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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

「リヒアルト・ストルツマン・クラリネット作品集」全10枚組を聴いて

2014-07-12 10:21:33 | Weblog


音楽千夜一夜第332回


ストルツマンのクラリネットは、モザールであろうがプーランクであろうが、常に清く正しく明るく、しかも透明でのびのびとした旋律を奏でる。その点ではちょっとフルートのランパルに似ているのかもしれない。

であるからして、とかく晦渋な印象を与えがちなブラームスのクラリネットソナタやトリオをリチャード・グードや東京カルテットのメンバーと演奏しても、まったく屈託がなく、晴れた空に暗雲ひとつない精朗な音楽が流れているさまは、能天気な笛吹童子の生まれ変わりかと思う人もいるかも、しれないか。



なにゆえに曇り空から晴れ間がのぞく笛吹童子は能天気だから 蝶人

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「丸谷才一全集」第七巻を読んで

2014-07-11 10:08:47 | Weblog


照る日曇る日第716回

後鳥羽帝に対する深い理解と愛情に打たれる著者入魂の傑作

私は昔から「万葉集」の晴朗で単純素朴かつ古代的な風韻が大好きで「古今集」やそれに続く「新古今集」、殊に後者のよくいえば知的で洗練された、悪くいえば持って回った小利口な歌いぶりが大嫌いであった。

王朝和歌につきものの本歌取り、縁語、掛け言葉、歌枕、序詞、枕詞、句切れなどの技法の駆使が、歌の本質であるエラン・ヴィタールを忘れた空疎な言葉遊びに見えて、こちらの知的能力の低さも相俟って長く敬して遠ざけてきたのである。

しかし本書の中核を成す「後鳥羽院」についての論考を読んでいるうちに、承久の乱で隠岐に流されたこの帝王の歌人としての素晴らしさを教えられ、いやあこれは当代一の歌人、藤原定家に匹敵する、いなそれ以上の大歌人かもしれないな、と思わされるに至ったのであるから、やはり丸谷才一の文学論は隅におけない。

「見渡せば山もと霞むみなせ川夕べは秋と何思ひけん」は水無瀬離宮を詠みながら、中世の幽玄美を凝縮した象徴詩であるし、「みよしのの高ねの桜ちりにけり嵐もしろき春のあけぼの」における「嵐もしろき」にはモダニストとしての上皇の真骨頂が表明されている。

「我こそは新じま守よ沖の海のあらき浪かぜ心してふけ」という海に雌伏を命じる至尊調の帝王振りも好ましいが、寵妃尾張を喪った哀傷歌「思ひいづるをりたく柴の夕けぶりむせぶもうれし忘れがたみに」の「むせぶもうれし」に込められた近代的な、いや現代的な愛と悲嘆は、およそ800年後の今を生きる私たちの胸を深く刺すのである。

詩歌の本質は宗教と祭儀と呪術にあること、「宮廷文化なくして詩歌なし」と考えた後鳥羽帝に対し、藤原定家が「「余情妖艶」を追及して宮廷から限りなく遠ざかることが詩歌の文化的自立である」と考えたことが偉大なライヴァルたちの別れ道であったこと、枕には霊が宿ること、古代から中世には秋、とりわけ七夕には共寝する習慣があったこと、恋愛と国見が国王の最大の仕事であること、国王に名前がないのは母系制社会の副産物であること、後白河院が定家の父俊成に編ませた「千載集」は崇徳院の怨霊の祟りを鎮めるためであった等々、さまざまな卓見とゆくりなくも巡り合える本書ではあるが、これを一言にして尽くせば、「後鳥羽帝に対する深い理解と愛情に打たれる著者の入魂の作物」ということになるだろう。



なにゆえにこの本はわれらの胸をうつ隠岐に果てし帝への哀傷深し 蝶人
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石井裕也監督の「舟を編む」をみて

2014-07-10 13:12:32 | Weblog

bowyow cine-archives vol.656

三浦しをんの原作は読んだことがないが、その代わりにこの映画を見たが、なかなか面白かった。登場する人物もことごとく壺にはまっているし、私の嫌いな宮崎あおいも意外な好演をみせている。

