kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

3年生のことば

2017-10-20 | 陸上競技
木曜日。3年生が練習に来てくれました。久しぶりです。わざわざ山まで。その後も一緒に戻って学校での練習を見てくれていました。せっかくなので練習の最後に話をしてもらいました。

引退して初めて気が付くことがある。練習ができるときにもっとやっておけばよかったなと。競技を離れて引退するとやっぱり「もっとやりたい」と思うことある。高校3年間しか「部活に打ち込む」というのはできないと思う。そう考えたら3年間というのはすごく大切。あっという間に時間が過ぎていく。自分たちでは気づかないかもしれないけど、こうやって誰かと一緒に練習ができるというのはすごく恵まれている。

練習ができる環境があって、練習を見てくれる先生がいて、一緒に練習できる仲間がいる。そのことは当たり前ではない。感謝の気持ちを持たないといけない。目標に向かって進める時間というは貴重。苦しいことも多いと思う。それでもしっかりと乗り越えていって欲しい。応援している。

シンプルな話だと思います。純粋に競技を離れて感じること。思うこと。それは飾らない素直な言葉。別に私が何かを言ってほしいという話をしたわけではありません。集合の少し前に「話しておいてよ」と伝えただけ。実際に思うことを伝えてくれたのだと思います。

こういう話を聞けると素直に嬉しいなと思います。インターハイを本気で目指して取り組んできた。上の大会を目指して本気で取り組んできた。だからこそ伝わる者がある。それなりにやってきたものがこういう場面で発言しても「重み」はないと思います。一般論になるからです。そこに意味があるのか。私にはわかりません。肌で感じてそれを経験してきたからこそ言える言葉がある。

忘れないように記しておきたいと思います。シンプルです。
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山&シャフト

2017-10-20 | 陸上競技
毎日毎日、思うことがあります。まーいいんです。それでも毎日生きていくしかないから。よくgt先生が「役割を果たす」という言葉を言います。私は不器用ですから上手く立ち回ることができません。もっと柔軟に適当にやっていければいいのだと思うのですが。それができないというのは・・・。

この日は大掃除の関係で練習開始が遅くなりました。それ以外のこともあり16時半くらいからだったでしょうか。グランド状態は悪くとても走れる感じではなかったので山へ。この冬は坂道走などを大目に取り入れていきたいなと思っています。色々と考えるべきことがあるので。

走るだけではなくトレーニング系を入れていきました。最初は階段を使ってのジャンプ系。片足ジャンプやサイドジャンプを。スイングで走るという感覚をつかませたいので片足ジャンプは非常に効果的だと思っています。タイミングを合わせながらしっかりと跳ねないといけませんから。このあたりの動きを見ていると明らかに筋力が足りないなと思う部分がありました。自分の身体を支えることができない。この状況で走るのは難しいなと。時間をかけてやっていくしかないのだろうなと痛感。

その後、長い階段に行って少し動きました。大股歩行で階段を上まで上がっていく。更には途中までもも上げをしてそこからダッシュ。地味に長い階段ですから結構負荷はかかっていたと思います。少し休憩をはさんで今度は全力でダッシュ。階段の幅が微妙なので上手く走れません。また、階段に色の変化がないので走っていると階段が分からなくなるとのこと。まーそれなりに走って終了。

そこから坂道走へ。ピラミッド形式で行いました。短-中-長-中-短です。これを2セット考えていました。段差形式で走る。距離的には80mあるかないか。もう少し長い距離があると良いなとは思いますが。男女混合で走りました。あえて「叱咤激励」のような声掛けをするのをやめるようにしています。強くなりたい者はしっかりと走ると思うので。私が引っ張って強くするというのではなく「自分のために自分でやる」という感覚を持ってもらいたいなと思います。それは難しいことかもしれません。なかば強引に引っ張っていく方が強くなる可能性は高いと思います。しかし、それでは「何も残らないのではないか」と思うようになりました。指導者が主となって選手を引っ張っていく。考えずに言われるままにやる。それである程度は強くなるかもしれませんが指導者も選手も何も残らない。双方向的な刺激にはならないかなと。

もちろん、技術的に気になることがあれば修正をしたいと思います。練習の中で技術改善のための練習を入れることもあります。一定の方向性にしたがって練習をしていればそれなりに結果はついてくるのだろうなと思っています。高校生ですから「身体を動かすだけ」でも強くなる可能性は十分あります。どこまでやるかは私が決めることではない。

