kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

クラスの話3

2015-03-22 | 陸上競技
しつこい(笑)。

木曜日、携帯についての講演会と防災講演会がありました。これがメインだと思っていたのですが、確認をしてみると「LHR」の時間が30分とってありました。全く予定していなかったのでどうするのかという話(笑)。適当に話して30分過ごすのは簡単です。私が雑談をしていたらそれなりに時間が過ぎますから。が、せっかくの「LHR」という時間です。ここ最近感じていることをクラスの生徒に伝える良い機会だなと思いました。漠然と話すのではなく今伝えたいメッセージに関わるような「文章」を探しました。目で見ながら同時に私の「想い」も乗せて話すほうがなんとなく伝わるような気がしています。

この日は「論語」から(笑)。高校生にとっては面白味がない内容でしょうか。が、たまたま齋藤孝さんが書いている「図解 論語 正直者がバカをみない生き方(株式会社ウェッジ)」という本が机の上にありました。これまたタイムリーに私が話をしておきたい内容が載っている。いや、偶然なのか必然なのかは分かりません。それでも「必要だな」と思うことが書いてあったのでそこの内容を抜粋して話しました。以下、その文章を一部引用しながら書いていきます。

内容は「正しい失敗」というものです。論語には「過ちて改めざる、これを過ちと謂う。」というのがあります。簡単な解説には「過ちをしても改めない、これを本当の失敗と言う」と補足されていました。正直、高校生が全て上手くいくということはありません。多くの場面で失敗します。うちの選手も同様です。「誰もが失敗をする」というのを頭に入れておかなければいけないのです。でも大切なのは「失敗したときにどうするか」です。ミスをした後に何をするのかで次につながるかどうかが決まってきます。いつもは「先生に注意された」で終わっていたかもしれません。しかし、それだけではなく「何故注意されたのか」「次はどうすればいいのか」を冷静に考えることが大事だと思います。「失敗から学ぶ」ことで先に進めるのです。

「不易」と「流行」というものがあります。「不易」とはどのような時代になっても決して変わらないもの。「流行」とはその時その時で大切だとされるもの。どちらが良いのかという話ではありません。でも、目の前の子どもたちには「不易」について考えてもらいたいと思っています。どれだけ時代が過ぎても「大切だ」と言われるもの、それは絶対に必要な考え方なのです。一時的な考え方ではなくいつまでも変わらないか考え方がある。それは人類共通の「宝」だと思います。人生は一度しかない。先人が記した「不易」について学んでおくこと、知っておくことは絶対にプラスだと思います。

この本には「ホウ・レン・ソウ」だけではなく「テン・シュ・カク」ができれば良いと書かれていました。
1.元気に挨拶をし「テンション」を高く保つ。
2.注意を受けたことを常に「修正」する。
3.自分でなんとなく大丈夫だと思わず、必ず「確認」する。
この3つの頭文字をとって「テン・シュ・カク」だそうで。

1つ目に関してはほとんど文章にはありませんでした。が、「失敗」をするとどうしても下を向いてしまいがちです。上手く行かなかったことで「テンション」が下がる。怒られたときも同じ。なんとなく気持ちが落ち込んでしまうのです。そんな時だからこそ「元気を出す」というのが大事。へこんでいて何かが変わるのか?周りから「辛そうだね」と同情される。自分自身がその雰囲気に酔っているのです。辛いのは分かります。でもそのままでは何も変わらない。何かを変えるためにはしんどいからこそ前を向いて進まないといけない。大事なことだと思います。辛いからこそ空元気を出してでも「テンション」を上げる。前を見るのです。落ち込んでいるのはせめて1日。これは私自身にも言い聞かせるように(笑)。

2つめの「修正」。これは部活でも言いますが「同じミスを繰り返さない」という部分です。ここで書かれていたポイントは「すぐにすること」「ちょっと多め(オーバー)にすること」でした。注意を受けてそれを直す。少しだけ変えると分かりません。誰の目に見ても「おー変わったな」と思うくらいのオーバーさが必要。挨拶の声が小さいと言われればすぐに大きな声で挨拶をする。うるさいくらい(笑)。それをみて相手が「大きすぎるからもっと小さくていいよ」というくらいが良いと。それぐらい「意識して変えています」というのが相手に伝わるくらいが「修正」には必要だと書かれていました。納得。「言われたことを修正しようとしている」と相手に伝われば信頼が生まれる。それがだいじだということ。

