碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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厨房失格者が美味しくいただく<食のエッセイ>

2008年10月14日 | 本・新聞・雑誌・活字
恥ずかしながら、私は料理ができない。このジャンルに関してほぼ無能である。これまでまったくと言っていいほど、やってこなかったからだ。

大学1年で上京し、一人暮らしを始めた直後、少しだけトライしたが、すぐにやめた。才能がない、不向きだと思ったのと、ヘンな話だが、時間が惜しかったのだ。正直言って、料理をする時間も、本を読む時間に当てたかった。そんな18歳だった。

以来、10年後に結婚するまで、朝(トーストと牛乳)以外はオール外食だった。6年間の単身赴任の時でさえ、私の部屋には炊飯器もなかった。まあ、学生時代もその後も、安くてうまい食堂を見つける能力だけはあったので、困らなかったのだ。

仕事で、何人かのプロの料理人にもお目にかかった。その中には、亡くなってしまった「辻留」の辻嘉一さんもいる。そのお話をうかがい、目の前でその技を見ていると、料理というものが“尋常でないこと”だと分かる。で、ますます、自分で包丁を持つことをしなくていい、と思うようになった。

だから、プロでもアマでも、料理ができる男、料理をする男には、素直に尊敬の念をもつ。ひたすら、「すごい」と思う。

『笑う食卓』(阪急コミュニケーションズ)を出したばかりの立石敏雄さんも、(お会いしたことはないが)もちろん、すごい人である。

1947年生まれの立石さんは、『平凡パンチ』や『BRUTUS』などの雑誌に関わってきた元編集者であり、ライターだ。この本には、雑誌『Pen』に連載された人気コラムの8年分が収められた。

軽妙なその文章は、料理や食をテーマとしながら、独自のライフスタイルも生き生きと描き出している。

厚さ4センチ、約6百頁の大部であるが、グルメ御用達の有名店、普通は手の届かない高級食材、海山の珍味などが、ほとんど登場しない点に特色がある。これが嬉しい。

語られるのは煮物の味付けの方程式であり、海苔弁におけるワサビの功績であり、ゴーヤーの掻き揚げによるストレス解消である。厨房失格者である私でさえ、一度試してみたくなるような絶好のネタが並ぶ。

しかし、何より羨ましいのは、某女性誌編集長である夫人を送り出した後の過ごし方だ。

晩飯当番と称する料理と洗濯は担当するものの、ほぼ自由時間となる。夫人が出張でいなければ、極端な粗食を一日二食。あとは長い睡眠の後、刃物を研いだり山の釣堀に行ったり。座右の銘が「なんとなく」だというのもうなずける贅沢な半隠居生活だ。

食は人をシアワセにしてくれる。そのためには“立石流”探究心と、「うまけりゃいいや」の大らかさが必要なのだと納得した。

笑う食卓 〔Pen Books 〕 (Pen BOOKS)
立石敏雄
阪急コミュニケーションズ

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辻留 ご馳走ばなし (中公文庫)
辻 嘉一
中央公論新社

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