照る日曇る日第1216回
私がいちばん好きな英国人、アーネスト・サトウの「日記」を著者は、いつくしむように紹介してくれる。長期にわたる新聞連載が、著者の死によって永久に中絶したことはまことに傷ましいことだった。
ところでサトウは、明治5年末、西国各地の灯台視察をする大隈重信に同行し、その途次に大隈の計らいで伊勢神宮を参観した。 今日は、その11巻北京交渉P57「伊勢神宮」1874年2月18日の報告などから、いくつかの記述を拾ってみよう。
*お伊勢参りに行こうじゃないか
「毎年、とくに旅行に適した温暖な春が多いが、数千という信者が伊勢参りに出かける。民衆は伊勢神社を「大神宮様」と呼んでいるが、江戸の職人などは少なくとも年に1度伊勢参りを済ませ大神宮様の加護を求めておかないと暮らしをたてて行くことはできないと考えているほどである。農民の場合この信仰はいっそうつよい」
*乞食同然の姿で旅する少年たち
「以前は江戸の商店で働く小僧が主人の家を暫く抜けだし、東海道を上って伊勢まで旅をしているのによくであったものである。かれらは旅人からの施物だけで旅を続けたのである。こうして伊勢神宮のお札(これは神宮の建築に使われた木材の破片で作られたものだが)このお札を手に入れると、かれらは、おなじような流儀で帰りの旅を続け、主人の家に戻るわけである」
*伊勢参りした犬
「伊勢参りを済ませた信者達は、油紙で包んだ大きなお札の包みを、紐で首からぶら下げているのが目に付く。犬でさえ伊勢参りをするという話があるくらいである。こういう犬はもちろん前述の少年達のあとをついていくのであろう。伊勢参りしたという「感心な犬」が1匹最近まで品川で生きていた」
*神棚
「どの日本人の家にも神棚というものが飾ってある。これは木製で神社の小さな模型である。そこにはさまざまな神の名前を記した紙のお札が収めてあるが、そのうちのひとつはかならず天照皇大神すなわち伊勢神宮の主要な祭神のお札である」

なにゆえに苗字がないのか雅子紀子「小雪」や「のん」と同じじゃないか 蝶人