走ってから学校に戻ってシャフト補強へ。かなりきついと思います。が、やる。これまでであれば「練習があまりできていないから調整練習をする」という形でやっていました。が、「やらないといけないこと」は決まっています。これから先のことを考えると悠長なことは言えないと思います。「今日は身体が重いから練習量を減らそう」とか「調子が悪いからやめておこう」というのがこれまでありました。が、「やらないといけないこと」は変わらない。だったらどんな状況であれやるしかないと思います。少しずつ練習負荷を増やすという感覚も必要だと思いますが、「やると決めたらやる」というスタンスは持ちたいなと思います。

これまで結局、私自身が「妥協」していたのかもしれません。「これくらいでいいか」と。疲れてきているし、動きも崩れ気味だからもういいかな・・・と。きつそうに練習している姿を見ても楽しくありません。見ている方もやる方も楽しくないのに本当にやる必要があるのか。そういう思いの中で「これくらいで良いだろう」と妥協。

が、本当に強くなりたい選手にとってはそれは良いことではないな、と。どんな状況であってもしっかりとやる。以前大阪で話をしたときに「ある学校では365日毎日同じ練習をする」と聞きました。試合などもあるので365日ではなかったかもしれませんがほぼ毎日同じメニュー。試合の前も試合の後も量の調整はあると思いますがひたすらやる。テスト明けだろうが長期休業後の練習だろうが関係ない。「やるべきことをやる」のだと思います。そういう意味では本当に甘かったかなと。

かなり疲労度はあると思いますがシャフト。自分たちでやる姿を見ていました。こういう練習に関しては「意欲に比例する」と思っています。本気度に比例してその取り組みは決まってくる。そこを見守るというのも今後の方向性なのかなと。「そんな練習では強くならないと」と言うことで誰かにプラスになるのか。最後は「自分自身がどうしたいのか」だと思います。

30分程度、30mでシャフト補強。かなり汗をかいていました。きちんとした練習になっていたのだと思います。表面的な部分だけではなくその時に「何を思いながらやるか」というのも大きなことだと思います。「やらされる練習」から抜け出す。それをどうするか。目標が明確になれば自ずからやるようになる。そうでない場合はやらない。

きっかけを与えられる指導者になりたいなとは思います。また書きます。
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練習の記録

2017-10-19 | 陸上競技
練習に関しても記録しておきたいと思います。忘れてしまうので。

月曜日、中国新人翌日。男子に練習をどうするか?と尋ねるとやるということなので実施。私自身は前の週の木曜日の夜から体調がかなり悪くとても練習に参加できるような状況ではありませんでした。不在期間中の仕事を消化しながら休ませてもらいました。こういう意味では「無責任」なのでしょうか。練習自体は山で。前回と同じメニューを実施してもらいました。

火曜日。この日は雨でしたが多少持ち直す感じだったので屋外で。とはいえ、グランドでは走れません。男子は前日に走っているので学校でトレーニング中心に。身体作りをしていきたいと思います。今後はウエイトを導入してみようかなとも考えています。女子はシャフト補強で良いかもしれませんが男子に関してはもう少し大きくした方が力が出るかもしれないなと。これも行ったり来たりしている内容ですね。どれが正しいのか正直分かりません。検討しながらです。

女子は山へ。先日から体調が微妙な選手がいるので付き添うことに。とはいっても私自身会議があったので早い時間帯からはいけません。気を配りながらやっていかないといけないなと思っています。私が到着した時には坂道走をしていました。1セット目が終わった状況。かなり時間を要していたので2セットに変更しました。女子に関しても「もう少し長めの距離を走りたい」という要望がありました。150mくらいですが。学校のグランドではそれはできないので別の形で対応したいなと思っています。あれこれやりたい。こちらは戻ってからシャフトトレーニングとシャフト補強。かなりの時間になりました。

水曜日は雨。屋外でやるのは難しい状況。最初は外でDM投げなどをやりましたがひどくなってきたので中止して室内へ。室内ではひたすらトレーニング系を実施。色々な動きをやりました。中心は股関節周辺と大臀筋。この部分が弱いなと改めて感じました。もう少し工夫して強化していかないと勝負することはできないなと。腹筋系もかなりやりました。気が付くと「体幹補強」と言いながら腹筋が不足しています。寝転がっての補強は避けていた部分がありますがやはりやる必要があります。

ハムストリングの補強も実施。これも選手が要望していたので。練習の取り組みのスタイルを変えるつもりはありません。選手が要望すれば練習をしないという形はありえない。が、実際にやっていて「不足するもの」があればやはりその意見は聞かなければいけないと思っています。様々な補強をやりました。本当であれば走らないといけないのですが。

