碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

謎の事件をめぐる3冊の本

2008年10月16日 | 本・新聞・雑誌・活字
本を読みながら、面白いなあ、面白すぎるぞ、と口に出しそうになった。

森 達也さんの『下山事件(シモヤマ・ケース)』(新潮文庫)である。

「昭和24年7月5日、日本橋三越から忽然と姿を消した初代国鉄総裁下山定則が、翌日未明常磐線の線路上で轢断死体となって発見された」という、戦後史に残る有名な事件。自殺か、他殺か、当時から様々な推理がなされ、これまでに松本清張(「日本の黒い霧」)をはじめとして、多くの作品が書かれている。

そこに敢えて“参入”するからには、それなりの“サムシング・ニュー”がなくてはならない。そして、この本には、それがあったのだ。

「事件の関係者の血につながるという人物」に出会ったことから、この追跡行は始まる。森さんは、ドキュメンタリー作家らしい取材を続け、分かっているといわれていることを確かめ、分かっていないことを少しでも明らかにしようとする。戦後史の“暗部”に触れる、スリリングなノンフィクションだ。

しかし、私が「面白すぎるぞ」と言いそうになったのは、それだけの理由ではない。

一つは、森さん自身が作品の中にくっきりと現れてくること。もちろん、「僕」という一人称で書かれているのだから当然のようだが、ここまで自分の思考、感情、迷い、また負の部分まで含めて書き込まれたノンフィクションは、そう多くない。

これは森さんのドキュメンタリー映像でもそうだが、自分自身をも「素材」として、作品という坩堝の中に投じていくのだ。「私小説」ならぬ「私ドキュメンタリー」。文章なら「私ノンフィクション」とでもいおうか。

そして、もう一つ、私が興味深く読んだのは、この作品が書かれるプロセス、出版されるまでのプロセス、その後のプロセスである。

具体的に言えば、一緒に取材をしていた「週刊朝日」記者が本を出し、さらに執筆の発端となった「事件の関係者の血につながるという人物」も、自ら本を書いたことだ。

つまり、内容の核となる“サムシング・ニュー”の部分が共通する3冊の本が出たことになる。これは前代未聞のことだ。

しかし、それだけこの事件の奥が深く、また強い磁力をもっていて、一旦足を踏み入れたら、中毒になってしまうということではないか。

かくして、下山事件をめぐる、新たな3冊の本が生まれたのだ。

下山事件(シモヤマ・ケース) (新潮文庫)
森 達也
新潮社

このアイテムの詳細を見る


葬られた夏―追跡下山事件 (朝日文庫 (も14-1))
諸永 裕司
朝日新聞社

このアイテムの詳細を見る


下山事件―最後の証言
柴田 哲孝
祥伝社

このアイテムの詳細を見る


<お知らせ>

明日、10月17日(金)、北海道のテレビ番組に、ゲスト・コメンテーターとして生出演させていただきます。

■10月17日(金) 9時54分~
 『のりゆきのトークDE北海道』 北海道文化放送(フジテレビ系)
 
■10月17日(金) 15時45分~
 『イチオシ!』 北海道テレビ(テレビ朝日系)


“変わらない風景”のおかげで生まれた物語

2008年10月15日 | 本・新聞・雑誌・活字
人と会う約束があって、銀座に出た。

かつて存在しなかったブランドの店がいくつも並んでいるが、私には関係ない。

伊東屋で来年の手帳の中身を買い、教文館の本屋さんで何冊かを入手する。そんな、何十年前と“同じコース”、“同じ風景”に、少しほっとした。

東京の“変わらない風景”の一つに、昭和33年に完成した東京タワーがある。

近刊の『東京タワー物語』(日本出版社)は、誕生50周年を迎える東京タワーを題材にした、16篇のエッセイ集だ。

たとえば、開高健さんはその眺望を「永遠感覚」と呼び、沢木耕太郎さんは333㍍上空での電球交換作業を想像する。

また、川本三郎さんにとっては「都市の遺跡」であり、泉麻人さんは昭和30年代へのタイムスリップを語っている。

東京タワーという“変わらない風景”があるおかげで生まれた、まさに高層の競演である。

東京タワー物語
泉 麻人ほか
日本出版社

このアイテムの詳細を見る


厨房失格者が美味しくいただく<食のエッセイ>

2008年10月14日 | 本・新聞・雑誌・活字
恥ずかしながら、私は料理ができない。このジャンルに関してほぼ無能である。これまでまったくと言っていいほど、やってこなかったからだ。

