あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

英EMI盤「ザ・グレート・オペラズ~ヴェルディ主要オペラ全曲集」を聴いて

2014-01-16 09:29:44 | Weblog


音楽千夜一夜第322回

つい最近消滅した英EMI盤によるヴェルディ・オペラ全集35枚組CDを聴き終わりました。

この1枚153円也の超廉価版ボックスセットは、全集ではありませんが、ヴェルディの代表的な16のオペラ作品が収録されているので、彼の記念イヤーにふさわしいコレクションといえましょう。

指揮者の中心はリッカルド・ムーティで、彼の指揮による『ナブッコ』『エルナーニ』『アッティラ』『マクベス』『椿姫』『シチリア島の夕べの祈り』『仮面舞踏会』『運命の力』という8つのオペラ演奏はいずれも聴きごたえがあります。

さらにジュリーニの『ドン・カルロ』、メータの『アイーダ』、レヴァインの『ジョヴァンナ・ダルコ』、パッパーノの『トロヴァトーレ』、そしてモノラル後期の録音からセラフィンの『リゴレット』、サンティーニの『シモン・ボッカネグラ』と、名指揮者の名演奏が続々登場しますが、やはりももっともヴェルディのオペラらしい演奏は、カラヤンの『オテロ』と『ファルスタッフ』でありましょう。

いつも思うことですが、ヴェルディのオペラを初期から最晩年までその作曲年代別に聴いていくと、誰の演奏で、何度聴いても、その音楽世界の濃さと深さが、その順番で高まっていくことが実感されます。

また『マクベス』、『オテロ』『ファルスタッフ』は、いずれもシェークスピアの原作ですが、これほど原作の精神に忠実で、しかもその文学的エッセンスを見事に音化した例はほかにないでしょう。



なにゆえに君は岩を手でつかまなかったのか92年夏のザルツブルクの山で 蝶人

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熊谷久虎監督の「智惠子抄」をみて

2014-01-15 09:37:04 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.612&鎌倉ちょっと不思議な物語第309回


いよいよ原節子特集が終わりに近づき、満員御礼の川喜多記念映画館で、本作を鑑賞しました。高村光太郎を山村聡、智惠子を原節子が熱演する1957年の東宝映画であるぞよ。

監督はヒロインが長く鎌倉浄明寺の熊谷邸に身を寄せた他ならぬ熊谷久虎であるが、彼のなみなみならぬ、そして小津にもおさおさおとらぬ思慕と愛情が、画面ぜんたいに満ちあふれる愛の映画である。

じっさい若き芸術の徒として画筆をとるショートカット姿の清純なヒロイン、精神に異常を来たした彼女の、まるで観音様のお顔から御光が差してくるような神々しい、至福の、そして恍惚の表情はこの映画の白眉であり、おそらく原節子が出演したすべての映画の、すべてのシーンのなかでももっとも美しい、日本映画史上不滅の名場面であろう。

熊谷久虎は、独逸でイトレルに会って心酔したり、戦時中私が蛇蠍の如く忌み嫌う極右国粋主義に入れ上げてとかく評判の悪い人物ではあるが、義妹原節子への至情の愛(それはもしかすると精神的なものだけではなかったかもしれない)がうみだしたこの記念碑的な数秒ゆえに、私はその演出のゆるさも、カットつなぎの素人芸も、なにもかも許そうと思うのである。


なにゆえに政治を歌に詠まないのかそれがあんたの政治的立場だからさ 蝶人
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カール・ズズケ&ヴァルター・オルベルツの「モーツアルトのヴァイオリンソナタ集」を聴いて

2014-01-14 08:18:21 | Weblog


音楽千夜一夜第321回


私がモーツアルトのヴァイオリンソナタの演奏で求めるのは、夢のような儚さとこの世を遠く離脱したようなある種のはるかさである。

そうなるとやはりグリュミオーとハスキルのデユオにとどめをさすが、この独逸人二人による演奏も捨てがたい。

ヴァイオリンソナタとはいうものの、むしろ主役はピアノのほうにあるので、オルベルツの明るく、平明で、そのくせいっさいの虚飾を取り払った、誠実で質朴で淡々とした演奏が、かえって作曲者の孤独な内面を的確にとらえているような、そんな感じがするのである。

正月は終わったが、この冬の寒さに耐えるためにときどき聴き返したいと思う。



悲しさは疾走なんかしないいつも私の部屋の片隅で佇んでいる 蝶人
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冬の日の朝夷奈峠

