昨日、こんな報道があった。
病院に勤務していた44歳の医師が自殺した。遺族は過労によるうつ病が原因だとして、病院側に損害賠償を求めた。その訴訟の控訴審判決で、東京高裁は、請求を棄却した1審・東京地裁判決を支持し、遺族の控訴を棄却したのだ。
日本は、年間3万人もの人が自殺で亡くなる<自殺大国>である。もちろん原因は様々だろうが、うつ病はかなりの割合を占めているようだ。
うつ病からの連想だろう。ふと、中島らもさんのことが思い浮かび、『心が雨漏りする日には』(青春出版社)を取り出した。
病気の辛さは、他人に理解してもらうのが難しい。それが精神的な病だと尚更だ。
この本は、らもさんが、自身の「躁うつ病」体験をオープンにしたもの。しかし、単なる闘病記の類ではない。
自らをも客観的に見つめる作家らしく、苦笑、爆笑に溢れた“らも流”エッセイとなっている。
うつ病がらもさんを襲ったのは30歳のときだ。すぐさま妻に「励まさない。気分転換を強要しない。干渉しない」の3つの注文をした。
一旦回復した後、らもさんは不安を消すため仕事を増やす。しかも、酒を飲んでは書き、書いては飲む生活だ。結果は当然、アルコール性肝炎でダウン。困った人である。
だが、この入院体験が、吉川英治文学新人賞受賞作『今夜、すべてのバーで』を生み出したのだ。
再発は40歳。うつ病とアルコール依存症のWパンチで、ここからは入退院を繰り返し、飛び降り自殺の一歩手前までいく。
さらに、42歳の厄年には躁病にかかってしまう。やたらに怒る。人の意見は聞かない。芝居の稽古もつけられない。で、また入院・・。
その後、大量の薬をやめ、奇跡的な回復へと向かうまで、失禁と昏倒の日々が続く。この本が出たとき、らもさんは50歳。本人作の名コピー「こころだって、からだです」を実感する一冊だ。
それから2年後、らもさんは階段から転落し、脳挫傷、外傷性脳内血腫のため、亡くなってしまう。2004年7月26日のことだった。
病院に勤務していた44歳の医師が自殺した。遺族は過労によるうつ病が原因だとして、病院側に損害賠償を求めた。その訴訟の控訴審判決で、東京高裁は、請求を棄却した1審・東京地裁判決を支持し、遺族の控訴を棄却したのだ。
日本は、年間3万人もの人が自殺で亡くなる<自殺大国>である。もちろん原因は様々だろうが、うつ病はかなりの割合を占めているようだ。
うつ病からの連想だろう。ふと、中島らもさんのことが思い浮かび、『心が雨漏りする日には』(青春出版社)を取り出した。
病気の辛さは、他人に理解してもらうのが難しい。それが精神的な病だと尚更だ。
この本は、らもさんが、自身の「躁うつ病」体験をオープンにしたもの。しかし、単なる闘病記の類ではない。
自らをも客観的に見つめる作家らしく、苦笑、爆笑に溢れた“らも流”エッセイとなっている。
うつ病がらもさんを襲ったのは30歳のときだ。すぐさま妻に「励まさない。気分転換を強要しない。干渉しない」の3つの注文をした。
一旦回復した後、らもさんは不安を消すため仕事を増やす。しかも、酒を飲んでは書き、書いては飲む生活だ。結果は当然、アルコール性肝炎でダウン。困った人である。
だが、この入院体験が、吉川英治文学新人賞受賞作『今夜、すべてのバーで』を生み出したのだ。
再発は40歳。うつ病とアルコール依存症のWパンチで、ここからは入退院を繰り返し、飛び降り自殺の一歩手前までいく。
さらに、42歳の厄年には躁病にかかってしまう。やたらに怒る。人の意見は聞かない。芝居の稽古もつけられない。で、また入院・・。
その後、大量の薬をやめ、奇跡的な回復へと向かうまで、失禁と昏倒の日々が続く。この本が出たとき、らもさんは50歳。本人作の名コピー「こころだって、からだです」を実感する一冊だ。
それから2年後、らもさんは階段から転落し、脳挫傷、外傷性脳内血腫のため、亡くなってしまう。2004年7月26日のことだった。
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