
ある晴れた日に第197回
新宿駅西口のいちばん代々木に近いトイレから、下のボタンをはめながら出てくるK義兄さんと出くわした。
「おお」、と「おお」、「久しぶり」と「お久しぶり」とが期せずしてぶつかった。
折しもラッシュアワーで大混雑する駅構内、
「いまちょうど紀伊国屋でね、君の本を買いに行ってきたんだ」
「あんなくだらない本をわざわざ奥沢から買いにいらしたとは。共著のうえに短い文がちょこっとだけ出ている本だから、お送りしなかったんです。まことに申し訳ありませんでした」
と急いで詫びて、それ以上立ち話もできず、「じゃあ元気で」、「お元気で」と頭を下げたのが永の別れとなってしまった。
春ともなれば奥沢の川面を埋め尽くした桜花。
K義兄さん、あなたは初めて上京した私に自由が丘でいっとう眺めのいい部屋を紹介してくださった。
K義兄さん、誇り高き帝国の軍人よ。
一度ならず二度までも米国の駆逐艦に撃沈され、太平洋の波濤に投げ出され、
そのつど奇跡的に友軍に救助された歴戦の勇士よ。
胸を張り、背筋を伸ばし、頬を紅潮させ、
「いくさに身を捧げしわが生涯に悔いなし」
と声を張り上げられた、在りし日のあなたの姿を私は忘れない。
なにゆえに今日も私は歌を詠む死んでも私を遺すためとや 蝶人