2014-01-13 11:08:33 | Weblog


「これでも詩かよ」第58番&ある晴れた日に第194回



朝夷奈峠を登って、熊野神社を通って麓まで戻ってくるあいだに、いろんなことが起こる。

春まだ浅い日の朝まだき、水たまりに忽然とあらわれて交尾し始めたカエルたち。

ある夏の日、大発生して狂ったように飛び回るルリシジミたち。

ある秋の夕べ、突然星月日と歌いはじめたサンコウチョウ。

そしてまだ松の内の今日の午後、いきなりバチバチと爆ぜるような音と共に、
枯れた樹木の梢から豌豆の鞘のようなものが降ってきた。

それらはバチバチバチバチと爆ぜながら、一斉に降ってくる。

どこまで行っても、私の頭めがけて、次々に降ってくる。

私は立ち止り、

その豌豆の鞘が立てる不思議な音を、それがなにかの啓示であるように耳を傾けていた。



   なにゆえにかくまで時代は閉塞するか三橋美智也よ「夕焼けとんび」を歌え 蝶人

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佐々木正美他著「わが子が発達障害と診断されたら」を読んで

2014-01-12 09:11:16 | Weblog


照る日曇る日第649回

医療の立場から(我が家の恩人でもある)佐々木正美氏、療育の側から海老名わかば園の諏訪利明氏、自閉症者の家族&専門職の立場から横浜市総合リハビリセンターの日戸由刈氏がそれぞれの視点から発言されているが、重度の自閉症者の兄、その兄の為に身命を擲って介護の極点まで到達された母(いずれも故人)という家族のもとで成人された日戸由刈氏の文章を読みながら涙が止まりませんでした。

突然トイレに行き服を決まった順序で全部脱ぎ、頭を便器に突っ込み、その後バスタオルで頭を丁寧に拭き、服をまた順番にきちんと着る。もし誰かが途中で誰かが止めればもう一度頭を便器に突っ込むところからやり直すという恐るべき「こだわり」を、この障がいの人々は大なり小なり持っています。

このとき大方の親や療育指導者は暴力を用いてでもそれを強引に抑止し、断固として健常児者のようにふるまうように「指導、教唆」するのですが、それはかえって逆効果となり生涯に亘って消えることなく、脳内で増幅拡大再生される精神的な傷跡を蓄積することになるのです。

たとえそれがいかなる善意に基づいているにせよ、脳の先天的な機能障がいをもつ自閉症児者を、風邪やガンのように「治そう」としたり、スパル教育的に「改善・善導」することが、いかにナンセンスで、場合によっては致命的な行為であるか。(ほかならぬ我が家の自閉症者もその悲しい犠牲者の一人ですが。)

日戸氏がいうように、「平坦ならざる人生を歩んで行く彼らをいたわり、ねぎらい、人間として尊敬を持って遇する」こと。そして「障がいを治そうとしたり、良くしたり、変えようとせず、そのまま彼らを歩ませること」こそ、この器質障がいの持ち主たちに取るべき基本的な態度ではないかと、悪しき親としての自戒をこめて、痛感するのです。


     なにゆえに福田の里より電話しないホームステイの息子よ元気か  蝶人
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静かな海と楽しい航海

2014-01-11 12:44:53 | Weblog

「これでも詩かよ」第57番&ある晴れた日に第193回


朝はコーヒーとトースト、
昼は「笑っていいとも」を見ながら生協の関西風キツネうどん、
夜は肉じゃがとご飯とみそ汁とデザートにイチゴを食べて、

寅さんの映画を一本見てからお風呂に入り、
「いろいろあったけど、今日もなんとか一日終わったね」
などと言いながら、親子三人枕を並べて寝てしまう。

「たまには朝の七時までぐっすり寝ていたいね」
という声も確かに聞こえた。
「いつまでこうしていられるのかしらね」という声も。

ああ、静かな海と楽しい航海。
われらは今夜も船に乗る。
三々五々で宙に舞う。

しかし波一つない海岸には、
大きく傾いた一本の松の木だけが、
しきりに北風にそよいでいるだけ。

私こと今日もいろいろありまして、それなりに楽しかったのですが、
そのいろいろが突然無くなる日が、
誰にも訪れると改めて知った。

神と仏の不在は、いつまでも続くのであるか。
やはりこの世には神は再臨せず、
無量千万億の菩薩は地上に湧出しないのであろうか。

私の驚き。
それは、あれだけ人世と神様にシニカルだった伯母さんが、
いよいよとなるとガバと祭壇にぬかずいたこと。

けれども、彼女はほんとうに神様を信じていたのだろうか?
迫りくる死の恐怖に耐えきれず、
目の前を流れてきた木の十字架に縋り付いただけではなかったのか?