若いのにこの監督はなかなかやるじゃないかと引きつけられて鑑賞しているうちに、まてよ、俺の生涯の夢は辞典を編集することだったはずではないかと妙なことに思い当った。

そうだ。私の夢はなにを隠そう、この映画で加藤剛や小林薫や松田龍平が演じている辞書編集者になることだったんだ。

この映画では「広辞苑」とか「大辞林」、「明解国語辞典」の編集部を思わせるようなシーンがでてきて愉しいが、私が目指していたのは、かつて大槻文彦が一個人で完成させた「言海」を下地にかのサミュエル・ジョンソン博士とアンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」の風味を混ぜ合わせた、超個性的かつ非実用的辞書、小説より面白い読む辞書、読ませる辞書であった。

しかし実際の私は、辞書編集よりももっと不向きな正反対の方向、(この映画でオダギリ・ジョーが演じているような)に進撃してしまったことをいささか悔やむような思いでこの国産映画の秀作を眺めておりやした。


なにゆえにまだなにゆえ音頭を踊っているの橘 曙覧の「たのしみは」が応援してくれるので 蝶人
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和田誠監督の「真夜中まで」をみて

2014-07-09 10:39:43 | Weblog


bowyow cine-archives vol.660


「麻雀放浪記」で邦画界に衝撃を与えた和田誠監督の作品であるが、残念ながらこれはどちらかといえば失敗作だろう。

 主人公は真田広之演じるジャズ・トランペッターで、題名になった「ラウンド・ミッドナイト」や「ソーホワット」など全篇にジャズの名曲が流れ、ミシェル・リー演じるホステスとのとんだトラブルに巻き込まれた主人公が、「真夜中まで」、東京を駆けずり回るサスペンスドラマだが、どうも映画的感興が湧きおこらない。

 舞台が紐育かせめて香港であったなら、とないものねだりをしてみたが、まあそれでも駄目だろうね。ジャズ大好き人間が道楽で作ったジャズ映画というところかしらん。


なにゆえに若者は真夜中に駆けずり回るそこに太陽が輝いているから 蝶人
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ジャック・ドゥミ監督の「天使の入江」をみて

2014-07-08 09:50:13 | Weblog


bowyow cine-archives vol.659


「ローラ」で三嘆させられたジャック・ドゥミが1963年に製作した1時間半にも満たない白黒の仏蘭西映画であるが、私がこれまでにみた5本の指に入る屈指の名作です。

貧しく勤勉な銀行員の青年が、不良の同僚に誘われてルーレットに手を染め、ニースの「天使の入江」でたまたま美貌の莫連女に出会って運命が怒涛のように急旋回してゆく魂のエラン・ヴィタール映画なり。

たちまち大金持ちになり、次の瞬間には一文無しになってしまうギャンブルの快楽に生き甲斐を感じている、とうそぶく若き日のジャンヌ・モローのなんと美しく魅力的なことか! これぞファム・ファタール! こんな女に出会ったら、どんな男でも地獄の底まで堕ちていくに違いない!

主題も役者もこれ以上望むべきものはなく、愛の至高のラストシーンめがけて一瞬の遅滞もなく怒涛の驀進を展開する演出の凄さ、時折胸に沁みるメロディを叩きこむミシェル・ルグランの劇伴! 素晴らしい、素晴らしい、これぞ映画の中の映画だ!

