kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

3年生最後のレース3

2020-08-13 | 陸上競技

続きを。

 

最後にまた別の選手に話を。本人はほぼ泣いていました。色々と思うことがあるのでしょう。

 

「個人」でやっていた部分から「集団」への練習になった。集団行動ができなくて本当は一人でやりたかったという話をしていました。集団でやると自分の思い通りに物事が進みません。「我慢」しなければいけないことが増える。そこまでして競技をするのかという気持ちはずっとあったのだと思います。

 

1年次にインターハイに出場する機会がある。そこから翌年も…という気持ちはある。が、自分の「気持ち」をコントロールすることができない。少しでも何かあると「もうやらない」という気持ちが出る。レースが終わって私とマンツーマンで話をするというのはほぼ「恒例行事」のようになっていました。「もうやりたくない」という言葉を何度聞いたことか。

 

世の中、思い通りにいかないことのほうが多い。そこが分からないといけない。時間がかかります。昨年は記録会のアップ終了後、「このメンバーとリレーを走りたくない」と言い出して棄権。今でこそこうやって書けますがもう大変なことが数えきれないくらいありました。

 

それでも最後のレースが終わって後輩たちに「自分の感情のコントロールをする重要性」について話をしていました。結局、それで自分が上手く走れなくなるというのが分かっていたのだと思います。分かっているけどどうにもできない。悪循環を生んでいた。自分の失敗を後輩にはさせたくないという気持ちがあったのでしょう。「最初は一人がいい」と思っていたけど「このメンバーでやってきてよかった」という言葉もありました。一人ではできないこともみんなとだからできた。こういう言葉が出てくるというのは本当に「成長」だと思います。

 

更には「後輩と先生ともう一度インターハイに行きたかった」という言葉もありました。随分成長してくれているなと思います。うちのチーム以外であればまた違う結果だったのかもしれません。この冬は本当に一生懸命に取り組んでいました。県で勝てるのではないかと思う水準の走りをしていました。が、これもコロナの影響で果たせず。そこから気持ちを奮い立たせてもう一度チャレンジしようとしましたが故障。上手くいきません。

 

色々な話をしていました。この子がこの場面でこうやって「上級生」として「メッセージ」を伝える。これは周囲にはわかってもらえないかもしれませんが大きなことです。いったん引退しようと思ったが「後輩に技術的な部分の手本を示したい」という想いで残ってくれました。2年前では考えられないことです。こうやって成長する。それができたというのが本当に大きな意味があります。

 

感情をぶつけられることもありました。過去最高レベルだったと思います。それでも互いに考えながら譲歩しながらやってきたからここに立つことができた。見えない結果かもしれません。それでも間違いなく「大きな成長」をしています。この部分は私にとっては最高レベルの喜びかもしれません。通常では経験できないことをこの場で経験できたのかなと。

 

3年生が話をしている姿を見て2年生女子は泣き崩れていました。色々と思うことがあるのでしょう。下級生に慕われているところも大きくあったのだと思います。立ち上がれないくらい泣いていましたから・・・。これも貴重な経験です。「結果」とはなにか。足が速くなればそれでいいのか。速ければ他の部分がなくてもいいのか。私はそう思いません。「引退する」というときに「いなくなって良かった」と思われるのか、「もっと一緒にやりたかった」と思われるのか。大きく違ってきます。

 

こう考えると一緒にやってきた3年生は本当に下級生に慕われていたと思います。これだけ泣きながら話ができるというのも貴重な経験。本気だったからこそ流せる涙だと思っています。

 

まとまりませんが。記録として残しておきます。

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3年生最後のレース2

2020-08-13 | 陸上競技

続きを。

 

個人のレースもありましたがこちらも「完全燃焼」とはいかず。力が出し切れたかと言えば違う気がします。それでも「結果」を受け止めてそのときに何を感じるか。重要なことだと思います。

 