ここで皆さんに質問。
もしもこの世に神仏のご一人ご一体もいまさずば、
あなたの人世 寂しいですか? 空しいですか?

そう訊かれたら、私だっていくぶんは寂しく空しい気持ちに襲われるが、
その寂しさと空しさにじっと向き合うことが
われらの人世を、より実直なものに仕上げることになるのではなかろうか。

人間は神仏なき世にあって
ただ一匹の動物として生まれ、一匹の動物として黙って死んでゆく。
それでいいのだ。それでいいのだ。

ああ、静かな海と楽しい航海。
われらは今夜も船に乗る。
三々五々で宙に舞う。


     なにゆえに出したメールをシカトする無礼じゃないかなんとか言えよ 蝶人
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橋本征子著「青い魚」を読んで

2014-01-10 10:13:11 | Weblog


照る日曇る日第648回


「夏の呪文」「闇の乳房」「破船」「秘祭」に続く北の詩人の最新作が届けられました。

冒頭の「青い魚」を皮切りに「キャベツ」、「そら豆」、「カブ」、「サラダ菜」、「みょうが」、「歯」、「ルピナス」、「メークイン」、「ラ・フランス」、「ブラック・オリーヴ」、「オレンジ」、「プラム」、「海月」、「オリーヴ・オイル」、「柘榴」、「林檎」、「肩甲骨の木」と全部で18の詩篇が並んでいるのですが、その大半が私たちにとっても身近な場所にある、いわばなんの変哲もない題材なのです。

ところが詩人がひとたびそれらを凝視すると、「わたし」はたちどころに「青い魚」へと変身し、キャベツの葉は「死者たちの掌」、そら豆は「わたしの醜い親指の第一関節」に、サラダ菜の真ん中には「わたしの桃色の乳首」が咲くことになる。

このようにいともたやすく対象に憑依し、対象と主客一体となった瞬間から、詩人独自の美しくも恐ろしい魔術的な幻想が次々に生まれてくる姿は、一種の驚異というべきでしょう。

そしてそれは、キッチンから飛び立ち、窓から外に出て、街路や海や広大な空を舞い、遠くはるかな宇宙の高みへと飛翔していくあいだに、なにやら人類の普遍的な夢と記憶の記念塔へと変容していくようなのです。

日常から非日常、「いまここ」から「いつかどこか」、個から出て普遍、全体へといたる目には見えない、高くて、氷のように透き通ったスケルトン。

大本教の開祖出口なおが、おのれの身近な素材に憑依して、世界認識の鍵となるお筆先を解きはなったように、詩人は、おのが身の周りのありとあらゆる事物に憑依して、独自の詩語をはなち、それによって固有の世界認識に通ずる独創的な回路を見いだしたのではないでしょうか。




     なにゆえに人の心は見えぬのかすべての人は通り過ぎゆく 蝶人
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逗子の「岩殿寺」を訪ねて

2014-01-09 10:48:40 | Weblog



茫洋物見遊山記第144回&鎌倉ちょっと不思議な物語第308回


ここは鎌倉ではありませんが、限りなく鎌倉に近い逗子の山の上に立つ曹洞宗の古刹、海雲山岩殿寺で、境内からはかつて泉鏡花が賛嘆した逗子湾の絶景をいまも眺めることができます。

このお寺は古くはかの後白河法皇が参拝して坂東33ヶ所第2番の霊場と定められたそうですが、法皇が東下した史実はないので、これは眉つばでしょう。しかし鎌倉幕府の将軍との縁は深く、長女大姫の病回復を祈願して頼朝と政子は、夜な夜な第1番霊場の杉本観音からの巡礼古道をたどり、お百度を踏んだと伝えられています。

されどそもそも大姫の病気は、頼朝が彼女の婚約者であった木曽義仲の長男義高との相思相愛の仲を引き裂いた精神的なショックからきており、いわば自業自得ともいえましょうが、昔も今も子を思う親の心に変わりはないと改めて思わされる逸話です。