こういう真の傑作を見せつけられるからこそ、凡百の普通の作品の下らなさが暴露される、そういう奇蹟的な映画である。



なにゆえにそんなに強い国にしたいのかそれだけ個人は弱くなるのに 蝶人
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和田誠監督の「麻雀放浪記」をみて

2014-07-07 08:16:42 | Weblog


bowyow cine-archives vol.658

大学に入って東京に出てきたものの、なぜか世の中に対しても自分に対しても前向きな姿勢になれなかったのは、私の生まれついてのニヒリズムのせいではなく、おそらくなかなかとれなかった微熱のせいではなかったろうか。

私は他の多くの同級生ともどもたちまち学校での授業にも自分自身のための勉学にも興味を失い、学校の近くの雀荘に入り浸って朝から夜中までマージャンにうつつを抜かしていた。

べつにマージャンが面白かったわけではないが、それしかやることがなかったというのが情けないけれど本当のところであった。

この映画を見ていると思い出されるのはそういう最低な時代の最悪のおのれの姿であるが、ここに登場する主人公の坊や(真田広之)やライバルのドサ健(鹿賀丈史)、女衒の達(加藤健一)などを眺めていると、このような非生産的なゲームに沈殿し命懸けになってしまう退廃的な暗がりに向かって転落してゆく心情の自虐と隠微な歓びがふたつながらに蘇ってくるような気がして、なにか見てはならない恐ろしいものを見てしまったという感慨にとらわれてしまったのであった。

デメ徳に扮する高品挌の存在感が素晴らしい光芒を放っている。


何ゆえに除草剤を庭に撒く草花も土地も二重に死ぬるを 蝶人

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夢は第2の人生である 第17回

2014-07-06 09:38:04 | Weblog


西暦2014年卯月蝶人酔生夢死幾百夜


テレビ局に入社した私は、上司の命令で全国津津浦浦を経巡ってその土地に生きる人々の暮らしぶりを紹介する番組を作り続けていたのだが、東京本社の人間はもはやそんな私のことなど忘れ果てたらしく何年経っても音沙汰無しだった。4/30

暴力団の武装勢力と対峙していた僕たちは、だいぶ消耗していたが、ふだんはあんなに柔和な高山公平くんが激しくアジっているのを聞くと、「よーしひとふんばりしてみようじゃないか」と勇気が湧きおこってくるのだった。4/28

久しぶりに会社の広報誌を見たら全然聞いたこともない連中が会社とも世の中とも関係のない不可解な記事や対談やアホ莫迦な感想を吐き散らしているので、担当の前田さんにその訳を聞いたら「上司が狂ってしまったからどうしようもないの」と言って項垂れた。4/27

広告のコンセプトも全体のデザインもコピーの書体と級数までもが決定しているというのに、肝心要のキャッチフレーズがまだ出来上がっていないので、関係者全員がコピーライターである私の方を見詰めているのだが、まったくのノーアイデアなのだった。4/26

彼らの物づくりのレベルはかなりいい加減で個性も創意工夫も感じられなかったが、そのときは私はあえて駄目だしをせず、鷹揚に若いスタッフの労をねぎらった。4/25

私たちが所属していた自由市民軍はみなおいぼればかりだったので、みな勝手気儘にふるまって正規軍の連中は眉をひそめていたのだが、いざ戦闘となると楽しみながら戦い、しかも強いのだった。4/24

ボロボロの飛行艇を修理するために、たくさんの硬貨を入れて大量のコンクリートを機に注入すると、いっぺんに崩壊する危険があるので、わたしは100円玉をちびちび投入しながら、愛機を慎重に修理していった。4/23

昨日診察してもらった病院が地震で倒壊したというので、知人の安否を確かめにいったところ、運悪くまたしても崩落が起こって瓦礫の山に呑みこまれてしまったのだが、そんな私を助けだしてくれたのは昔の恋人だった。4/21

イケダノブオが「パリに持ってゆきたいのでいい映画を推薦してください」と頼むので、いろんな映画を見まくったがいいのがない。知り合いの若い女性がある中国映画を推薦するのでこれにしようかと思ったが、それは彼女を思いのままに操っているリーチンチンの仕掛けと分かった。4/20

フォノグラムの尾木さんが、いきなり悪魔の歌を歌い始めたので驚いていると、誰かが「あの人は最近悪魔に心臓を抜かれてしまったので、ああやって本物のオペラ歌手を目指しているんですよ」と教えてくれた。4/20