大学1年で上京し、一人暮らしを始めた直後、少しだけトライしたが、すぐにやめた。才能がない、不向きだと思ったのと、ヘンな話だが、時間が惜しかったのだ。正直言って、料理をする時間も、本を読む時間に当てたかった。そんな18歳だった。

以来、10年後に結婚するまで、朝(トーストと牛乳)以外はオール外食だった。6年間の単身赴任の時でさえ、私の部屋には炊飯器もなかった。まあ、学生時代もその後も、安くてうまい食堂を見つける能力だけはあったので、困らなかったのだ。

仕事で、何人かのプロの料理人にもお目にかかった。その中には、亡くなってしまった「辻留」の辻嘉一さんもいる。そのお話をうかがい、目の前でその技を見ていると、料理というものが“尋常でないこと”だと分かる。で、ますます、自分で包丁を持つことをしなくていい、と思うようになった。

だから、プロでもアマでも、料理ができる男、料理をする男には、素直に尊敬の念をもつ。ひたすら、「すごい」と思う。

『笑う食卓』(阪急コミュニケーションズ)を出したばかりの立石敏雄さんも、(お会いしたことはないが)もちろん、すごい人である。

1947年生まれの立石さんは、『平凡パンチ』や『BRUTUS』などの雑誌に関わってきた元編集者であり、ライターだ。この本には、雑誌『Pen』に連載された人気コラムの8年分が収められた。

軽妙なその文章は、料理や食をテーマとしながら、独自のライフスタイルも生き生きと描き出している。

厚さ4センチ、約6百頁の大部であるが、グルメ御用達の有名店、普通は手の届かない高級食材、海山の珍味などが、ほとんど登場しない点に特色がある。これが嬉しい。

語られるのは煮物の味付けの方程式であり、海苔弁におけるワサビの功績であり、ゴーヤーの掻き揚げによるストレス解消である。厨房失格者である私でさえ、一度試してみたくなるような絶好のネタが並ぶ。

しかし、何より羨ましいのは、某女性誌編集長である夫人を送り出した後の過ごし方だ。

晩飯当番と称する料理と洗濯は担当するものの、ほぼ自由時間となる。夫人が出張でいなければ、極端な粗食を一日二食。あとは長い睡眠の後、刃物を研いだり山の釣堀に行ったり。座右の銘が「なんとなく」だというのもうなずける贅沢な半隠居生活だ。

食は人をシアワセにしてくれる。そのためには“立石流”探究心と、「うまけりゃいいや」の大らかさが必要なのだと納得した。

笑う食卓 〔Pen Books 〕 (Pen BOOKS)
立石敏雄
阪急コミュニケーションズ

このアイテムの詳細を見る


辻留 ご馳走ばなし (中公文庫)
辻 嘉一
中央公論新社

このアイテムの詳細を見る

天高く、学園祭の秋、奇想天外な幕末物語を読む

2008年10月13日 | 本・新聞・雑誌・活字
今日13日は「体育の日」で、世間はお休み。

清水義範さんの新作『幕末裏返史(ばくまつうらがえし)』(集英社)を読む。

パスティーシュ(広い意味のパロディ)小説の第一人者が描く、奇想天外な幕末物語だ。歴史的事実に基づいていながら、それに縛られない“虚実皮膜”の妙を堪能できる。

幕末の激動期に活躍する架空のフランス人、アナトール・シオンが主人公だ。幼い頃の体験から大の日本贔屓となったシオンは、後にアメリカへと渡り、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアでジョン万次郎と出会う。

