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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

黒川創著「京都」を読んで

2014-12-16 10:39:05 | Weblog


照る日曇る日第746回


 題名の都にむかし1年間だけ住んでいたことがあるので、なんとなく手に取りましたらななんと当時私が下宿していた左京区の田中西大久保町近辺が小説の舞台になっているので俄かに懐かしさを覚えました。かのJFKが暗殺された年のことです。

 百万遍交差点あたりを毎日うろついていたあの青春の日々。東大路の石畳をゾンゾンと叩きつけながら驀進する市電六番の広軌のレールは、盆地を熱する八月の気違いじみた暑さの中でぐにゃりと歪んでいたのでした。

 このへんの田中関田町に西園寺公望の別荘、清風荘があったとは初耳ですが、明治の初頭彼は御所の中の私邸で私塾立命館をひらいていたから、その当時に造ったのでしょうね。

 また解放運動の旗手、朝田善之介はこの近所の田中馬場町の生まれというのも初めて知りました。今出川通りを北にわたった西田中は、高野川と加茂川の砂利を採取する貧しい被差別だったそうですが、華の都、京の北部に住むハイソな連中は、そういうエタヒニン居住地区が平安時代から現代まで続いていることを片時も忘れたことはありません。

 被差別は京都駅より南に広がって、この小説の「旧柳原町ドンツキ前」に出てくる七条河原町から塩小路高倉あたりには、靴屋、下駄屋、革製品屋が軒を並べていましたが今はどうなったのでしょう。

 当時京都駅の新幹線のホームから南にはワコールとPHPをのぞいてめぼしい建物がなく、小さな低層木造家屋が密集していて汚いドブイタを跨がなくなった共産党に代わって創価学会が勢力を伸ばしておりましたが、これも今はどうなったのでしょう。

 京はそとずらはいいけれど、おのれより下位に属すると見做す者たちへの冷たい眼差しは陰にこもって険があるということは、丹波の下駄屋の3代目に当たるわたくしが田舎者ばかりが住む明るい江戸に移ってから身にしみて分かってきたのでした。


 勝った勝ったぞ万々歳!安倍ちゃんにまかせておけば薔薇色の人世 猫も杓子も天国へ行けるぞ! 蝶人
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永田和宏編著「現代秀歌」を読んで

2014-12-15 10:21:40 | Weblog


照る日曇る日第745回


 同じ岩波新書から先年出された「近代秀歌」の続編が登場しました。

 ここでは主として塚本、岡井、寺山などによる前衛短歌運動以降の100名の歌人の代表作を取り上げ、短い解説を加えながら現代版の「百人一首」を編もうとしているようです。
 
 もちろん前衛短歌運動を推進した御三家の名は知っていますが、私はつい最近短歌の世界をのぞきはじめたばかりの初心者なので、遅まきながら本書で、たとえば阿木津英、秋葉四郎、池田はるみ、石川不二子、岩田正、梅内美華子、大島史洋、大西民子、大野誠夫、沖ななも、小野茂樹、香川ヒサ、葛原妙子、山田あきなどという歌人の名前と作品に初めて接することができたのは望外の喜びでした。

 未知の歌人の未知の歌で印象に残ったのは、

この世より滅びてゆかむ蜩が最後の<かな>を鳴くときあらむ 柏崎驍二

ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり 永井陽子

涙拭ひて逆襲し来る敵兵は髪長き廣西學生軍なりき 渡辺直己

 改めて衝撃を受けたのは、

 ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば聲も立てなくくづをれて伏す 宮柊二

 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 河野裕子

 などでしたが、こういう歌に接すると、「虚構論争」とやらに蛸壺の底でうつつを抜かす現今の短歌界なぞ犬にでも食われよという気持ちになってきますね。


  『藝術と実生活』を周回遅れで蒸し返す短歌蛸壺「虚構論争」 蝶人

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東京フィルメックス編「この映画を観れば世界がわかる」を読んで

2014-12-14 11:33:49 | Weblog


照る日曇る日第744回


 私も不勉強でよく知らなかったのですが、アジアの新進監督による創造性と独創性みなぎる新作を中心に、世界の先鋭的な傑作映画を毎年セレクトしてきたのが、「東京フィルメックス」という国際映画祭であるらしい。

 思うに近年俗流大衆路線に転落して内外の失望を買っている「東京国際映画祭」の反面教師のような、前者を昼行燈とすればさながら月光仮面のような貴重な役割を担っているフェスティバルなのでしょう。