商品企画室のA子と打ち合わせしていたら、彼女の上司の山口君がいきなりA子と企画室のなかの噂話をはじめた。しばらく我慢していたが延々とやっているので、「おいおい、君たち失礼じゃないか。こっちが打ち合わせしていたんぜ」と文句を言ったが、2人とも知らん顔だ。4/19

横町に面した家の奥の部屋には、着物をきてサルカニ合戦のお面をかぶった若い女が、左端でぶらぶらしながら、じっと往来を見詰めている。部屋には小さな裸電球がついているだけで、1つの家具もなかった。4/18

「私は広告を出す代わりに、売れない画家の絵を買っているんですよ」と、その右翼の総会屋は小学館のロビーで豪快に笑うのだった。4/17

吉兆の残飯を毎日食べて飢えをしのいでいた松田君は、遂に奴隷の身を脱して自由の天地に羽ばたいたのだった。4/17

リュクサンブール駅前のカフェに入ったら、昨日スイスで会ったばかりのゴダールが、コーヒーを飲みながら独語の原書でギョエテを読んでいたので「ムッシューゴダール、昨日は大変お世話になりました」と挨拶すると、突然奇妙な東洋人に名前を呼ばれた彼は、一瞬怯えた顔つきになりながらも、ぎこちない笑みを浮かべた。4/16

死ぬべき日を迎えていた私の前に、突然蓮池君が蹌踉とした姿で現れて、「広葉の」という大著を世に出したので、これを読んで感想を述べてから死んでくれ、と嘆願且つ強要するものだから、とうとうその日は死ぬることができなかった。4/16

事故死した若林君のバラバラの死体は、4つの茶色い断片になって保存されていたのだが、それらがひとつずつ白昼の下に引き出され、バチンバチンと組みたてられていくと、若林君はたちまち生者となって蘇った。4/15

巴里に滞在していたら、息子の知り合いだという触れ込みで、全然知らない3人の若者が、入れ替わり立ち替わり私の部屋を訪ねてくるのだった。4/14

1985年に私の新居が出来たが、それは1本の巨大な楠を斧で切り倒し、鑿で刻んで作られた手造りの家だった。4/14

南蛮から鉄砲が渡来した種子島に、西洋服の第1号も渡来していたというので、それを見物に行ったら、船着き場の浜辺にお洒落な白いケープが置かれている。記念に持ち帰ろうとしたら、某アパレルメーカーが既に買い取った後だった。4/13

マーラーの交響曲第5番のすべての音符を、広大な正方形の舛の外に押し出すゲームの最終勝利者は、奴隷から解放されるというので、私たちは闘技場の中を必死に駆けずり回った。4/14

30坪ばかりの狭い敷地に、我が家のS型と隣の藤井家のF型の2つの住宅ユニットが相次いで到着したのだが、お互い勝手に組み立てを開始したので、もはやなにがどこやら収拾がつかない大騒動になってしまった。4/12

原ジョージという名義でアメリカ企業の株券を持っていたら、どういう風の吹きまわしか無茶苦茶に値上がりして億万長者になってしまったので、大阪支店の仲間たちがお祝いしてくれることになった。4/11

超有名役者が出演するというので人気沸騰の歌舞伎公演のチケットを買おうと、私は夜も寝ないでパソコンの前に座り込み、ネット販売の時間がやってくるのを待っているのだった。4/11

アメリカでアメリカ車を買おうとしていたら、セールスマンが「まずクレジットカードを自分に預けろ」というので「冗談じゃない、お前はいったいどういう奴なんだ」と押し問答しているうちに朝になった。4/10

自転車で保谷ヶ谷まで行こうとしたのだが、横浜駅の近所の小汚い一角で、路はおろか方角すら分からなくなってしまった。仕方なく自動販売機に自転車を寄せかけていたら、子供たちがやってきて「ジュースを買うからどけてくれ」と騒ぐのだった。4/9

佐藤愛子さんが愛猫の青木愛子を亡くして涙にくれているので、「猫じゃなくて犬ですけどうちの愛犬ムクを霊界から呼び出してお貸ししましょうか?」と提案したのだが、にべもなく却下された。4/9