ますます日本に興味を持った彼は上海で日本語を学び、念願の日本上陸を果たす。それはペリーが来航する直前のことだった。

物語はそこから一気に加速する。幕府の相談役となったシオンは貴重な海外事情を伝え、日本を欧米列強の支配から守るために奔走するのだ。

しかも吉田松陰、坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛など歴史上の有名人、スター級の人物とも遭遇し、彼らに大きな影響を与える。そして、ついには条約批准書交換のための使節団と共に咸臨丸でアメリカにまで行ってしまう。

歴史に「もしも」は許されないが、本書には思わず拍手したくなる“企み”がいくつも登場する。現在の日本の姿をも逆照射する、哄笑に満ちた快作だ。

幕末裏返史
清水 義範
集英社

このアイテムの詳細を見る


昨日、今日の二日間は、大学の学園祭。いつも歩いているキャンパスにテントがけの屋台が並び、まるで竹下通りみたいな混雑振りだ。まあ、大盛況でよかった。お客さんの少ない学園祭ほど寂しいものはないからね。

午前中、音楽プロデューサーの松任谷正隆さんの講演。開演前、楽屋へご挨拶に行った。

松任谷正隆さんとは、以前、ドラマの仕事でご一緒したことがある。松任谷さんにとっての“俳優”初体験だったはずだ。その後は、音楽の仕事はもちろん、大好きな番組「カーグラフィックTV」もずっと拝見してきた。

講演では、大学の学生たちが参加した、苗場からのユーミンの映像配信プロジェクトの話をされていたが、今も、どこか少年っぽさを持ち続けている松任谷さんだった。

午後は、審査員を務める「高校生メディアコンテンツ・グランプリ」の授賞式も行われた。

高校生が応募してくれた「ビデオ・ムービー」と「ケータイ・ムービー」、それぞれを審査する作業は、なかなか楽しかった。わずか数分のショートドラマだが、シナリオ、カット割り、撮影、編集などがいずれも巧みで、映像センスを感じさせる作品もあったし。

授賞式には、兵庫県や長野県など各地から高校生が来てくれて、嬉しかった。これからも、ぜひ創り続けて欲しいものだ。

●高校生メディアコンテンツグランプリ2008WEBサイト
 http://www.medicon-gp.com/index.php


倉本聰さん“最後の連ドラ”、始まる

2008年10月11日 | テレビ・ラジオ・メディア
今週から、ドラマ『風のガーデン』(フジテレビ)がスタートした。

個人的には、この秋、一番楽しみにしていたドラマだ。放送開始直前に、メインキャストの一人、緒形拳さんが亡くなり、世間の注目を集めることになった。なんとも悲しい”番宣”だったわけだが、9日(木)第1回の視聴率は20・1%。

ドラマは、ピアノの調律をしている少年・神木隆之介くんから始まった。そして、祖父である医師・緒形拳さん。遠くに白く雪をかぶった山々が見える風景の中を、往診に行く緒形さんの車が走る。いいなあ、富良野だなあ、と思う。

しかし、視聴者の甘い旅情もそこまで。老医師が、在宅の認知症老人を診察する光景は、地方の、リアルでシビアな現実だ。このドラマが、ふだん見慣れた、やわな恋愛物や、原作マンガをなぞっただけの“二次利用”商品ではないことが分かる。

今回、脚本の倉本聰さんが選んだテーマは、ずばり「人間の最期」だ。「人間の最期」つまり「いかに死ぬか」を描くことは、「いかに生きるか」を描くことでもある。

今年73歳になる倉本さんが書き上げた「人間の生と死」。軽いドラマのはずはない。

人の命を救ってきた医師が、自らの命の、あまりに少ない“残量”を知るという逆説。残酷さ。これから、中井貴一さん演じる主人公は、どうその日々を「生きる」ことになるのか。