補強をしっかりやるということは走力向上につながると思っています。当然の話ですが。レース後半でスピードレベルが落ちる。この対策にひたすら走るというのも選択肢の一つなのかもしれませんが、「補強」で対応できないかと思っています。低負荷高回数でしっかりと補強をする。「動かし続ける」という意味では必要なのではないかと思います。非科学的と言われるかもしれませんが。

やっている中で思うことはあります。それでもやり続けることに意味があるのかもしれない。そう思うようになりました。進化なのか退化なのか。これは分かりません。自分自身の役割や存在意義を見据えながら進みたいと思います。
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練習日誌

2017-10-19 | 陸上競技
色々と思うことを。

これまで練習日誌を重視してきました。色々と考えることがあって「練習日誌」に関しては「提出しなくてもよい」ということに。これまでの私からすれば大きなことだと思います。

練習日誌をきちんと書く。これは間違いなく自分自身の振り返りになります。私も現役時代は毎日記入していました。他県の選手の様子を見るとやはりきちんと日誌を書いています。それは「強制されるもの」ではなく、自分自身がきちんとその日の練習を振り返るためです。前任校でもかなり書いていました。

新天地に赴任して「練習日誌」をどうするか。1年くらいたってからこちらで「ひな形」を作って印刷し配布しするようにしました。自分自身の振り返りです。前任校ではノートを各自が準備してきて勝手に書いていました。そういう習慣がない状態だったのでこちらが「準備」して「提出」を促すようにしていました。

練習日誌を見てみると「振り返り」が顕著に出ます。書けない選手も当然出てきます。「~を意識して走った」くらいで終わってしまう者もいる。かと思えば、かなり振り返りをする者もいる。別に日誌がきちんとかけたからその選手の意欲が高いとは言い切れないと思います。しかし、比例する部分はあると思っています。とりあえず書くだけの日誌は無意味だと思います。私が「ひな形」を準備しているからそれに記入するだけになる。「強制」でしかない。そうであれば「強制しない」という選択もありかなと。

結局は「自分自身がどうするのか」だと思っています。本当に必要であれば自分で振り返りをすると思います。その振り返りをしないのは「必要がないから」なのかもしれません。書く時間があればもっともっと別のことをする方がいいと思うのかも。それに関しては内面的なことですからよく分かりませんが。

繰り返しになりますが「日誌を書かなければ意識が低い」とは思いません。が、これは「強制されてやるものではなかった」と思うのです。自分自身の中から湧き出る想いがあってそれを記しておくもの。今の課題を明確にし次にそれを改善しようとするもの。指摘された内容を自分自身で忘れないために記録しておくためのもの。それが練習日誌だと思っています。そのことは「必要ない」「無意味」なのかもしれない。強い選手はそれほど振り返りをしないでも対応できるかもしれないので。

ここも考え方だと思います。必要であれば書く。それは当然のことだと思います。必要性を感じなければ書かない。これも当然のことだと思います。その目標に合わせて自分自身がどのようにするのか。

強い時代が続く学校というのはこういう基本的なことが「伝統」のようになっている。振り返りをしたりするのは「必要なこと」だという流れがあるから。上級生がきちんと書いている。それを見て「自分もきちんとやらなければいけない」となる。やるのが当然という流れになるから「強さ」もつながっていくのだと思います。日誌を書くのが「当たり前」のこととして存在しているから何も問題は生じない。

ここも「考え方」だと思っています。私がblogを書くのも「自分自身の振り返り」のためです。それなら公開するなという話になるのかもしれませんが。今自分が何をしようとしているのか。何を求めているのか。ここは自分の中で大切にしていきたい部分です。それをいつの間にか見失ってしまう。特にblogを書けない時期は自分がどのような「想い」の中で生きているのかさえ喪失しています。だからこそ書いておきたいと思うのです。

昨日、書いたblogに関しては多少なりと反響がありました。全国入賞を果たすようなチームの先生方からもアドバイスをもらいました。さらにこのblogを見てくださっている指導者の方からもコメントをいただきました。私は未熟です。40歳を過ぎたおっさんが「未熟」というのも情けない話ですが。一挙手一投足を完璧にできることはない。ロボットではないから感情も存在します。

常に素晴らしいと思ってもらえる内容をblogに書き続けられればいいのですが。スタンスを変えずにやることは変えていきたいと思っています。模索しながら。このことが1年後振り返った時にどのように感じるか。これもblogの意味だと思っています。後悔しないように生きていきたいなと思います。
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どう感じるか