 それはここでリストアップされた、我が国の塚本晋也、園子温、アジアのアピチャッポン・ウィーラセダクン、キム・ジウン、キム・ギドク、ロウ・イエ、欧州のアッバス・キアロスタミ、ペドロ・アルモドヴァル、カルロス・サウラ、北米・南米のニコラス・レイ、トム・フォードなどの名前をみれば一目瞭然です。

 私の親戚の金谷重朗選手をはじめ、東京フィルメックス事務局の常連メンバーが執筆した映画批評を読めば、「世界がわかる」かどうかは別にして、悪魔のようなグローバリズムと野卑な商業主義と孤立無援で闘いながら、世界の最前線で映像文化を深耕している優れたクリエーターの意欲作とめぐり合うことができるでしょう。

 読者諸賢の一読をお薦めします。


   この道はいつか来た道愚かなる我らが戦に突き進みし道 蝶人
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ジャン=リュック・ゴダール監督の3D最新作「さらば、愛の言葉よ」をみて

2014-12-13 10:33:53 | Weblog


bowyow cine-archives vol.741

 ジャン=リュック・ゴダール監督の3D最新作「Adieu au Langage 」の試写をみて驚いたのは、彼の衰えを知らない映画表現の若々しさ、というよりもパンキッシュな過激さで、それは最新技術の3Dを活用したことによってますます拍車がかかっていることでした。

 意表をつく言葉と斬新な映像と大胆な音声音楽が三位一体となって、観客を驚きと混乱の極に陥らせ、おのれとおのれを取り巻く世界についての新しい光を投げかけるこの監督お得意の手法は、もはや定番といってもさしつかえないほどゆるぎなく確立された行き方です。

 しかし今回は、それがさらに余裕と遊びを持ち、映画という古典的な領域を大きく逸脱した重層的で知的な映像ゲームのような錯覚を覚えるほどで、ここには83歳になった映像革命家がついに達成した軽妙にして深淵な芸術世界が繰り広げられているようです。

 もとより映画ですからいつものように思わせぶりな男女が登場して、愛したり憎み合ったり、黒い陰部を露出したり、監督の同志ミエヴィルの愛犬ロクシーなどが人間のお株を奪うような名演をみせたりするのですが、それもこれも稀代の名監督の掌中に踊る大道具、小道具以上の意味をもつものではありません。

 こういう映画を前にすると、世界中の偉い評論家が「言葉よさらば」という題名や無慮無数に引用された箴言にまつわる意味や解釈を寄ってたかってああだこうだと論じるわけですが、私に言わせればそれは阿呆なインテリゲンチャンの愚かな所業。

 現代絵画の前に立った時と同様に、いたずらな意味の詮索を放棄してあなたの全感性を開放し、映像と音響の大洪水に全身を委ね法悦の境地に至ることこそ、この映画の唯一無二の鑑賞法だと思うのです。

 それにしてもベートーヴェンの第7交響曲第2楽章の「不滅のアレグレット」に伴われて突如インサートされる森の若葉や紅葉の綺麗なことよ! いろいろカッコつけているけれど、結局ゴダールが見せたかったのは、四季を彩る自然のこの刹那の美しさなのかもしれません。

なお本作は来年1月に公開されるそうです。

 
へいゴダール! ミエヴィルちゃんの愛犬ロクシーより我が家のムクのほうが役者が一枚上だったよ 蝶人
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健ちゃん蝶に乗る~「これでも詩かよ」第111番

2014-12-11 09:25:04 | Weblog


ある晴れた日に第272回


まだ春だというのに、夏型の大きなヒョウモンチョウが、原っぱをゆらゆら漂っている。この品種らしからぬ緩慢な動きだ。しかも巨大なヒョウモンの翅の上に別の種類の小型のヒョウモンチョウが乗っている。

私がなんなくその2匹のヒョウモンチョウを両手でつかまえ、これはもしかして2つとも本邦初の新種ではないかと胸を躍らせていると、半ズボン姿の健君も別の個体を捕まえて、うれしそうに私に見せにきた。

それは確かにヒョウモンチョウの仲間には違いないが、いままでに見たこともない黄金色に輝いており、国蝶のオオムラサキを遥かに凌駕するほどの大きさに、興奮はいやがうえにも高まるのだった。

