照る日曇る日 第1350回
昭和53年から57年にかけての作品だが、「徒行」というより全国各地を行脚しての精妙な写実の歌が多い。
終わりの方に「昭和57年10月19日、鎌倉に1泊す」と詞書がある「方代と共に」という歌があった。
酒の酔ひさまさむとしてあらめやの二階にわれと方代とゐる
「あらめや」は以前鎌倉駅前の小町にあった料亭で、当時は旅館も経営していたようだから、酒を酌み交わした二人はそのまま2階に泊ったのかもしれない。あらめやは不思議な店で、私はその後「俄か画廊」に変身したこの1階で、大本教の出口王仁三郎の窯変茶碗に逸品を見たことがあるが、恐らく趣味人のオーナーがコレクターなのだろう。
それはともかく、その夜2人は
ある一人わが歌を責めまたひとりその歌釈けば夢薄らぎぬ
と次に歌われているように、お互いかなり激論を交わしたのではないだろうか。少なくとも方代に描いた玉城の幻影が崩れたことは間違いないだろう。
連作の最後には、
材木座はた十二所の社など恋ひ思へども疲れてはやむ
とあるから、ししかするとその日私との近接遭遇もあり得たかと想像を逞しうしてみたりした。
会ったことはないが、作者は恐らくつぎの「自戒」と題された
戯咲することを己に禁めける若き明恵を思はばいかに
の歌のような人物だったのであろう。
さて本巻のハイライトはといえば、間違いなく「昭和55年1月11日、父、肇死去。すなはち作れる長歌ならびに反歌」と詞書のある絶唱であろう。
長くなるので引用はしないが、この5つの歌を読みながら、私は覚えず落涙せずにはいられなかった。
玉城徹は、天下の抒情詩人である。
時折は頬笑みながらシューベルトの八重奏曲を弾くアリーナ・ポゴストキーナ 蝶人