ところが月夜の鬱蒼とした杉木立の中を頼朝夫婦が手に手をとって歩んだ巡礼古道を、ほかならぬ逗子市が道路建設のために破壊したために、この歴史的遺産は往時の姿をとどめることなく、その途次で無惨にも断ち切られてしまったのです。

お寺の裏山に立ち、その道路越しに遥か鎌倉を望めば、環境破壊の傷跡とともに、はかなく消えた中世のひとつの恋の行方を偲ぶことができるでしょう。




なにゆえにたった一日で終わってしまったのか東西十五万人が集まった関ヶ原の戦い 蝶人
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ドナルド・キーン著作集 第八巻「碧い眼の太郎冠者」を読んで

2014-01-08 10:44:59 | Weblog


照る日曇る日第647回


谷崎潤一郎が序文を書いている表題作、外国人向けの本邦案内書である「生きている日本」、各地の訪問記である「日本再見」、そしてクラック音楽についてのエッセイ「わたしの好きなレコード」他一篇の三冊の単行本を一巻にまとめた分厚い本であるが、なんといっても面白かったのは、かつて「ドナルド・キーンの音盤風刺花伝」というタイトルでレコード芸術に連載された音楽談義である。

メトロポリタン歌劇場の全盛時代に著者が耳目を属したフラグスタート、メルヒオール、ピンツア、ビヨルリング、ニルソン、カバリエ、ロス・アンヘレスなどへの共感もさることながら、50年代のカラスの「トスカ」をまの辺りにした著者が、「私を愛して、アルフレード、私があなたを愛するのと同じくらいに!」と叫んだ時のカラスと、光源氏への愛と現世への愛をいままさに捨て去ろうとする瞬間の六条御息所のためらいを重ねて見せる時、それは最高の高みに達するのである。

私は「フィガロの結婚」の白眉は、第4幕の最後でアルマヴィーバ伯爵が許しを乞い、伯爵夫人がそれに応ずるわずか数小節にあること信じている(だからベームが素晴らしく、アーノンクールなぞ二流三流の指揮者の演奏が全然駄目なのだよ)が、著者もその見解を認めたうえで、モーツアルトの天才は、他の作曲家がしたであろうようにその黄金の旋律を繰り返して展開しなかった底知れぬ懐の深さにあると論じているが、さもありなんと頷かれる。

ミラノスカラ座で「神々の黄昏」のサクラに雇われた話、1941年のメットでワルター&フラグスタートの、1950年のザルツブルク音楽祭におけるフルトヴェングラーとまた彼女との「フィデリオ」を聴いた著者の終生忘れ難い感動、英コベントガーデンでカラスの「ノルマ」を聴いた著者の絶叫が、その海賊版CDに収録されている話、三島由紀夫は「レオノーレ序曲第3番」を聴いているうちに「「獣の戯れ」のプロットを思いついた話等々、じつに興味深い逸話がてんこもりの本書は、音楽と文芸の共感覚について話が及び、「詩の一行が音楽と化し、一節の旋律が一篇の詩に行きわたる」と論じたうえで、次の一句を示して画龍点睛の見事な大団円となる。

       海くれて鷗のこゑほのかに白し はせを


        なにゆえに突然悲哀に墜ちるのか倹しき我が家も妻子もあるのに 蝶人
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安丸良雄著「出口なお」を読んで

2014-01-07 09:55:58 | Weblog

照る日曇る日第646回


女性教祖と救済思想と副題されたこの本を、とても興味深く親近感を持ちながら読んだ。

大本教の教祖としてあまねく世に知られることになったこの女性は、私の祖父の同時代のひとで、当時最底辺、最下層の貧民であった彼女が、質山峠を越えて襤褸の買い出しに行く姿を瞥見したといっていたのを覚えている。

郡是の創業者波多野鶴吉翁の影響のもとに基督者となり丹陽教会の設立に尽力した祖父にとって出口なおは奇矯の言を吐く気違い女であり、大本教は正体不明の邪宗であったことは言うを待たない。

祖父の強い教育的指導のもとで幼い時から強制的に教会に通わされた私は、亡き塩見牧師が窓の外に見える大本教本部のみろく殿を指差しながら、「あのような得体のしれない多神教よりも一神教のキリスト教のほうが遥かに優れた宗教なのです」と決めつけられたことを覚えているが、にもかかわらずだんだんと興味が失せ、とうとう今日のような無神論者へと腐敗堕落の一途をたどってしまったのはなんとしても残念なことだった。