たぶん、毎回、見るのが辛い物語かもしれないが、やはり、しっかり見届けたいと思う。なぜなら、倉本さんは、制作発表の頃、「連ドラはこれが最後」と明言しているからだ。

そう、毎週見られる倉本ドラマは、これが最後なのだ。

倉本さんは、理由をこう説明した。「テレビ局が視聴率だけを考え、現場が悪くなった」からだ、と。

かつて『北の国から』などに携わってきたベテランスタッフたちの「技術や知恵が伝承されず、役者を含めて現場がものすごく悪くなった」と語っていた。

「質は考えず、視聴率だけで評価する」「脚本家、演出家、役者を悪くしたのはテレビ局の責任」と厳しい言葉も並んだ。まるで、テレビに絶望しているようだった。

前回の連ドラ『拝啓、父上様』が、視聴率が振るわなかったという理由で、低い評価を受けたのは事実。しかし、倉本さんが、それだけで絶望するはずもない。

もっと深いところ、おそらく、倉本さんにとって「何かを創り出すこと」のぎりぎりの部分に、ついにテレビの現状が抵触してしまったのだろう。残念だ。

とはいえ、ドラマは出来上がったものがすべて。あれこれの予断を捨てて、真っ直ぐ、このドラマに、倉本さんに、向き合っていこうと思う。

風のガーデン―SCENARIO2008
倉本 聰
理論社

このアイテムの詳細を見る


テレビになにが可能か

2008年10月10日 | テレビ・ラジオ・メディア
雑誌『日経エンタテインメント!』の取材を受ける。12月号(11月4日発売)の特集「エンタ界 数字の新常識55」だそうだ。

その中の「テレビ編」に入れる、「テレビ業界で押さえておくべき数字」というのがリクエスト。

うーん、数字かあ。思いつくまま、いくつか挙げてみた。

・関東エリアの視聴率サンプル家庭、600。
・民放の数、127。
・地方局の自主制作率、10%。
・キー局のゴールデンタイム(午後7~10時)における
 制作会社の関与、70%。
・デジタル化完全移行の2011年に
 残ると予想されているアナログテレビの数、5000万台 等々。

最後に、地上デジタル放送の話になったが、話せば話すほど、2011年7月にアナログ電波を止めるのは無理だよなあ、と思う。というか、「電波塔から電波を出す」という旧来の方法に固執すること自体に無理があるよなあ、と更に思った。

取材が終わって、早稲田大学へ。

早大キャリアセンター主催の就職講座で講演。職種研究としてディレクター・プロデューサーについて話した。

毎年この時期、早稲田に呼ばれるのだが、もう10年になる。この10年で、テレビを取り巻く環境も、テレビ界も、かなり変化してきた。そんな変化と、逆に変わらないもの、変わってはならないもの、その両方を話の中に織り込んだつもりだ。

早稲田の学生諸君は、いつも熱心に聴いてくれるので、話していて熱が入る。講演終了後も、会場ロビーで、学生たちに囲まれて、ミニ座談会となった。本気でテレビを目指す人にとって、何かしらヒントになれば嬉しい。

講演の最後に、参考図書に触れたが、ちょうど10月7日に発売されたばかりの朝日文庫『お前はただの現在にすぎない~テレビになにが可能か』を紹介できたのはよかった。

著者は、1970年に日本初の番組制作会社、テレビマンユニオンを創立したコア・メンバーである、萩元晴彦・村木良彦・今野勉の3氏だ。

当時TBSにいた彼らが、いわゆる「TBS闘争」を経験する中で著した、テレビマンのバイブルのような本である。たぶん、ある年齢以上のテレビ屋で、これを読んでない人はモグリだろう。長い間、絶版のままだったが、ユニオンOBの石井信平さんの尽力で、朝日文庫で復刊された。これは慶事。

「テレビになにが可能か」を真剣に考え抜いた大先輩たちの生々しい言葉に、再度、耳を傾けてみたい。

お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か (朝日文庫 む 13-1)
萩元 晴彦,村木 良彦,今野 勉
朝日新聞出版

このアイテムの詳細を見る


北海道ではストーブを出したそうだ

2008年10月09日 | 本・新聞・雑誌・活字
北海道の友人に連絡したら、「もうストーブを出しました」といわれた。そうか、北の大地は、もうそういう時期なんだよなあ。

