茫洋物見遊山記第163回&鎌倉ちょっと不思議な物語第328回
大塔宮の近くには、かつて谷戸全体に広がる理智光院という大きなお寺がありました。
太平記には建武2年1335年に淵辺伊賀守義博が後醍醐天皇の皇子、護良親王の首を藪の中に捨てたのを理智光院の長老が拾って葬ったとあります。
昔は境内の中であったと考えられる山の上には、その護良親王の墓所がありますが、昼なお暗い森を貫く急な階段を上ろうとする人は、暗殺者の刀の先端を歯で銜えて抵抗しながらも、とうとう怨みを呑んで殺された親王の霊魂から発する異様な霊気を感じて、思わず身震いするに違いありません。
ちなみに私の次男は、小学生のころ肝試しと称して友達と一緒に夜中にこの墓所を訪れたというのですが、大人の私には到底そんな勇気はありません。我と思わう人はぜひトライして頂きたいものです。
なおこの理智光寺跡の近くの煉瓦色の洋館には、かつて作家の高橋和巳夫妻が住んでいましたが、私は志半ばで斃れた護良親王を思うたびに、その墓地のたもとで短い生を終えたこの薄幸の作家を連想するのです。
この道はいつか来た道百万のわが父祖たちが行き倒れし道 蝶人