大正10年の第1次大本事件の時は押し寄せた警官隊が爆発させるダイナマイトの音が町中を揺るがせたそうだが、30年後の私は彼らが完膚無きまでに破壊した出口なおと王仁三郎の桃山御陵に似た墓地跡の天王平で、夢中になって蝶を追いかけていたのである。

この本を読むと、そんな大本教と出口なおの来歴がじつに詳しく解き明かされていて参考になるが、いちばん驚いたのは、添付された彼女の旧居付近の地図に、私が通った散髪屋さんや好物の餅屋さん、同級生の家などが実名入りで掲載されていることだった。

出口なおと大本教は、私の中でいまなおいきいきと生き続けているのである。



    なにゆえに「みんないなくなっちゃった」というのまだ私たちが生きているのに 蝶人
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ジェームズ・ブルックス監督の「愛と追憶の日々」をみて

2014-01-06 10:07:50 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.611


ジャック・ニコルソンがなんと宇宙飛行士役でシャーリー・マックレーンと悪乗りして丁々発止、嫌み寸前の名演怪演を繰り広げるのが見ものの映画だが、マクレーンの娘役のデブラ・ウインガーが3人の子供を抱えて、まだ若いのにガンで亡くなってしまうという悲しいお話。女房をさしおいてヒョロヒョロ若い女に手を出す夫役をジェフ・ダニエルズが好演している。

デブラ・ウインガーはいよいよいけなくなって病院で愛する息子(なぜか娘はいない)に別れの言葉をかけるのだが、本当は母親を愛しているけれど、反抗期で親に反発して無視している長男は、こんな人世の大事な瞬間なのにソッポをむいて突っ張っているのが、まるで幼い時の私のようで微笑ましくも悲しい。

息子に対して、デブラは「君は本当は私を愛しながら、わざとそんな不遜な態度を取ったことを、私が死んでから悲しみとともに悔いるだろう。しかしそんな君のことを、私は今許すと言ってあげるわ」とコメントして別れを告げるのだが、先回りしてそんな余計なことを言う必要はまったくなかった。

母に死なれた息子は、その時が来れば、自分からその折りの不遜な態度を死ぬほど後悔して泣くのだから。



なにゆえにものに怯えて噛みつくや被災地からやって来た次郎 蝶人 

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泉下の人

2014-01-05 10:23:54 | Weblog


「これでも詩かよ」第56番&ある晴れた日に第192回


ことしは、むかし私が勤めていた会社の同僚が他界された。

安永和代さん。

ことしの五月に八〇歳で儚くなられたという。
満州から引き揚げてこられた方で、詳しくお尋ねしなかったが、きっといろいろ苦労されたに違いない。

私が入社した時安永さんはすでに超ベテランOLで、
ちょっと昔風にいうと「お局さん」として小さな組織に君臨していたから、
若い女子は敬して遠ざけていたが、私には優しかった。

しかし私がグアムに出張したとき、お土産に樽の中から兵隊のオチンチンが飛び出す大人のオモチャを買ってきたら、
「課長、課長、見て下さい! 佐々木さんたら、こんな酷いものを買って来たんですよ!」

と血相変えて言い付けられたことがある。
そーゆー軽い冗談をいっさい受け付けない、
とても真面目な方だったのです。

酒井精一さん。

彼の名前は、彼の父上が親しかった農業経済学者の東畑精一氏にちなむ。
東大国文の秀才で、卒論は「保田與重郎論」。
私は彼から「橋」にまつわる興味深い話をはじめて聞いた。

「あのね、僕がいっとう快感を覚えるのは、高速をドライブしながら、車がゆっくり右に曲がっていくときなんです」
と教えてくれた。

私はその一部をちょっと変えて、
「左側にハンドルを切り高速を墜ちゆくときの軽き眩暈 」
という短歌を詠んだが、それを彼に見せる機会はついに訪れなかった。

七月一七日。まだ早すぎる六〇代での急死でした。

さて今宵は西暦2013年のクリスマス・イヴ。
私は深く頭を垂れ、おふたりの霊よ安かれと祈っています。
さほど遠くない日の再会を約しつつ。


          なにゆえに道は右に曲がるのが気持ちいいのか亡き君に訊ねている 蝶人

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ある修道女

2014-01-04 09:26:23 | Weblog


「これでも詩かよ」第55番&ある晴れた日に第191回


山の麓の公園で、ひとりの修道女が携帯電話をかけていた。
声を潜めて話していた。

修道院に入るにはお金が要る、と誰かから聞いた。
お金の額で待遇が決まるというのだ。

地獄の沙汰のみならず
天国の沙汰も金次第。

厳しい戒律に縛られて
あんがい自由もないのだという。

山の上には修道院
「無用の者立ち入るべからず」の張り紙。

齢老いた修道女の電話は続く。
いったい誰と、何を話しているんだろう。



    なにゆえにこれほどの傑作を採らぬのかといたずらに選者を怨みし朝も再々 蝶人

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鎌倉でいちばん美味しくて、良心的なイタリアンは?