偉大なるお笑い芸人が亡くなったというので、朝から晩までテレビは追悼番組をやっているのだが、誰ひとり「笑っていいとも」とは言わなかった。4/8

NHKのアホ莫迦会長が、「朝9時半に君が代を斉唱しない者は全員解雇する」と宣言したので、これに対抗すべく、わが社の会長は「会社でいつもソーラン節を踊っていない者は即解雇する」と宣言した。4/8 

イタリア語なんて全然分からないのに、ヴェルディのオペラの字幕製作を依頼された私は、公演が終了するとただちに収録映像を再生し始めたが、そこへ指揮者が飛び込んできて「腹が減ったから飯を食いに行こう」と手を引っ張るのだった。4/7

ABそれぞれ50人からなるチームが、完全原始人生活に挑んだのだが、3か月後に現地を訪れてみると、両チームともほとんど生き残った者はいなかった。4/6

リゾートホテルの労働者たちは、大幅賃上げを要求して無期限ストライキに突入していたのだが、仲間割れが起こって殴り合いも始まってしまったので、団結がぐずぐずに崩れ去り、お決まりの敗北を喫してしまったのだった。4/5

道路混雑を規制する会議に出たのだが、会議がポンポコ狸踊りを始めてしまったので、とうてい結論など出やしないのだった。4/5

「こんなに広告の出校があるんだからパブも宜しくね」と誰かがリクエストしたら、婦人画報の戸川さんは「ハハハハ、また冗談ばっかり」と例によって豪快に笑い飛ばすのだった。4/5

全身黒ずくめのそのオバハンと、ちょっとしたことから言いあいになってしまった。会合が始まって司会者が挨拶しているというのに、そのオバハンが後ろを振り向きながら、また私の悪口を言いだしたので、私も応酬を開始すると会場は騒然となった。4/4

どこかの寄り合いでおいらは連れの席を取っていたのだが、あとからやって来たヤクザが「そこは俺の席だ」と難癖をつけやがったので、最初はしたでに出ていたおいらも、すぐに切れてしまって、彼奴をあっというまにボコボコにのしてやった。4/3

図書館に行ったが、平日の真昼間だというのに、誰もいない。仕方なく「誰かいませんか?」と大声を出すと、暗い奥の方から割烹着をきたおばさんが出てきたので「お茶を下さい」と頼んだらハイと答えたきり、いつまで経っても姿を現さない。4/2

軍事演習という名目で隣国のアパリティアに進駐したわが軍団は、ここで進撃をとどめるべしという慎重論と、さらにアンゴラ国まで東進すべしという積極論が激しく対立したために、進軍を停止せざるをえなかった。4/1


なにゆえに普通の国にして喜んでいるこの国だけは戦知らずの国なるを 蝶人

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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第10回

2014-07-05 10:54:07 | Weblog


西暦2014年卯月蝶人狂言畸語輯&バガテル-そんな私のここだけの話op.181


急ぐ旅ではない。ゆっくり、ゆっくり、歩いていこう。

驚くべきことに、生前の私の愛犬ムクには、不機嫌なときは一瞬もなかった。

言葉に淫した詩歌は、動物園で手淫にふける猿のように醜い。

不穏な生の根幹に認識の不可知を据えれば、いくらかは生きやすくなるだろう。

駐車場で「皆福」という張り紙を見つけたのが今日いちばんの仕合わせでした。

AKBなんかにうつつを抜かしたって何になるってんだ。

論文はインチキ、科学者としては失格、未熟でアホ莫迦で非常識人間等々、いまや四面楚歌&満身創痍の割烹着リケジョではあるが、もしもSTAP細胞が実在したなら、それまで偉そうに百叩きしていた人たちは、どういう態度をとるんだろうか?