全てが終わって少し残って話をすることに。3年生から下級生に向けての話です。これまでは5月の県総体のときに話をしていましたがこんな状況なので県選手権のあとになりました。

 

男子選手。春先に「引退」することを考えた。が、やはり「陸上競技が好き」でこのまま引退する気にはなれなかったと。1年生で入ってきたときには400mを60秒くらいで走っていました。それが2年生には52秒。決して器用な選手ではありません。手と足が一緒になったりすることは多々ありました。しかし、地道に練習を続ける。「途中何度も辞めようと思った」という話をしていました。この時は「注意を受ける」ことがかなりあった。自分のことで注意を受けることもあれば下級生のことで注意を受けることもある。嫌になったのだと思います。

 

その時を振り返って「辞めようかどうか悩んでいる時間が無駄だったと思う」と。その時間をきちんとした練習の時間に充てることができればまた違った結果になっていたのではないかということでした。こうやって辞めずにこの舞台に立てる。それを嬉しく思うと話していました。それだけで十分ではないか。そう感じていました。

 

また別の男子。2年生のときに県総体に出場できない。そこで「やり投げ」を始めると申し出てきました。何とかして自分の力で県総体に出たい。そういう想いがありました。これもまた不器用な選手です。何度か師匠のところに連れて行って練習を見てもらったことがあります。上手くできません。それでもトレーニングと練習を重ねていって「形になってきたかな」という感じでした。上手くいけば中国大会も見えるのではないか。が、コロナの影響と故障で試合に出れず。

 

話の中で「何かを得ようと思えば何かを我慢しなければいけない」というのがありました。以前卒業した選手が卒業式の後に話していた内容です。それを受けて「陸上競技を中心に生活をしよう」と考えるようになったと。日常生活の部分で指導を受けることもありましたが、競技に対してかなり向き合えるようになっていました。重要なことだと思います。選手として最後を迎えることができませんでしたが、こうやって毎日のように練習に来てくれた。後輩の指導もしてくれていました。

 

思えばこの子たちには「先輩」といえる上級生がいませんでした。男子は1年で入って聞いてすぐに3年生が引退。その後は自分たちでやってきました。上級生が皆無。何を教えてもらうこともない。自分たちで何かをやってそれが間違っていて怒られる。この繰り返しでした。一時期「上級生」らしき者がいた時もあります。が、これはなかなかでした・・・。実際に競技をするうえで「自分たちでやってきた」と言い切れるレベルだと思います。

 

上級生がいれば・・・。また違った結果になっていたかもしれません。うちには「入部」してくる者は毎年います。残念ながら最後まで続ける者は半分以下でしょうか。「指導体制が悪い」といわれた甘んじて受け入れましす。「楽しく」「ルールなく」「適度に」という運営方針でやれば誰一人辞めることはないと思います。それが「正しい活動の在り方」だとするならばうちの活動は批判されてやむなし。

 

「中学校のときの様子を見て入ってきた」と言われることもありました。「違い」がかなりあります。中学の陸上部とうちの活動はずいぶん違うと思います。だからこそ最初の段階で「かなり厳しい」という話をします。それでも入ってきて最終的に「顧問と合わない」と言われる。仕方ない部分でしょうか。担任などをしていて「本当に嫌いだ」と言われることはこれまでありませんでした。内心思っている生徒はいたかもしれませんが。が、「部活動」になると「指導が悪い」「対応が悪い」と言われる。さらには「合わない」とまでも。

 

本当にそうなのでしょうか。「視点」がどこにあるかではないか。「自分だけ」で自分のやっていることが正しいとっ判断しているのではないか。多くの選手が「やっていてよかった」と最後に言います。途中でドロップアウトしていく者は「最悪だ」というでしょう。受け入れられない部分があればそれは「こちらの指導が悪い」という判断になるのかもしれません。

 

が、こうやって「やってきてよかった」と言ってくれる存在がある。注意を受けることも多かったと思います。それでも「やっていてよかった」という言葉には重みがあります。こういう言葉を聞けるとやってきてよかったと思いますね。