2017-10-19 | 陸上競技
思うことを。

前の記事に少し書きました。文章的に足りない部分もあり誤解されるところもあると思います。表現するという中で当然ありあえることだと思っています。言葉足らずになるところはある。それでも思うことを書いておきたい。

人との関わり方。これは非常に難しいと思っています。ある人間にとっては「良い」と思うことであってもある人間にとってはそれは「悪い」となる。全員が「納得する」という形はとれないと思っています。それぞれの側面から物事を考えていく。どうしても自分自身の立場からの視点になります。

先日、中国新人がありました。2日間の強行日程。そのためタイムテーブルがかなり詰まってしまいます。トラックで競技をやっている間にフィールドもある。女子の4継と走幅跳の時間が重なるので試合運営が難しい。更には女子幅跳と100mのスタートが重なる。どう考えても難しい。また、競技開始時間が同じ種目がある。そうなると時間通りに競技を始めるのは難しくなる。私が担当する部署はトラック。競技開始時間に合わせてスタート位置に付くようにします。が、その時間にアナウンスに連絡すると実際は投擲競技が始まる時間と重なる。どこにとって「良い」とするのかだと思います。

フィールド種目から考えたらいつも「トラック優先」で物事が進むのは面白くない。競技進行が遅れることも多々ある。リレーがあるから待つというのであれば投げるのを待ってからリレーを始めればいいという話にもなるかもしれない。やり投げや高跳びなどでトラックに助走がかかる種目であればトラック種目がやっている合間にやらないといけない。自分の競技に集中できない。だったらトラックが待てばいい。一理あると思う。

一つの物事に対して「多面的に見る」という部分。全員が「これがいい」と思われるものは存在しないと思っています。

指導に関しても人との関わり方に関しては「これがいい」というのは存在しない。ある選手にとっては「良い指導だ」と言われるかもしれませんが、ある選手にとっては「なんだこれは」と思う。それはどうなのか。授業に関しても「これはいい」と思う者もいれば「不親切だ」と思う者も出てくる。ここが本当に難しいなと思っています。

私自身、こういう性格です。「良い」と言ってくださる方もいれば「絶対に許せない」と言われる方もいる。それは重々承知です。すべての人に受け入れられるほどの人間ではない。一生懸命やることは負けないと思います。それでもその力の注ぎ方が偏っていたりする。エネルギーを注がれている者にとっては「良い」と思うかもしれないがそうではない者にとっては「悪い」と感じる。表現ひとつとっても同じだと思います。ある人には「良い」と思われてもある人には「酷い言われ方をした」と感じるかもしれない。

私は聖人君子ではありません。すべての部分に対して完璧にできることはない。どちらかといえば抜けが多い。今のご時世、「教員は聖職だ」と思っている人はいないと思います。尊敬に値する仕事ではない。ほぼサービス業。打たれっぱなしのサンドバックだと思っています。それでも「意味がある」と思ってやっています。ストレスなどを感じる方がいけないのではないかという部分。

前の記事に書いた内容。「求められたら応える」というのもひょっとしたら主観なのかもしれない。本当は求めているのにそれを私が「求めていない」と感じる。その主観を埋めていくことは可能なのか。競技だけを求めているわけではない。他の部分も含めて先に進んでほしいと思っている。が、それは上手く伝わらない可能性がある。

スタートラインが「否定的な視点」であればそこから先に進むのは難しい。発言の一つ一つは「マイナス」にとらえられてしまうから。この部分に正解があるとは思えない。何が正しくて何が間違っているのか。それでも考えたい。こうやってblogを書くことによって更なる誤解が生まれるのかもしれない。それでも書いている。馬鹿かもしれませんね。

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やって当たり前?

2017-10-18 | 陸上競技
ここは雑感。私自身の考えなので面白くないとは思います。「教育」という観点ではないのかもしれない。

「やってもらって当たり前」という感覚。例えば「練習計画」を作る。これは選手からすれば「顧問なんだから当然だ」という話になるのかもしれません。「与えてもらうのが当然」という感覚になると「やってもらえない」ことに不満が生じる。勉強も「教えてもらうのが当たり前」となり補習や個別指導が入るのが「当たり前」だと感じるようになる。「補習をやってほしい」と望んだ時に「用事があるから無理」と断られると「面倒見がよくない」と批判される。

このことはずっと感じていました。blogにも書いてきたと思います。

先日、親しい指導者と「反省会」を実施していた時に感じたことがあります。これは以前からの自分自身の課題となる部分でした。まーこの人は悪意なく毒を吐きます。かなり手厳しい発言が多い(笑)