他ならぬ愛の力で地球は浮いてる。

「男が部屋を出ていくときは何もかもそこへ置いていくものだけれど、(中略)女が出ていくときは、その部屋で起きたことを何もかもいっしょに抱えていくのよ」
アリス・マンロー著「あまりに幸せ」小竹由美子訳を一部リライト

わたしたちはみな忘れ去られるんだわ、とソフィアは思ったが、口には出さなかった。
アリス・マンロー著「あまりに幸せ」小竹由美子訳

子供は「大嫌い」という言葉をさまざまな意味で使う。
アリス・マンロー著「あまりに幸せ」小竹由美子訳

いつでも一等賞になろうと命懸けで走っている川内選手が好きだ。

痛恨!XPの最後のヴァージョンアップをちゃんとインストールできなかった。
XPは8より使い勝手がよく、現在でも総合的には優れている。まだ大勢のユーザーが使っているというのに自分の金儲けの都合だけで勝手にサポートを止めるのは横暴なり。

小保方さん問題。論文審査や懲罰うんぬんはいったん全部棚上げし、彼女を中心とし第3者を交えたメンバー、公明正大な環境のもとで、STAP細胞存在の再確認作業を大至急行ってほしい。

音楽はいろんなのを同時別々に流すといいヨ。耳は聡い。全部聴きわけてくれるんだ。

国益国益と気やすくいうが君の国益と私の国益は全然違う

江戸時代のように自らの動物的勘で天気を予想しないと、人間がだめになる。

30年前の、あの暗くて、下手くそで、全然やる気の無かった京響を、毎回完売の大盛況にまで立ち直らせた広上淳一は素晴らしい。

誰がやって来ても死んだような音しか出せない、やる気もない、糞のような駄目N響からNHKは手を切るべし。そうすれば彼らも初めて目覚めて自立の道を辿るだろう。

しかし、死んだ人間とは、なんだか言葉の矛盾のようにも思われる。古井由吉「明日の空」

どこまでも人間は明日を見ている。明日こそ永遠の今だよ。古井由吉「明日の空」

ともあれロシアのグルジア併合には反対せざるを得ない。いまどきこういうムチャクチャな唯我独尊がまかり通る生々しい恐ろしさは、安倍内閣の数々の強権発動暴挙にも似かよっている。3/25

憲法改正を訴える人の大半が、憲法改悪を唱えている。

集団自衛権をとるか、憲法9条をとるか、戦争をとるか、平和をとるか、我々はそういう岐路に立っている。


なにゆえにコラボコラボと気安く呼んでるコラボとは仏語で対独協力者なるを 蝶人
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リチャード・アッテンボロー監督の「チャーリー」をみて

2014-07-04 09:54:13 | Weblog


bowyow cine-archives vol.657


世紀の名監督チャールズ・チャップリンの生涯をたどる映画で、彼が家族や恋人やアメリカという国や無声映画、ヒトラーやユダヤ人、赤狩りに対して懐いたさまざまな思いや葛藤がよく分かるように描かれているので面白い。

特にFBI長官になったフーバーのチャップリンに対する執拗な嫌がらせが印象に残る。結局この男の偏執狂的な憎悪が名匠をアメリカから去らせたと映画は描いているようだが、ほんとにそうだったのかしら。

それにしても彼は良い奥さんを最後にもらったものだ。彼女がいなかったらスイスでの晩年はじつに悲惨なものになったに違いない。

チャップリンの母親役を娘のジェラルディンが演じているが、私はこの顔が大嫌いです。チャップリン役もほかにもっと適材がいたのではないだろうか?

原題は「チャップリン」なのにわざわざ邦題を「チャーリー」に変えているのも理解に苦しむ。



なにゆえに「チャップリン」なのに「チャーリー」に変える映画のタイトルは原題通りにせよ 蝶人
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ロジャー・ミシェル監督の「ノッティングビルの恋人」をみて

2014-07-03 16:00:02 | Weblog


bowyow cine-archives vol.656


売れっ子女優のジュリア・ロバーツがロンドンの旅行専門書書店主のヒュー・グラントに恋をして相思相愛の仲になり、色々すったもんだがあったあとでめでたく結ばれるというラブ・ロマンスなり。

