照る日曇る日第740回
人は誰でも忘れがたい一瞬の記憶やとぎれとぎれの印象を心の片隅に仕舞い込んで、長い歳月を生きているのだが、折に触れてその光彩が蘇ることもある。
「朝露の消なば消ぬべく恋ひしくもしるくも逢へる隠り妻かも」と柿本人麻呂がうたったように、朝露は儚く消えてしまうが、その一瞬の輝きを眼にした者は、その記憶を終生忘れることはない。
この本では著者の幼少の頃からの人世の歩みをたどりながらそのような朝露の一粒ひとつぶがさながらドビュッシーのピアノ曲のようにとめどなく開陳されてゆく。
というと詩的に聞こえすぎるかもしれなくて、昨年の十一月から半年間にわたって某紙に連載されたこの詩的エッセイを、著者による「詰らない早すぎる自叙伝の試み」として受け取る人もいるかもしれない。
子供のころ鉄斎江漢が掛かっていた思えば我が家も没落したもの 蝶人