6年間住んだ千歳の町。その真ん中を流れる千歳川には、今年もサケが来ているんだろうか。樽前山の山頂付近は、まだ白くなっていないんだろうか。

ちょっとホームシックみたいになった。

そこで、北海道と縁の深い作家・佐々木譲さんの新刊『わが夕張 わがエトロフ』(北海道新聞社)を読む。

小説『警官の血』などで知られる佐々木さんの、なんと初ルポルタージュ・エッセイ集だという。そうなんだあ、とヘンに感心。

本全体のキーワードが「北」、もしくは「北の旅」ってのも嬉しい。

佐々木さんの生地である夕張はもちろん、祖父や父が生きた国後や択捉島のルポにも、強い情感がこもっている。

読んでいるうち、やはり、北海道にとんで行きたくなった。

わが夕張わがエトロフ―ルポ・エッセイ集
佐々木 譲
北海道新聞社

このアイテムの詳細を見る

少し笑えて、すこし、しんみり

2008年10月08日 | 本・新聞・雑誌・活字
部屋を出たら、鈴虫の鳴き声がやけに近く、大きく聞こえる。なんと家の中、玄関にいた。靴と靴の間で、一生懸命鳴いている。まあ、そのままにしておこう。

それはともかく、タレントのアズマックスこと、東貴博さんが書いた小説『ニセ坊ちゃん』(幻冬舎)が出た。 

我が家では、中学生の息子が大ファンで、ニッポン放送「東貴博のヤンピース」もよく聴いている。

その息子にあげようと思って手にしたこの本だが、意外や、一気に読んでしまった。

ひとことで言えば、現在タレントとして活躍する著者が、コメディアンだった父・東八郎との思い出を小説にしたものだ。

この本で描かれている東八郎は、どんなに忙しくても必ず子どもたちの朝食を作る。そして、叱るときは真剣勝負だ。

しかし、「コメディアンの息子」にも辛いことはある。コメディアンなのだから当然なのに、周囲の子どもたちから「バカなことをやっているオヤジ」と言われてしまうのだ。アズマ少年には、それが悔しい。

「本当は、パパはすごいんだぞ」ということを、何とかみんなに分からせようとして、結構とんでもないことを次々と仕出かしてしまう。

アズマックス、まさか「ホームレス中学生」を狙ってはいないだろうな。それは無理(笑)。

気楽に読める、浅草を舞台にした少年の成長物語であり、昭和の家族小説だ。少し笑えて、すこし、しんみり。って、鈴虫か。

ニセ坊ちゃん
東 貴博
幻冬舎

このアイテムの詳細を見る

巨匠の知られざる素顔

2008年10月07日 | 本・新聞・雑誌・活字
人物ノンフィクションを読む。

中丸美繪さんの新作『オーケストラ、それは我なり~朝比奈隆四つの試練』(文藝春秋)だ。

『嬉遊曲、鳴りやまず~斎藤秀雄の生涯』の著者が挑んだ、指揮者・朝比奈隆の本格的評伝となれば、やはり読んでみたくなる。

93歳まで現役を貫いた執念はどこから生まれたのか。その名声に惑わされることなく、出自の影から音楽活動における葛藤や矛盾までが描かれている。

たくさんのエピソードが並んでいて、もちろん音楽家としての部分は興味深いが、個人的には、旧制の東京高等学校時代の仲間との交遊の話が好きだ。同級生たちが、当時の朝比奈を「愛すべヤツ」として語っているところがいい。

旧制高校から京都帝国大学法学部へ。芸大とか音大で育つのとは、かなり違った環境で青春を過ごしたわけで、朝比奈に与えた影響は大きいはずだ。

「ブルックナーの巨匠」の知られざる素顔を垣間見ることもできるこの本。生誕百年を記念する、よき一冊だと思う。

オーケストラ、それは我なり―朝比奈隆四つの試練
中丸 美繪
文藝春秋

このアイテムの詳細を見る



昨日、今日の2日間、日本広報協会主催の「広報映像セミナー」で講師を務める。

全国の市役所や区役所の広報担当者が集まり、広報番組などの広報映像に関して学ぶ、という講座だ。

毎年開催されているが、各地の皆さんと直接話が出来るのが楽しい。特に、意欲のある”若い衆”は応援したくなる。

行政の組織の中で、ややもすると「例年通り」「これまでを踏襲」で進んでしまいそうな場面も多いはず。ぜひ、参加した皆さんには。広報番組の既成概念にとらわれず、少しづつでいいから、トライを重ねていって欲しい。

