碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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あってもおかしくない話と感じてしまう「9・11小説」

2008年10月05日 | 本・新聞・雑誌・活字
「9・11同時多発テロ」を描いた映画といえば、『ワールド・トレード・センター』や『ユナイテッド93』など何本かある。しかし、小説、それも日本人作家による作品となると、かなり珍しいのではないか。

栗山章さんの新作『テロリストは千の名前を持つ』(河出書房新社)は、この未曾有の事件に正面から挑んだ長編小説である。

2001年の秋。ニューヨークにあるロースクールで学ぶ日本人留学生・鳩崎は、指導教官から奇妙なアルバイトを依頼される。

落第しそうな科目の成績と引き換えに、連邦刑務所に収監されている日本人男性と、面会に来る娘との間の通訳をしないかというのだ。凶悪犯ばかりを収容するこの刑務所では、接見時の会話は英語に限られていた。

その男は斉堂剛毅(サイドー・ゴーキ)。99年に、爆弾の材料を運搬していたとして爆発物取締法違反で現行犯逮捕。起訴されて、懲役32年というひどく重い実刑判決を受けた。「危険なテロリスト」の烙印を押されたわけだ。

また、17歳になる娘の名はナディア。彼女の母親はパレスチナ人だったが、すでに亡くなっている。ナディアは日本の看護学校で学び、ベイルートの病院で働いていた。

結局、通訳を引き受けた鳩崎は、ナディアを迎えに行く。そして、小柄で、不機嫌で、無口な「テロリストの娘」と共に、刑務所のあるウイスコンシン州へと向かうのだ。

このあたりから、物語は急展開していく。ナディアをつけ回す当局。彼女に接触してくるイスラム系の男たち。

様々な不安や不審を抱えながら、いつの間にか彼女に魅かれていく鳩崎だったが、一日一日と、運命の9月11日が近づいてくる。

「あり得ない話」のようでいて、どこか「あってもおかしくない話」だと感じてしまう。いや、「もしかしたら・・」とさえ思わせる、絶妙の設定とストーリーだ。

テロリストは千の名前を持つ
栗山 章
河出書房新社

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