音楽千夜一夜第454回&照る日曇る日第1476回
この短編集は「音楽」と「比喩」と「固有名詞」と「青春の思い出」に満ち満ちた、ある初老作家の美しい抒情詩であるが、本書にはもう一つの特色として、音楽、とりわけクラシックの作品に対する言及や引用が多い。
例えば「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」は、その非現実的で空想の産物がたるLPが突如顕現し、34歳で死んだ偉大なミュージシャンがカルロス・ジョビンの「コルコヴァド」をアルトサックスのソロで演奏するという文字通り夢のようなお話であるが、そのバードが死んでゆくときに頭に残る最高のメロディは、なんとべートーヴェンのピアノ協奏曲第1番の第3楽章の有名なロンドの旋律なのである。
「謝肉祭」では、魅力的な醜女と主人公との只ならぬ交情を描くが、2人が最も高く評価するのはシューマンの同名のピアノ曲である。2人は「謝肉祭」が演奏されるあらゆるコンサートに足を運び、全部で42枚のレコードやCDを聴く。そして彼女のベストワンはミケランジェリであり、我らが主人公はルビンシュタインというのであるが、果たしてどうだろう。
私は、彼らと共にアルゲリッチの「謝肉祭」に期待するとともに、「あらゆる音楽のうちで最もシューマンを愛している」という彼女が、なぜ「謝肉祭」を演奏も録音もしないのか訝しく思うのである。
ああ、それからね、「品川猿の告白」では、猿の分際ながらブルックナーが大好きな年老いた猿が登場し、「はい、7番が好きです。とりわけ3楽章にはいつも勇気づけられます」と告白することを書き忘れるとこだった。
村上春樹さん、短編はもういいから、次は長篇をお願いします。
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モーリス・アンドレのトランペットを聞きおれば一段と莫迦になった心地こそすれ 蝶人