これまで私自身、「これだけやっているのだから」という感覚がありました。練習にしても生活にしてもかなりの部分で「選手のために」という感覚を持っていました。練習計画も立てますし、毎日グランドで練習を見る。それも「当たり前」だと。更に取り組みが甘いなと感じた時にはその都度、「こんなことでは強くならない」と叱咤激励していました。それは「選手のためになる」と盲信していたからです。

が、会話をしている時にふと感じました。実は私自身の感覚がおかしいのではないか、と。いつの間にか「自分がこれだけ本気で指導しようとしているのだからそれに応えるのが当たり前だ」と思っているのではないか。以前から「そんなに求められていないのだから」と言われていましたが、冷静に考えると「確かに」と思う部分が出てきました。

世の中は千差万別。全員が「絶対に強くなってやろう」と思っているわけではありません。学校によって温度差はありますし、個人によっても温度差がある。よくよく考えてみると私自身が高校時代もそうだったと思います。指導者はいません。自分でやるしかない。私は何が何でも強くなりたいと思っていました。が、周囲はそうでもない。明らかな温度差がありました。「なんで必死にやらないのか」と口論になったこともある。が、結局平行線のままでした。

今考えるとそれってある意味「当然」のことではないか?競技自体はそれぞれの価値観でやっている。「陸上競技部」ですから「強くなるためにやる」というのは必然です。しかし、その「強くなりたい」という「想い」の強さには明らかに差が生じる。県総体に出叙するために「強くなりたい」と願うのか。インターハイで勝負するために「強くなりたい」と願うのか。これによって求められる「努力」や「取り組み」も顕著に異なってきます。一律同じことを求めるのは「不可能」ですし、「意味がない」のではないか。

私自身が「これだけエネルギーを注いてでいるのだからやるのが当たり前」という感覚があったと思います。望まれているか、望まれていないかは別にして一律「必死に強くなることを求める」というスタンス。これでは不協和音が生じます。当然の話です。

求められている時にきちんと応えられればいい。そう思いました。こちらがこれだけ真剣にやるのだから選手もそれに応えるのが当たり前という感覚は捨て去らなければいけないと思います。平等という意味でもそこの感覚は持ち続けたい。

「絶対に強くやりたい」と思う者がいればそれにきちんと応える。そこが平等。一方的なエネルギーの流れではなく双方的なエネルギーでなければいけない。

これに関しては間違っていないと思います。強制するものではないですし、強制されるものでもない。これまでの私が「余計なことをしていた」のではないかと感じています。「やるのが当たり前」だと思う感覚が強かったのだと思います。メニューを提供するのは「当たり前」ではない。逆に自分が勝手にメニューを作って提供しているのだからそれをやるのが「当たり前」ではない。集団としては良くないのかもしれません。しかし、様々な価値観の中で画一的にはできない。

私が理想としてた部分と現実の差はあると思います。理想はあくまで理想であって現実とは異なる。私学や体育コースがある学校とは根本的な差があるのです。そこを受け入れなければ先には進まないなと感じています。

こう見えても真面目な性格です。幅がない。だからこそもう一度しっかりと考えていく必要があると思います。自分の生きている時間を何のために使うのか。他者の時間を奪う事の意味。

全てが当たり前ではない。求めすぎず。その代わり私自身の時間をどのように使うかは自分次第かなと。これに関しては様々な考え方があると思います。批判もされるのでしょうか。本当にこの数ヶ月、いや数年ずっと考えていました。今の自分の存在意義。必要なのか。そうではないのか。

上手くまとまりません。相変わらずです。
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中国新人~生まれる想い~

2017-10-17 | 陸上競技
感じたことを。

今回、中国新人が終わり選手が日誌を出してきました。Sに関しては並々ならぬ「想い」がありました。今回の結果をどう感じるのかですね。これだけで大きな意味があると思います。私も話をしましたが「それほど時間はない」のです。「~があるから・・・」というような話をしている場合ではない。どれだけのことをしなければいけないのか。

これまで「きついメニュー」があれば自然と避けていました。これは全体的にです。当然ながら「しんどいことは嫌だ」と思う。しかし、この状況をいつまで続けるのか。前の記事にも少しだけ書きましたが「覚悟」の部分です。これまで続いていたチームが自分たちの代になって弱くなったといわれるのは嫌がるでしょう。そうならないように「絶対に強くなってやる」という感覚の中で練習をする。そんなときに「練習がきついから嫌だ」と思っている暇があるでしょうか。時間を有効に使うためには「マイナスに考える」時間はもったいない。