2014-01-03 10:19:36 | Weblog


バガテル-そんな私のここだけの話op.171 &鎌倉ちょっと不思議な物語第307回

たまたま鎌倉に住んでもうすぐ40年になんなんとしているわけですが、当時は昔ながらの商店や食べ物屋さん以外にほとんどなにも無かった田舎町に東京資本のいろいろなお店がどんどんできて、観光客も増えてきました。

例のユネスコ遺産騒動も手伝ってか、最近はアホ莫迦テレビが見境なしにそれらの飲食店や土産物屋を取材し、それまで住民が敬して遠ざけていた超超不味い店にまで長蛇の列ができているのは、バカバカしさを通り越してちょっと怖いような気持ちにもなります。

そんな町に私がたまたま長く住んでいたからといって、色々なところを食べ歩いているわけではないのですが、最近私が入れこんでいる「Trattoria Fonte Kamakura」(トラットリア フォンテ カマクラ)というイタリアンを紹介したいと思います。

その名前が示す通り、リストランテではなく、よりカジュアルで家庭料理風のメニューを供するこの小さなトラットリアは、 鎌倉駅東口から5番のバスに乗り、7分くらいでつく「岐れ路」停留所を降り、進行方向にある「岐れ路」の信号を越えて2分歩いた「大御堂橋」の信号の手前にあります。(途中右側に違う名前のイタリアンがあるので間違えないように)

ここはイタリアに留学して料理を叩きこんだ若いシェフが赤ちゃんが生まれたばかりの奥さんと2人でやっているこの店は、とれたての鎌倉野菜や近海の新鮮な魚などが見事に生かされており、そのくせ値段がとても安く、いつ訪れても心から満足させてくれる超お薦めのトラットリアです。客の大半は近所の住人ばかりというのも気に入っているのですが、来鎌倉の節はどうぞその手軽な素晴らしさをお試しください。

店のHPはhttp://trattoriafontekamakura.com/

奥さん手書きのブログはhttp://fonte22.blog.ocn.ne.jp/



         なにゆえに同じ水曜日に休むのかお向かい同士のイタリアンレストラン 蝶人

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「マニフィカト~500年の合唱音楽」を聴いて

2014-01-02 20:40:31 | Weblog


音楽千夜一夜第319回


ルネッサンスからバロック、古典派、ロマン派の時代を経て現代へと至る過去500年の中で歌われてきたさまざまな合唱音楽の中から、代表的なものを中心に50枚のCDにまとめたお買得なボックセット。2012年度グラミー賞合唱部門受賞のウィテカーのアルバムまで収録されています。

ガーディナーやホグウッド、ピノック、ルセなどのピリオド系に加え、ジュリーニ、デュトワ、ケンペ、ショルティ、デュトワ、デイヴィスといった巨匠たちの名前が並ぶのは壮観で、マクリーシュの『天地創造』、ブーレーズの『詩編交響曲』まで代表的な合唱曲を50枚のCDに収めています。

特に聴きごたえがあったのは、シャイーとゲバントハウス管弦楽団の『マタイ受難曲』で、これはビデオで視聴したときはつまらない演奏だと思ったのですが、このCDは良かった。

その他のバッハの受難曲やカンタータを担当しているのはガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツとモンテヴェルディ合唱団ですが、これは半分過去の人の過去の音楽の面影を耳にしているような印象で、新旧すべてに冠絶するものは、やっぱりカールリヒターとミュンヘンバッハの大演奏でありましょう。

しかしデッカとドイツ・グラモフォンの総力を結集した名演名録音が、安倍蚤糞による価格暴騰にもめげずたった1枚185円という廉価で入手できるのは喜ばしい限りです。



なにゆえにEMIもフィリップスも無くなったのか栄枯盛衰クラシック・レーベル 蝶人
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