照る日曇る日第651回
全14冊の真ん中手前の1冊です。
主人公の「私」がヴィルパジリ夫人のサロンに出入りするようになり憧れのゲルマント公爵夫人と淡い交わりを結びようになるのですが、ドレフェス事件に興味のある一握りの奇特なご仁を除いて、おおかたの読者はその余りにも退屈な貴族サロンのおしゃべりに辟易して東の横綱「源氏物語」に匹敵するこの西の横綱格の大著を投げ出すのでしょう。
おお、度し難き愚か者め。古来名著には、必ずまったりと弛緩する凪のやうなラルゴがあり、最後には「宇治十帖」を激しく超越する嵐のやうに激烈なコーダが待ち設けていることも知らずに。
さて本巻の最大の読みどころは、尿毒症に冒されたあの優しかった祖母が次第に日一日と衰え、やがて静かに帰天するまでのじつに精密で精妙な描写で、じっさいに祖母を病床で看取った人なら、死が人世の幻滅をことごとく持ち去ったあとに「うら若い乙女の姿で」ベッドに横たわった在りし日の彫像を目の当たりにするに違いありません。
祖母が瞑目した瞬間、「私」の悲嘆が真摯なものであるかどうかを、祈るふりをして組んだ両手の間から監視している修道士の眼を「私」が鋭く見返すと、修道士は慌てて両手を閉じるのですが、この二人のそんな遣り取りを隈なく観察しているのが、この作家の二月の氷のように冷徹で畏怖すべき視線なのです。
なにゆえに障がい者に暴行をはたらくのか汝自身の精神障がいを知れ 蝶人