「なんでこんな練習をしなければいけないのか」と考える。これは「やらされている」だけです。競技はすべて自分のためにやる。そこの部分は重要だと思います。指導者から「やれ」と言われたからやる。それは「練習をやっているだけ」であって「強くなるためにやる」のではない。怒られるからやる、みんながやっているからやる。そういう感覚の中でどれだけ練習をしても効果は出ないと思います。

これまで「強くなりたい」という部分は確かにあったと思います。それを感じるために他校と一緒に練習をしたり県外の学校に連れて行ったりして刺激をもらってきました。が、それはあくまで「きっかけ」でしかない。その「きっかけ」を自分のものにするかどうかで大きく変わってくるのです。「強い選手だから別だ」と思うのではない。この部分はすごく重要だと思っています。「そこまでしてやる必要はない」と感じる選手もいると思います。それはそれで間違っていないと思うようになりました。その「想い」に関しては私たちが「強要」するものではない。

以前は「強引にでも強くなるための心構えを持たせる」というのが指導だと思っていました。が、実はそれは「エゴ」だと気づきました。親しい指導者から「求められていない」と何度も何度も言われていました。この感覚は分かりにくいかなと思います。意識レベルを引き上げるのが私たちの役割なのかもしれない。そう思っていました。ここ数年「それは違うのではないか」と思うようになった。強制するものではない。

そんな中で中国新人を終える。リレーで決勝に残ったものの2年生は誰一人納得していませんでした。「50秒を切る」という部分を目標にしてきたわけではないからです。4継でインターハイ。そこを目指してきた。それなのに今の段階では中国地区で8位。その現実を突き付けられ本当の意味での「危機感」が生まれたと思います。残された時間はそれほど多くない。

目標は個人でもインターハイ。が、実際は決勝にさえ残れない。この現実の中で「来年インターハイに行く」というのが達成できるのか。Mが「上手く走れなくてどうしたらいいのかわからなくなった」と日誌に書いていました。しかし、続けて「そんなことをいって止まっている時間はないからこれからどうするかを考えないといけない」と書いています。ここだと思います。綺麗事ではない。それでもやるしかないのです。

tokushoで指導している時、「女を捨てろ」という話を頻繁にしていました。泣き言を言ったりメソメソしている時間はないのです。そんな時間があったら「何をしないといけないのか」を考えるべきです。下を向いて涙を流している時間は何も生み出さない。前を向いてやっていかなければ何も変わらないのです。

何人かにはこちらが求めていることが分かってもらえたのではないかと思います。本当に戦いたいのであれば私が云々ではない。本人がどれだけ「必死になるか」だと思います。世の中には一切技術指導を受けないのに速いという選手がいます。その選手に勝つためには何をするべきか?まずは心から「強くなりたい」と思う事が必要。それなりに「頑張れればいいや」ではない。ここの感覚。「頑張る=強くなる」ではなく「強くなるために何をするか」だと思っています。

これまではその部分をこちらが与えるようにしていました。が、私自身が殻を破れない。ワーワー言って引き上げている間は選手自身がその気にならない。他県の選手とは「貪欲さ」が違う。与えられることに慣れてしまっている気がしました。指導してもらうのが当たり前。何かあったら指導者が助けてくれる。言われた通りにやっておけばそのうち強くなる。そんな段階から本気で抜け出さないといけないと思います。

私自身、本当に思うことがあってかなり多くの方と話をしました。このままでは私が生きている時間の浪費になる。やるからにはこちらも覚悟を決めてやっていかないといけないなと。

赴任当初、全員をなんとかしよう、引き上げていきたいと本気で思っていました。そこに私らしさというのがあったと思いますが、「それなりにやりたい」と望んでいる者からすれば「余計なお世話」だったと思います。私があれこれいうことで「やりたくもない練習を必死にやることを求められる」という雰囲気があったと思います。

今の女子は「強くなりたい」と思う者が大半です。これまでとは表情が違って来たかなと。何となくやってきた陸上とは明らかに違う。これまでとは違う「想い」が芽生えてきます。そこに対して私は何をするか?添え木になるのでいいのかなと思うようになりました。上へ上へと伸びていこうとする植物が方向性を間違えないように添え木に沿って伸びていく。伸びていこうとする意思がない植物はそこで止まってしまう。私は上手くいかないやり方を改めて「自分なりのスタンス」を作り出していこうと思います。

