照る日曇る日第646回
女性教祖と救済思想と副題されたこの本を、とても興味深く親近感を持ちながら読んだ。
大本教の教祖としてあまねく世に知られることになったこの女性は、私の祖父の同時代のひとで、当時最底辺、最下層の貧民であった彼女が、質山峠を越えて襤褸の買い出しに行く姿を瞥見したといっていたのを覚えている。
郡是の創業者波多野鶴吉翁の影響のもとに基督者となり丹陽教会の設立に尽力した祖父にとって出口なおは奇矯の言を吐く気違い女であり、大本教は正体不明の邪宗であったことは言うを待たない。
祖父の強い教育的指導のもとで幼い時から強制的に教会に通わされた私は、亡き塩見牧師が窓の外に見える大本教本部のみろく殿を指差しながら、「あのような得体のしれない多神教よりも一神教のキリスト教のほうが遥かに優れた宗教なのです」と決めつけられたことを覚えているが、にもかかわらずだんだんと興味が失せ、とうとう今日のような無神論者へと腐敗堕落の一途をたどってしまったのはなんとしても残念なことだった。
大正10年の第1次大本事件の時は押し寄せた警官隊が爆発させるダイナマイトの音が町中を揺るがせたそうだが、30年後の私は彼らが完膚無きまでに破壊した出口なおと王仁三郎の桃山御陵に似た墓地跡の天王平で、夢中になって蝶を追いかけていたのである。
この本を読むと、そんな大本教と出口なおの来歴がじつに詳しく解き明かされていて参考になるが、いちばん驚いたのは、添付された彼女の旧居付近の地図に、私が通った散髪屋さんや好物の餅屋さん、同級生の家などが実名入りで掲載されていることだった。
出口なおと大本教は、私の中でいまなおいきいきと生き続けているのである。
