は理解できるようにしていく必要があると思っています。
私が見る指標はどうしても「客観的なもの」でしかありません。本人との感覚をすりあわせていく作業が必要になる。これはある程度の競技水準にならないとできないのかもしれません。しかし、意識していくことで競技レベルに関係なく把握はできるようになると思っています。これまで選手に恵まれ良い選手の動きを見続けることができたのも幸いだと思っています。私は現場で選手を見ることが指導者としては大切だと思っています。もちろん、大会などを運営するためにはそういう部分に着目して取り組む人もいるでしょう。どちらの立場も必要だと思いますが。私は「現場で指導する」ことに生きがいを感じます。選手と関わることで自分らしく生きれる。クラス運営なども同じですが。こういう感覚を持っている人は実は少ないのではないかと感じています。本気で。
うーん、回答になっているでしょうか。分かりにくい「感覚」の部分ですね。申し訳ありません。可能であればまた書くようにします。