技術指導ができない。完全に選手主導でやる。メニューだけを与える。これは指導とは言えないと思います。が、全てをやっていくのも違う。意識レベルをひたすら引き上げていくというのでは県外の強豪校とは戦えないと思います。そんなことをやるために指導をしているわけではないと思っています。

本当に強くなりたい。そういう想いを本当に感じることができました。目が違う。

見守って貰えるとありがたいと思います。私自身も殻を破って進みたいと思います。
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中国新人~力不足~

2017-10-17 | 陸上競技
中国新人、個人でも出場しました。

今回の中国新人「わが県の苦戦」は顕著でした。多くの種目で予選敗退。うちの選手もNを除いては2人とも予選落ちとなりました。今回は「全ての種目で決勝進出」というのが目標でしたが遠く及ばず。自分の力を出し切れたかどうかという観点も含めてしんどい部分でした。

100mではNがなんとか3位に入賞。実は指導を始めて初めての中国大会レベルでの表彰台でした。最高が4位。このレベルで全国で戦おうというのが甘い部分だったのかもしれませんね。ブロックレベルできちんと戦えていないと勝負にはならない。春の中国総体でなんとか6位に入ってIHに進んでいるNが秋の大会で何とか3位ですから・・・。200mもなんとか4位に入ったという感じでしょうか。そのための練習ができていないというのはあると思います。この時期の練習は難しい。国体とテスト週間。その中でどうやって練習を積むのか。

MとS、感覚的にはよかったと思います。が、レースになって走れない。これは「不安」もあったと思います。このステージに立つときに何を思うか。できる限りのことをやってスタート地点に来れたか。そうでなければ走れません。Mは私が不在時に絶不調だったということでした。動き的にも改善する部分はあります。武器である中間以降の動きがちょっとよくありません。Sはかなり調子が良かった様子。が、実際のレースではいつもの動きができませんでした。200mという距離に対しての「不安」があったようです。きっと思い切り走っても最後までは持ったはずです。「不安」があればやはり普段の動きができない。100mと同じ動きではないとは思いますがキレのない動きをしてしまったらやはり効果は出ないと思います。

力不足。その一言に尽きます。もっとこうしていたら・・・というのは誰にでもあると思います。が、このような時期での条件はどこでも同じではないか。他校も厳しい日程の中でやっています。それを言い訳にしていたら競技にはならない。

周りから見れば「それなりの活躍」と言われるかもしれません。しかし、今回の結果は重く受け止めないといけないと思っています。これは「痛感する」ことで本人たちも分かってくる部分。今回の中国新人は「力不足」だと痛感することで前に進めると思っています。

例えば強豪校で監督さんには大変お世話になっているkrc高校。スーパースターが抜けて厳しい戦いが予測されます。だからこそ「自分たちが必ずやるんだ」という気持ちになっていたと思います。「想い」の強さが違う。うちの女子はそれなりに「強くなりたい」「戦いたい」と思っているでしょう。学内ではある意味浮いた存在になります。が、それは「狭い範囲だけの話」です。本当に勝負するべきはもっと他にいる。どこと比較するかなのです。きちんと戦う相手を明確にしなければいけない。

このあたりのことはまた別に書きます。力不足。うちが力不足であれば他は??難しい話です。

ある程度、自分自身の中で「想い」が固まりました。しっかりと進んでいきたいと思っています。
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中国新人~スタートラインに立つ~

2017-10-16 | 陸上競技
中国新人が実施されました。今回は国体に行っていたこともありほとんど練習を見ることができずに迎えました。これに関しては毎回のことですが。前任校ではある程度のことを自分たち出来るようになっていました。「練習するのは当たり前」であって特別なことではない。ベースに「強くなりたい」という思いが存在するので「どんなことがあってもやる」というのが普通の感覚です。ここは大きい。今はベースになる部分を構築しています。恥ずかしい話ですが「明確な温度差」が存在します。こちらも考えながらやる必要はあると思います。


金曜日の前日練習も一切見ることができませんでした。Nに関しては国体終了後から木曜日までは練習を休みにしました。そのため金曜日が初練習。実際に動のような走りをするのかを見たいなと思う気も父はありましたが私は運営委員の業務のため朝から山口に行っていました。完全に任せることに。更には金曜日に1年生が体調を崩して練習ができないのでは?という報告を受けていました。どうなるのか。現場にいないので何一つ対応できませんでした。