また、「正しいトラブルの対処法」という内容も紹介しました。「君子は諸を己に求む。小人は諸を人に求む。」というもの。「君子は事の責任・原因を自分に求めるが、小人は他人に求め、責任を転嫁する。」という補足が書かれていました。もし、失敗をした時にそれをどうとらえるか?「自分の責任でミスを招いた。次はもっとこうしないといけない。」と考えるのか、「あいつのせいで怒られた。自分はきちんとやっていたのに。」と考えるかの違いだと思います。

文章の中で「他人のせい」にするのは「大通り」と書かれています。ほとんどの人がそちらの道を選ぶのでお互いに「あいつのせいだ」と思うことになる。これにより人間関係が修復できなくなる。他人はどうにもできないのです。相手の責任にして自分自身の問題点を改善しようとしなければ次も同じことをしてしまいます。何も変わらない。「自分の責任だ」と考える人は「次はどうすれば上手くいくか」を考えるようになる。同じミスをしないために自分がどうすればいいのかを考えるからです。同じミスから「学ぶ者」と「学ばない者」がいるのです。自分の問題点から目をそらさずにしっかりと見極める必要があるのです。

が、こうも書いてありました。全て自分が悪いと考えすぎると「私が死ねばいいんでしょう」という極端に考える人も出てくる。そうではなくて「問題点を解決するために自分がどう動くか」を考える必要があるのです。

思うことがあってこのような話をしました。これが生徒に伝わるでしょうか。伝えることが我々の仕事。そう思っています。どれくらいの人が生徒にこのような「授業以外の話」を真剣にするのか分かりません。私は何かを覚えるよりも「不易」なことを知っていくほうが良いと思っています。もちろん勉強も大事。でも「心」を育てることの方がもっともっと大事なんじゃないかと。偏っているのかもしれません(笑)。

クラスの生徒に話をしたので部活の選手にも同じような話をしました。全ての部分でつながっていると思っています。長々とすみませんでした(笑)。
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クラスの話2

2015-03-22 | 陸上競技
もう少しクラスのことを。

火曜日に話したこともあるのですがこれはもういいかなと(笑)。「科指導」があったので全体に話をして、人権教育の話があったのでそれを補足するような話をクラスでしました。「良い所を見よう」という話にしました。私の例を挙げました。前で偉そうに話をしているが実際はどうなのか?先日バックを忘れた話をしておきました(笑)。片付けができない、掃除が苦手なことも。これは明らかに「マイナス面」です。改善しようと思っていますが実際にはそれを達成できません(笑)。間違いなく他の人に劣っています。自他ともに認めている部分。

大人だからと言って何でもかんでも完璧にできるわけではない。でも、私は他の人に負けないことがあります。「自分以外の人のために一生懸命になれること」です。特に生徒のためには「どんなことがあってもやり遂げようという気持ち」と「何とかしてあげたい」という気持ちは誰にも負けないともっています。その部分だけで今の仕事をしている気がします。大きなマイナス面がある。しかし、それぞれ「プラスの面」があるのです。友達関係であれば「良い部分」に注目して関わっていく方が良い。マイナス面は誰にでもあるのです。その部分だけを見続けるとどうしても「嫌だな」と思うようになる。誰にでもあるマイナス面をあれこれ言ったって改善できないかもしれないのです。それよりはプラスの面をしっかりと見て認めてあげることで友達も自分もやりやすくなる。それが大事ではないかと。

人権教育の話を聞いてクラスに戻りもう一度話しました。人権教育も「友達関係」の話だったこともあり繰り返し話をしました。クラス全体が「優しさ」にあふれている気がしています。そのことを認めたい。本当に良い子が多いのです。前日に話をした「周りに気を配る」という部分、できるようになってきている。それがクラスの良いところだと思っています。

道徳教育のようになっていますね(笑)。もう少し話をしたと思うのですが記憶が(笑)。一応記録として書いておきます。短いですね(笑)。
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