現代史の生きた目撃者

2008年10月06日 | 本・新聞・雑誌・活字
いやあ、すごい本が現れた。

佐野眞一さんの新著 『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(集英社インターナショナル)である。

650ページを超えるボリューム、その内容の濃さ、読む者に考えさせる現実、まさにチカラ技だ。

甘粕正彦や阿片王などを通じて”満州の闇”を描き、それが現在にまでつながっていることを示した佐野さん。今度は沖縄だ。

これにも理由があって、戦後日本の<ありのままの姿>を捉えようとすると、満州と沖縄という二つの国土がせり上がってくるというのだ。そんな佐野さんの執念が、この傑作ノンフィクションを生み出したといえる。

この本の最大の特色は、「戦争被害者の島」、また「米軍基地の島」といった沖縄に対する既成概念に囚われていないことだ。

そうした「大文字」を排し、「小文字」にこだわっている。具体的には、徹底して<人間の物語>を追いかけているのだ。

失踪と怪死で人生の幕を閉じた沖縄出身のエリート議員。沖縄ヤクザ界の頂点に立つ超大物を即死させたヒットマン。島の経済はもちろん中央政治さえ動かす「沖縄四天王」と呼ばれる男たち。そして年間20億円の地料を受け取る「軍事地主」等々。彼らの歩みは<戦後沖縄の足取り>そのものなのである。

そうそう、この本の中で、ライブドアに関係していた野口氏が沖縄で亡くなった「カプセルホテル怪死事件」についても取材が行われている。佐野さんの結論は、「彼の死はほぼ間違いなく自殺である」。

さらに、「他殺説」を展開していた週刊誌に対しても、「興味本位」「大衆迎合の見本」と手厳しい批判をしている。 


佐野さんは可能な限り本人に会う。無理なら真相を知る者を探しまわる。たとえば、74年の組長狙撃事件に関しては、主犯と共犯の両方に会っている。

こうした取材で明らかになるのは、本文中に何回か出てくる言葉でいえば「思わず耳が勃起してくるような話」ばかりであり、読む者にも沖縄の実相がほの見えてくる。

それはまた、アメリカに振り回されてきた日本と、沖縄を振り回し続けてきた日本の醜い姿でもあった。

佐野さんが、講演で語ったという言葉が記されている。私たちは、普段気がつかないでいたり、忘れていたりするが、とても大事なことだと思う。

   「私たちは日々、歴史が動く瞬間に生きています。
    私たちは歴史をつくる存在であると同時に、
    現代史の生きた目撃者でもあるのです」

うーん、やはりノンフィクションも面白い。

沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史
佐野 真一
集英社インターナショナル

このアイテムの詳細を見る

あってもおかしくない話と感じてしまう「9・11小説」

2008年10月05日 | 本・新聞・雑誌・活字
「9・11同時多発テロ」を描いた映画といえば、『ワールド・トレード・センター』や『ユナイテッド93』など何本かある。しかし、小説、それも日本人作家による作品となると、かなり珍しいのではないか。

栗山章さんの新作『テロリストは千の名前を持つ』(河出書房新社)は、この未曾有の事件に正面から挑んだ長編小説である。

2001年の秋。ニューヨークにあるロースクールで学ぶ日本人留学生・鳩崎は、指導教官から奇妙なアルバイトを依頼される。

落第しそうな科目の成績と引き換えに、連邦刑務所に収監されている日本人男性と、面会に来る娘との間の通訳をしないかというのだ。凶悪犯ばかりを収容するこの刑務所では、接見時の会話は英語に限られていた。