 

まとまりません。また書きます。

 

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3年生の最後のレース

2020-08-13 | 陸上競技

久々の更新。疲れ果てていました。気持ち的にも肉体的にも。とりあえず少し元気になったのでblogを更新しておきたいと思います。競技について自分の中で前向きになれたところがあります。少しずつですが。

 

8月9・10日で県選手権が実施されました。この大会で3年生が引退。本当はもうすでに気持ちが切れても仕方ない状況でした。県総体で戦うことを目標に掲げ中国大会で戦うことを目標に掲げる。その中で何をするのか。が、コロナの影響で全てのレースが延期。実施されるかどうかわからない中で3年生が持ちべーーしょんを維持することは非常に困難。

 

4人いるうちの1人は5月末の学校再開の時点で引退。もう一人はひざの手術をするということで実際問題競技に出ることができない。他の3年生が引退するまではサポートに来てくれるということでした。競技をしてレースに出るというのは2人。小規模なチームです。この中でどうするのか。

 

3年生の最後のレースにきちんと結果を出したいというのは選手の中にありました。が、メモリアル大会の前に3年生の1人がふくらはぎを痛める。「走る」ということでメモリアルには出場しましたが思うような走りはできず。もう一人もその大会以後にハムストリングを痛める。難しい状況の中での大会となりました。

 

3年生ですから期末考査期間中は「勉強を優先させてほしい」ということだったので任せました。練習を再開しても「補強」が足りない。こういう部分はもう強制することではないかなと自分の中で思っていました。「感覚」が残っていても「基礎筋力」が低下することで「故障」の原因となります。不安を感じていましたが・・・。

 

怪我をしていまたが何とかレースに出るまでの状態に持ってくることができました。不安のほうが大きい。それでも「最後に走って終わる」というのができるかどうかは大きなことだと思います。「納得できるレース」なるかどうかは別として「走って終わる」というのは重要なことだと思います。

 

男子のリレー。3年生を入れて走れるのが4人しかいません。最後に3年生がどれだけ走ってくれるのか。先日のメモリアル大会で追い風参考も含めて「11.5」「11.6」「11.7」「12.1」の4人でした。普通に走れば44秒台は出るのかなという感じでいました。結果は45秒8。3年生がアンカーで追い込んでくれましたがそこに至るまでにあまりにも走れていない。申し訳ないなという感じがあります。

 

女子。これは何とか賞状を狙いたいなというのがありました。3年生が最後ですから。最低限でも50秒台かなという感じで準備をしてきました。それなりに手ごたえはあります。エースが不調。それでもなんとか形になってきたかなという感じでした。が、2-3走で致命的なミス。2走のところまでは先頭集団と同じ流れでしたが2走と3走のバトンが全く渡らない。出た瞬間に「厳しい」という状況でした。一気においていかれましたね。3-4走のバトンの時点で前のチームと「1.5秒」くらいの遅れとなりました。結果は51秒8で5位。「入賞」はしましたが本当に狙っていたタイムに届くことはなく。

 

悔しいなと思う部分があります。しかし、この状況をい受け入れるしかない。3年生には申し訳ないなと思います。笑顔で終わりたいと言っていましたがほど遠い結果となる。それでもこれが「現実」です。きちんと受け止める必要がある。

 

こうなると本当に私が選手と向き合えていたのかも考えさせられます。正直、競技に対する意欲が激減していました。グランドに行くことさえ「拒否反応」がある。そんな中で本当に選手に必要な指導ができたのか。指導を必要とする選手に対してではなく「日常生活の指導」をするためにグランドに行く。そのことが過剰なストレスでした。全員が「そこまでしてやらなくていい」というのではない。「やりたい」と思ている選手もいる。自己矛盾に襲われながら時間を過ごしていた部分があります。

 

本当に難しいところがありました。私自身が「陸上競技ができない」という部分の中でやっていたところがあります。

 

また書きます。

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