ロマンスというても主導権は終始女の方にあり、いわば逆玉のシンデレラストーリーになっているのが面白いが、もっと興味深いのはラストが「ローマの休日」のパロディになっていることで、脚本家もいろいろ考えるもんだなあと感心しました。

しかしこのジュリア・ロバーツって本当に男が惚れるような美人なのだろうか? 見た目がど派手で、あんなにも口が大きいのには毎度のことながら閉口する。



なにゆえにひとりだけ泣いているのみんな楽しく笑っている遠足なのに 蝶人

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ポール・オースター著「闇の中の男」を読んで

2014-07-02 14:19:52 | Weblog

照る日曇る日第715回


この人も新作が出れば読まずにはいられなくなる、気になる小説家です。それはこの作家が太宰に似て、一生懸命に読者をよろこばせようとするからなのです。

今回はなんでも老人シリーズの最終回ということで、書評家の老人とその娘と孫娘が登場して(同居しているのです)、ああだこうだと例によってつらくてさいわいうすい人世のあれやこれやのエスキスを配給してくれます。

 いろいろあって私(たち)とおんなじように人世に消耗し疲れ果てた老人と孫娘は、カウチに腰を沈めていろんな映画をみてゆくのです。

その中で彼らが語るルノワールの「大いなる幻影」、サタジット・レイの「大地のうた」、そして小津の「東京物語」の感想というか批評がまことに秀逸で、とりわけ「東京物語」の有名なラストシーンンのオースター流の解説を読んでいるうちに(そこでは主に笠智衆が原節子に手渡した東山千栄子遺愛の懐中時計について語られている)、私はなぜか滂沱の涙が両頬をつたっていることに気付いたのでした。

 それからこの小説では、オースターがよく採用している2つの物語が同時進行するという二重構造になっています。

不眠症に悩む老人が仕方なく夜な夜な考え出す小説が「小説内小説」になっているのですが、その後者の「裏小説」の世界が妙にリアルで悩ましい。というのも自由を求めるニューヨーク州が、右翼的国家的強権をふりかざすアメリカ合衆国に反旗を翻して内戦に陥っているのです。

考えてみれば中東のシリアもイラクもイスラム強硬派が勢力を拡大して、血なまぐさい内戦状態に突入しているのですが、こういう宗教や政治思想の非妥協的対立から始まる「國壊し、民草壊し」のグローバル・トレンドは、世界の憲兵を自任していた米国や自任したがっている中国、そして亜細亜の覇権を再び夢見ている倭国にもいずれ及んでくるのではないだろうかと、本編の文学的値打ちを離れて思わず世界の行く末について考え込まされたような作品でした。


なにゆえに憲法反逆者どもを放置する普通の国なら即逮捕監禁 蝶人

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2001年~2014年のファッション・トレンドを振り返る その11

2014-07-01 17:45:52 | Weblog


ふぁっちょん幻論 第91回


13年春夏パリ・メンズコレ=「前へ」希望のイメージ。ランバン、トム・ブラウンなど軽快なスーツや都会的なスポーツウエアなど洗練されたカジュアル感にじむ。

13年春夏イタリア・フィレンツエ「ピッティ・ウオモ」=キートンなど明るい色と遊び心のあるドレスアップスタイル。

13年春夏ミラノ・メンズコレ=6月23~26日。色も素材もバカンス感。D&G、グッチなど反動のように明るい色彩あふれる。

13年春夏NYコレ=変わらない現状への意思表示か、栄光の60&70年代への回帰か。あえて楽観主義。マーク・ジェイコブス、ミシェル・ウーは60年代調の簡素な幾何柄。

13年春夏ミラノ・コレ=9月19日から7日間。トレンドや創造性より過去へのまなざし。伝統回帰。ジル・サンダー不調、グッチのみ気を吐く。

13年春夏パリコレ=9末から10月初旬。くすんだ青や浮遊感のあるシルエットで混迷社会にゆらり漂う。ラフ・シモンズのディオール対エッディ・スリマンの新生サンローラン対決。ヨウジ健闘。

