思うことを。久々にまじめにblogを更新した気がします。とにかく・・・ね。自分自身のキャパがあってそれに対して何をするか。すべてをやることはできないと思っています。必要とされるかどうかも含めて。「承認欲求」が全くないとは言いません。しかし、「他者から認められる」という部分にはそれほどの価値を感じていないのも事実です。「やりたいこと」があってそれに対して自分自身が「なにをするのか」ということだけなのかなと。
競技について。バトン練習の頻度を増やしていました。これは「渡らない」という部分に対しての「不安」を取り除くためです。1週間に3回は「合わせ」をやっていました。私の中ではこれは普通のことですが。チームによっては「試合が近づいてきたらやる」という感じになるのかもしれません。が、これからは「最大で週2回」くらいにしようと思っています。それも「合わせは1本ずつ」という限定にする。
結局、試合の時には「1本で合わせる」必要があります。それに対して練習で「2本ずつ」やっていたら「緊張感」が異なってくる。「やるべきこと」が明確であればそれほど頻度を増やさなくていいのではないか。その代り冬季練習の間も「週2回」で「1回ずつ」は続ける。基本をどのように身に付けておくかだと思っています。こちらが「渡らないかもしれない」という不安を抱えている状況では本当のところでの勝負にはならないと思います。バトンには毎日くらい触れておきたいとは思っています。しかし、「合わせ」に関しては限定的にする。それ以外の時に「準備」はしています。10バトンや25並走の意味が分かれば十分対応できると思っています。そこで作り出した「時間」をほかの練習に回せばいい。だらだらやるのではなくパッとやってパッと終わる感じにしたいなと。
それだけではなく「補強」も。「きついから良い練習」ではないと思っています。もちろん、ある程度の負荷をかけないと強化はできません。しかし、もう今の私にとっては「やらせる」というところにエネルギーを使いたくないのです。もちろん、「競技に取り組む姿勢」に関してはひたすら言い続ける必要があると思っています。しかし、「やる気になれない」とか「本気になれない」のであればお互いに「時間の浪費」になります。それは誰も幸せにならない。そうであれば「一定の水準」に対しての指導ができればいいなと。
もちろん、「一生懸命にやりたい」と思っていて「やり方がわからない」場合だったり、「自分はやっている」と思っていても本当は「できていない」という場合に関しては「言葉かけ」が必須だと思います。しかし、「そこまでしてやりたくない」というのであればもういいかなと。今の学校では「やりたくないのにやっている」という選手はいないと思います。それだけは大きなことです。しかし、「本気になる」という部分では足りないなと思う部分もあります。それは「自分自身の物差し」で見ているから。私の物差しの「メモリ」とほかの人の「メモリ」は異なるのかもしれません。「中国大会に行きたい」と思ってやるならそれでいいと思います。何度も書いていますが「目指す場所」はどこでもいい。しかし、それに必要なことを「やる」のか「やらない」のかは別問題です。
これは前の記事にも書いた気がしますが「補強」に道具を使うの最小限にしたいなと思っています。道具の準備などが時間がかかるからです。前任校では「上半身下半身」をやるのに20分もかかりませんでした。今は準備や片付けも含めると30分くらい要しています。前任校は学校が駅から近いこともありました。16時から練習を始めることができて17時まで3時間近く練習ができていた。しかし、今は早くても16時15分くらいからの練習開始になって19時には必ず終わっておく必要があります。そうなると2時間半くらいの練習になるのかなと。この「30分」というのは大きい。その分練習時間を長くするというのではなく「与えられた時間」を有効に使うことを考えたいと思っています。そうなると「道具の準備・片づけ」に時間がかかってしまう練習は避けるべきだと思っています。本当は2人1組になる補強もやめたいなと思うくらいです。1人がやっている間にもう1人が待っているという状況では「非効率的」になるからです。
本当にやりたいことが何か。ここは自分の中で大きなことです。「練習をさせたい」というわけではないのです。「強くなるために必要なこと」をやりたいだけ。そうであれば「既成概念」を打ち破って「本当に意味があること」をやっていく必要があると思っています。それができない限りは「現状維持」しかできない。無理やり間に合わせたIH路線とは異なる。無理がたたってしまう危険性があるからです。自分がやりたいこと。それは「選手がやりたいこと」とイコールではないかもしれません。だから聞きながらやりたいなと。「いやだ」という反応であればこちらもそれに合わせて「やらない」という選択をする。「シャフト補強」のように効果は高いかもしれないが、「精神的な負荷」が大きなものは前向きにできない。そうであれば「代替の練習」を行う。それでいいんじゃないか。
誰が何をやりたいのか。私が「陸上競技」を通じて「結果」を出して周囲から「評価」されたいのか。それは違うなと思っています。そこに対する欲求はほぼありません。選手が何をしたいか。それに応じてやる。「強くなりたい」と本気で思うならそれに応じる。「それなりでいい」というのであれば別に私が関わる必要はない。誰がやっても同じ。だからやる必要はない。そういうスタンスでいたいなと思っています。