その男は斉堂剛毅(サイドー・ゴーキ)。99年に、爆弾の材料を運搬していたとして爆発物取締法違反で現行犯逮捕。起訴されて、懲役32年というひどく重い実刑判決を受けた。「危険なテロリスト」の烙印を押されたわけだ。

また、17歳になる娘の名はナディア。彼女の母親はパレスチナ人だったが、すでに亡くなっている。ナディアは日本の看護学校で学び、ベイルートの病院で働いていた。

結局、通訳を引き受けた鳩崎は、ナディアを迎えに行く。そして、小柄で、不機嫌で、無口な「テロリストの娘」と共に、刑務所のあるウイスコンシン州へと向かうのだ。

このあたりから、物語は急展開していく。ナディアをつけ回す当局。彼女に接触してくるイスラム系の男たち。

様々な不安や不審を抱えながら、いつの間にか彼女に魅かれていく鳩崎だったが、一日一日と、運命の9月11日が近づいてくる。

「あり得ない話」のようでいて、どこか「あってもおかしくない話」だと感じてしまう。いや、「もしかしたら・・」とさえ思わせる、絶妙の設定とストーリーだ。

テロリストは千の名前を持つ
栗山 章
河出書房新社

このアイテムの詳細を見る

数学的論理性と完全犯罪

2008年10月04日 | 本・新聞・雑誌・活字
本屋さんの文庫本の”平台”に、映画公開に合わせて文庫化された、東野圭吾さんの『容疑者Xの献身』(文春文庫)がずらりと並んでいる。たしか初日が今日だったはずだ。

読んだのはもう大分前なので、文庫を買って、復習である。

「探偵ガリレオ」で鮮烈にデビューした天才物理学者探偵が湯川学だ。「予知夢」の次がこの作品だが、先の2冊が短編集だったのに対し、これは長編。

事件の背景にある切ない純愛も、冴え渡る湯川の推理も存分に味わえる。

例によって、帝都大学理工学部物理学科助教授である湯川を頼ってきたのは、警視庁捜査一課の草薙である。

一人の男が殺された。容疑者として浮かんできたのは元の妻・靖子。強引な復縁を迫られての犯行を疑うが、靖子にはアリバイがあった。

だが、このアリバイ、決して完璧ではない。ところが、崩せそうで崩せないのだ。

やがて湯川は、靖子の隣人が大学院の同期生・石神であることを知る。現在は高校教師としてひっそり暮らす石神だが、天才数学者といわれた男だ。

湯川は、自らが対決すべき相手は石神の頭脳だと直感する・・。

数学的論理性と完全犯罪。奇想天外、しかも実現可能なトリック。それに正面から立ち向かう精密な推理。

さらに、冷徹で孤独な数学者が出会った生涯一度の恋を描いた本書は、一級の本格ミステリーであることはもちろん、究極の純愛小説としても記憶に残るはずだ。

さあ、キャスティング的にも原作とは異なることも多い映画、果たして、どんなふうになっているのか。こちらは近々見に行くつもり。

容疑者Xの献身 (文春文庫 ひ 13-7)
東野 圭吾
文藝春秋

このアイテムの詳細を見る

タレントマネージメントという仕事

2008年10月02日 | 本・新聞・雑誌・活字
先日、かつて大学で私のゼミに所属していたメンバーが、何人か集まった。卒業して5~10年という面々で、毎年、11月には全体集会?みたいなゼミの同窓会が行われるが、今回のはそれまでの「つなぎ」となる小さな飲み会だった。

来られる人が来る、といったものだったが、テレビ局にいるメンバーが多く、キー局のほとんどが揃っていた。

中に一人、久しぶりに会った女子がいて、彼女はタレントのマネージメントをやっている。彼女が担当し、面倒をみてきた女性タレントは、今や誰もが名前を知っている人だったりして、テレビや雑誌で顔を見るたび、その背後に教え子である彼女がいる(仕掛けている)と思うと、面白い。