私たちはバタバタと翅を動かしてあばれる巨大な蝶を、懸命に両手で押さえつけていたのだが、それはみるみるうちにさらに大きな昆虫へと成長したので、もはや彼らを解放してやるほかはなかった。

しかし巨大蝶は逃げようとせず、その長い触角をゆらゆらと動かし、「さあ私のこの柔らかな胴体の上にまたがってみよ」、とでも言うように、その黒い瞳で私たち親子をじっと見詰めたので、まず半ズボン姿の健ちゃんがひらりと巨大蝶の巨大な胴体の上にまたがった。

息子に負けじと私も別の巨大蝶にまたがり、
そのずんぐりとした黒い胴体をつかんでみると、
あにはからんやそれはくろがねのような強度を持っていた。

私たちがそれぞれの大きなヒョウモンチョウに騎乗したことを確かめると、2匹の巨大な蝶はゆっくりと西本町の子供広場から離陸して狭い盆地を一周し、上空からは懐かしい故郷の街や家や寺や山、銀色の鱗に輝く由良川の流れがのぞまれた。

それから巨大な蝶は、猛烈なスピードで故郷の街を遠ざかり、
波が逆巻く海をわたり、大空の高みを力強く飛翔しながら成層圏に達し、
そこからまた猛烈なスピードで下降した。

ぐんぐん地表がちかづいたので、よく見ると、
それは教科書の写真で見たことのある万里の長城だった。気がつくと巨大蝶の姿は消え、  私たち二人だけが大空の真ん中にぽっかりうかんでいる。

私たちは思わず手と手を握り合った。
 しかし墜落はしない。
 無事に飛行は続いている。

 私たちはそのまま元来た空路をたどって故郷に帰還すると、そこには仲間の巨大蝶が勢ぞろいしていた。その後蝶たちは、住民の飛行機としての役目を半年間にわたってつとめたのちに、南に帰っていった。


 エイエイオウ!民衆の敵を打ち果たさむ12月14日は討ち入りの日 蝶人

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丸谷才一著「丸谷才一全集第12巻」を読んで

2014-12-10 10:43:09 | Weblog

照る日曇る日第742回

 文春から出た全集の最終巻で「文芸時評」「芥川賞・谷崎賞などの選評」、「匿名時評」に加えて新発見の2つの小説、書誌、年譜がおまけについています。

 いちばん面白かったのは時評、選評でした。

 たとえば、「芥川比呂志の文章は、父親の龍之介よりむしろ森鴎外の流れを汲むが、その鴎外にはない新鮮さと自然さがある」と称えたり、吉行淳之介の随筆集「なんのせいか」を「パンチがきいている」と褒めたりします。

 ここで著者は、軟派の代表であるはずの吉行淳之介が高橋和巳の「散華の精神」の“散華”に腹を立てて、「“散華”どころか“犬死”なのである。この本に登場する人物はすべて強制的に“犬死”させられたのである。後に残った人々がそう認識することが、彼らに対する“慰霊”なのである」と時流に逆らって見事にタンカをきったを宣揚しているのです。

 1975年の「文学界新人賞」は受賞作なしになったそうですが、著者は不毛な候補作7篇について論評するかわりに、「せめて君ひとりくらい君が面白いと思っていることをもっと面白がって小説を書きませんか」と新しい書き手に直截呼びかけていて、これは30年後の現在でも切実に響くような訴えになっています。

 そしてその末尾にいわく。「文学賞がもらへないと判ってゐるにに小説を書くのは、時間の浪費だと言ふ人もあるかもしれません。しかし、文学といふのはもともと暇つぶしなのです」

 そう。今も昔も文学って暇つぶしだということを、我々は時々忘れてしまうんですね。

 イカン、イカンと思った私は、彼が眠る霊園の墓を探そうと散歩に出かけたのですが、偉大なる丸谷選手が広大な墓地のさてどこに眠っているのかてんで分からず、あかあかと燃える西の夕空に白く輝く富士山をしばらく見物してから帰路についたのでした。


    散華とは国が強いたる犬死にと思い知るこそ慰霊なりしを 蝶人
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ギーゼキング10枚組WALTER GIESEKING Klangaubere mit Espritを聴いて

2014-12-09 17:34:25 | Weblog


音楽千夜一夜第338回

お馴染み独membranの10枚組廉価版を聴きました。収められているのはモザールやシューマン、ベートーヴェン、グリーグのピアノ協奏曲とラベルやデオビュッシーの独奏曲です。