当日、朝のバトン練習の時だけ確認できました。3-4走のバトンが激詰まりでした。完全に出遅れています。県新人の決勝、アンカーが110m走りました。一気に追いついたのでリレーゾーンに入ってすぐに渡ることに。走力的にはアンカーにできるだけ短い距離を走らせたい。が、2回やっても出遅れてしまいました。この状況では絶対に予選落ち。本人たちには足長をフィニッシュ側に2足長伸ばさせました。一か八かの賭けです。これだけ詰まったバトンであれば絶対の予選通過はない。そうであれば失格するリスクを背負ってでもやるしかない。

レース直前のアップは役員の関係でみることができず。召集所の前で会うことができました。今度はいつも通りに出れるようになったということでバトンが届かないとのこと。元に戻したいと・・・。こういう状況で上手く結果を出せるのかは難しい。それでもやるしかないのですが。

レースは1組目の8レーン。外側には優勝候補のチームが。うちはほとんどバトン練習ができていませんからどうなるのか不安なありました。1走から流れに乗っていきました。1-2のバトンが少し詰まる。2-3のバトンが少し流れる。上手くいかない中で3走で完全なトップへ。2番手のチームに差をつけてきました。今の状況からすればアンカーで逆転されるのは当然の話です。そこは全員が分かっている。そこまでにどれだけ貯金ができるか。2位のチームには1秒8くらいの差を付けられたでしょうか。2秒差ですね。それでも何とか粘り49秒83で組の5着。次の組の4位が49秒85だったのでなんとか決勝に進むことができました。

決勝はプラスで残ったので2レーン。カーブがかなりきついですがやるしかない。3走までトップタイでしょうか。うちはバトンをフィニッシュ寄りに流していますから同じ区間までだけでいうとトップだったかなという感じはあります。そこからは力の差がでました。上位からは2秒以上離されました。7位のチームにも1秒以上。これが今の現実です。アンカーは精一杯走っています。力の差は最初から分かっていました。8位という結果を受け入れなければいけません。

49秒台が出た。これに関して誰か満足しているでしょうか。多分違うと思います。この記録では正直勝負にならない。相手にしてもらえませんでした。3走まで中国地区でトップで来る。それは評価できるのか?チームで強い選手を3走までに集めているので「当然」といえば当然の結果だと思います。他のチームはアンカーに強い選手を残しているのですから。

一応、決勝に残れました。これが「スタートライン」だと思います。49秒台で走ったところで今のところ上位には相手にしてもらえません。本当に勝負しようと思えば3走までに他のチームに0.3秒差はつけてこれないといけないと思います。2年生3人が弱い部分がある。それをさらに突きつけられたのは今回の収穫だと思います。本当の本当に「スタートラインに立つ」ことができてのではないかと。これまでの半年間、スタートラインにさえ立てていませんでした。あがき続けなんとかたどり着いたスタートライン。遠かった。

アンカーがどうしても矢面に立たされます。本当に申し訳なく思います。それでも今のチームとしてはそれがベストだと考えています。力はないが以前に比べると少しずつ走れるようになっている。「力がないから悪い」とは思っていません。それは今後どうにでもなることだから。「弱い」というのを突きつけられることで2年生も感じる部分があると思います。うちの女子は基本的に甘い。それはどの水準で物事を考えるかだとは思いますが。

昨年の中国新人8位、この春の中国総体8位、今回の中国新人8位。なんとか残っているだけです。8位を目指してやってきているわけではない。本当に目指すは上位3チームと戦うこと。今のままでは到底無理です。それを痛いほど感じることができたからこそ「スタートラインに立つ」ことができたと思います。

上手くまとまりません。難しいですね。
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2017-10-16 | 陸上競技
更新できず。それどころではないという感じでした。意欲云々という前に「物理的に不可能」という感覚でした。

水曜日、木曜日と職場へ。久しぶりでした。試験期間中なのであれこれ。Nは前日に帰ってきてからの試験です。かなりしんどかったと思います。本来であれば配慮がなされる必要があるのかなと。私は水曜日と木曜日、午後から2年生女子に勉強を教える。かなりの時間やりました。体力的にはかなりきつかったですがやるしかないので・・・。

金曜日からは中国新人の準備。8時半集合終了が18時くらいだったと思います。引き受けですから準備が必要になります。土日は中国新人。6時半集合、18時終了という感じでしょうか。ヘロヘロになりました。

こういう時に限って金曜日の朝から風邪気味。疲れ云々もあると思いますがとにかく体力的にきつい。精神的にも「何をやってるんだろう」と思うことがたくさんあり、しんどいですね。生きている意味さえ見失いそうになるくらいでしょうか。

生きています・・・。とりあえず記録しておきます。また書けたら書きます・・・。心身ともにしんどいですね・・・。
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