13年春夏ロンドン・コレ=9月中旬、5日間で80ブランド参加。クリストファー・ケイン、バーバリー・ブローサムなど若手が斬新素材に挑む。

日本大手アパレル視線は西へ=オンワード樫山のICBがプラバル・グルン起用し北米市場再挑戦。

2012年回顧 新たな1歩へ混迷の年。1つの服に色柄装飾が混在。2月ジル・サンダー復帰。ラフ・シモンズはガリアーノの後任でデイオールへ。サンローランはメンズのカリスマ、エディ・スリマンを起用。ブランド名のイヴを取る。バレンシアガはニコラ・ゲスキエールに代わりアレキサンダー・ワン。(ゲスキエールは翌年ルイ・ヴィトンへ)
レディスの黒やバロック調ははずれ。素朴な自然スタイルうける。原宿系きやりーぱみゅぱみゅがアイコンに。

13年秋冬ミラノコレ=主流は1940、50年代のクラシックスーツ。一方ではプラダ、グッチ、マルニなど「普遍にひそむ背徳」。参加ブランド60、空前の不況。

13年秋冬ロンドンコレ=はじける柄と熱気。元グッチのトム・フォードが初のショー。まばゆいばかりの装飾美。

13年秋冬NYコレ=強く優しく包み込む。経済復活を反映しエネルギーが感じられる旬の人アレキサンダー・ワン、マイケル・コース。オスカー・デラレンタはディオールを解雇されたジョン・ガリアーノを起用。

13年秋冬パリコレ=2/下から3上旬まで。20から50年代の優雅なクラシック情感たっぷり。バレンシアガby29歳若さの衝撃、中国系米国人アレキサンダー・ワン、メンズのカルスマ、エディ・スリマン2期目のサンローラン。前回からラフ・シモンズに代わったクリスチャン・ディオール。ソニア・リキエルも中国系ジェラルド・ダ・コンセイソゥ。ケンゾーも2年前から中国系と韓国系の米国人2名に交代し好評。

13年秋冬パリ、ミラノ・メンズコレ=自由で個性的な未来へ。メンズのカリスマ、エディ・スリマンがサンローランに就任。

13年秋冬ロンドン・メンズコレ=男の装い色み豊かに。明るいグレーを基調に軽くソフトに。トム・フォードがミラノからロンドンへ移る。

13年春夏パリ・オートクチュール=13年1月末。ラフ・シモンズのディオール、シャネル、ヴァレンチノ等、特定の業よりも咲き誇る熟練の技。

13年秋冬東コレ=オランダの新星コニー・フルーネベーフェンなど、ほかにない個性発信。NYのヴィヴィアン・タム、パリからのアライサラ、英国のヨハン・クーなど国際的な顔ぶれ。女性服はまとふ、ソマルタなどエレガンス追及。メンズはコムデ新人のガンリュウ、ファセタッズムなど装飾系が旬。
13/6/18PPRがケリングKERINGに社名変更。傘下にグッチ、ベネタ、サンローラン、マックイーン、バレンシアガ、マッカトニー、ブシュロンなど。

13年秋冬パリ・オートクチュール=13年7月。服飾23、宝飾7、中東、ロシア、中国の新しい顧客。普通に着られる正統派の服から一転しヴァレンチノ、スキャパレリ、ヴィクター&ロルフ、シャネルなどモードの実験場再び。素材や表現に斬新な試み。

13/6に14年春夏ミラノ、パリ・メンズコレ=闇に咲く男の花柄。プラダ、ドリス・ヴァン・ノッテンなど暗い色調の中に癒しを求める心情。コムデは女性服と融合。面白きこともなき世を面白く。

13/10 ルイ・ヴィトン婦人服担当は97年以来のマーク・ジェイコブスからニコラ・ゲスキエール(旧バレンシアガ)。モスキーノはジェレミー・スコット、ロエベはジョナサン・アンダーソン。ジル・サンダーは「ジル・サンダー」を再び辞任。


なにゆえに君の心を傷つけた冷酷無慈悲な人ゆえ 蝶人

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