マネージメントの世界では、まだ駆け出しといわれるキャリアだが、その女性タレントを十分「売れっ子」にした手腕は見事だ。これからもっと学んでいけば、いずれ”大物マネージャー”になっていくかもしれない。勉強、勉強。

ということで、オススメの参考書は、野地秩嘉さんの『芸能ビジネスを創った男~渡辺プロとその時代』(新潮社)だ。

ザ・ピーナッツ、クレージー・キャッツ、小柳ルミ子、天地真理、森進一、ザ・ドリフターズ、キャンディーズ・・・こう並べると芸能界50年史が出来上がってしまう。

彼らを擁していたのが渡辺プロダクションだ。この本は、創業者・渡邊晋と彼の“王国”の軌跡を、丁寧な取材で追ったノンフィクションである。

まず驚かされるのは、現在当たり前になっている日本の芸能ビジネスの基本を、ナベプロが、いや渡邊晋が作ったという事実だ。

一人のスターを組織的に売り出す手法。タレント個人が原盤制作権を持てるシステム。「8時だョ!全員集合」など、番組制作も組み込んだ事業展開。いわば近代産業化である。

もちろん順風満帆な時だけではない。タレント、マネージャーの独立や、一種の“大企業病”も発生する。

しかし、その対応の中に、渡邊晋という稀有な経営者の真骨頂がある。金や権力を求めない。穏やかで威張らない。部下でも年下でも、多くの知恵を集めた上で、自らの判断を下すのだ。

そこには「帝王」「ワンマン」というイメージとはほど遠い、何ともいえない爽やかさがある。

芸能ビジネスを“表通りの仕事”にすること、芸能プロを“普通の会社”にすることを目指した男が逝って22年。この本のおかげで、ようやくその実像が見えてきた。

「芸能ビジネス」を創った男~ナベプロとその時代
野地 秩嘉
新潮社

このアイテムの詳細を見る

岩波新書「人はなぜ太るのか」を片手に減量作戦開始!

2008年10月01日 | 本・新聞・雑誌・活字
ようやく減量作戦を開始した。

高い血圧も、血糖値も、体重を減らすことで、問題はかなり解決すると医師から言われながら、「まあ、そのうちに」と先延ばししていた。

しかし、今回は医師および栄養士さんの指導も受けたことだし、「ひとつ、本気でやってみるか」ということになったのだ。

私の食生活を調べた栄養士さんからの厳命は、意外と簡単(?)なことで、間食としての「甘いもの」をやめること。つまり、”お見立て”によれば、3度の食事自体は特に食べすぎではなく、この間食で、余分なカロリーをせっせと摂取していたらしいのだ。

食品のカロリー表示の本を見せられつつ、説明を聞いたが、おやつにと普通に食べていた菓子パンやチョコレート、アイスクリームなどの、カロリーの高いことにびっくり。いや、恥ずかしながら、単なる無知でした。

無知を補うべく手に取ったのが、岡田正彦さんの『人はなぜ太るのか~肥満を科学する』(岩波新書)。

メタボリック症候群の流行で、肥満はすっかり犯罪扱いだ。もちろん私も肥満がいいことだとは思っていない。できれば何とかしたいと思う。だが、できない。

この本は、そんな軟弱者への福音の書かもしれない。肥満の仕組み、なぜ身体に悪いのか、そして健康的なやせ方も分かりやすく教えてくれる。

最大の利点は、肥満の怖さが科学的に理解できること。最先端の研究データによれば、肥満は緩慢な自殺どころではない。自分との無理心中である。怖いのだ。

長年、病院で予防医学の外来を担当してきた岡田先生の、愛ある厳しいアドバイスに耳を傾けた。

今回、私が行う<医師の指導による減量作戦>は、1年がかりの予定。目標は1年で10キロだそうだ。「ひえ~!」である。

甘いものを「やめる」のと、できるだけ「歩く」こと。それだけで、どこまで減るのか、まあ、やってみます。

人はなぜ太るのか―肥満を科学する (岩波新書)
岡田 正彦
岩波書店

このアイテムの詳細を見る