私はこのドイツ人が演奏するバッハが好きなのですが、残念ながらそれは含まれていません。

しかしギー選手はどの作曲家のどんな難曲に対しても同じように修道僧のように冷静に♪を音に淡々と転換していきます。演奏しながら熱することにあるアルゲリッチやグールドなどとは対極に立つ演奏ですが、かといってミケランジェリのように峻厳冷酷に裁断するわけでもない。

驚くほど客観的な演奏でありながら非人間的な味気なさに陥ることなく、温和で寛大な精神の持ち主が一人楽しくピアノに向かっている。そんな感じがいつもするのです。


         誠実は凡庸に似たり枯尾花 蝶人
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ヤン・デ・ボン監督の「スピード」「スピード2」をみて

2014-12-08 10:45:14 | Weblog


bowyow cine-archives vol.739&740


ドラエもん
切断された高速道路を突っ走る大型バスが15メートル飛んで着陸するなんて!

のび太
「やったぞ、後に続け」と叫んでいたパトカーたちもちゃんと飛んだんだろうか。映っていなかったけど。

スネ夫
なんといっても脚本が面白い。これはグレアム・ヨストが黒澤の「暴走機関車」の影響を受けて書いたそうだ。だからちょっとハリウッドの黒澤映画を見ているようなところがあるね。

ジャイアン
結局キアヌ・リーブスは一度もハンドルを握らず終始運転してたのはサンドラ・ブロック。これっておかしくない。

静香
そのおかげでリーブス選手は犯人デニス・ホッパーを追い詰めることができたのよ。

のび太
ヒーロー&ヒロインのファックで終わるというラストも良かったね。頭から尻尾までアンコ満載のお薦めスリラーです。

サザエ
 大ヒットした前作を受けての第2弾はヒロインのサンドラ・ブロックこそ出演しているもののヒーローだった優さ男キアヌ・リーブスが出ていないね。

マスオ
 その代わりの男優に魅力がないのでだいぶ見劣りがするが、それでも舞台をカリブ海に移して悪人ウィレム・デフォーと鎬を削る大活劇が繰り広げられるのであるんであるん。

サザエ
 前作で高級車をリーブスに乗っ取られた金持ちの黒人が、今度は高級快速艇をリーブスの代役に乗っ取られるが、「またあんたか。傷つけないでくれよ」と文句を言っているのがご愛嬌ね。


「悲しいほど若かった」と山川啓介が振り返る井出隆夫はスロープ下の部室05にいた 蝶人

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吉田秀和著・西田彰一編「モーツァルトその音楽と生涯第3巻」を読んで

2014-12-07 10:13:26 | Weblog


照る日曇る日第741回

 1982年10月から83年12月までNHK-FMの「名曲のたのしみ」で吉田秀和翁がDJしたモザールの人世と音楽についてのトークを要領よくダイジェストした書物。本巻では1777年から1782年までの若き天才の足跡をたどっています。

 取り上げられているのは77年のピアノ協奏曲「ジュノム」、78年の「フルート協奏曲」やピアノソナタイ短調、79年の「協奏交響曲」、「エジプトの王タモス」「ツァイーデ」、80年の「荘厳ミサ曲」「ヴェスペレ」、80年の「イドメネオ」、81年の「ヴァイオリンンソナタK377、380」、82年の「後宮からの誘拐」などです。

 モー選手が57歳の母親と巴里滞在中に死別した1778年には、あの悲痛なイ短調K310のピアノソナタが書かれていますが、母親の急死を父レオポルドに衝撃を与えないように告げる2通のこころ優しい手紙を紹介しながら、翁が「モー選手は音楽だけ作ってあとはなにもできない子供のような人ではなかった。彼は人の心の奥まで感じる力をもつ想像力豊かな人間だった」と断じているのは同感です。

  翁またいわく。「モーツァルトは非常にすばらしい音楽を書きながら、ベートーヴェンと違って、書き過ぎない。そしてあるところは暗示でとどめたりする。彼はけっして行き過ぎない芸術家だった」

 またまたいわく「モーツァルトは人間の心のありのままを音楽に写そうとした。しかし「音楽はどこまでも音楽で、美しくなければならない」」

巻末にいわく「モーツァルトはやっぱり「心の広い人がいい音楽を書くのかしら」というような気になるところがありますね」

 その言うやよし。されど吉田翁は、私の大好きなオペラ・セリア「イドメネオ」を、なんとアーノンクール&チューリッヒ歌劇場のオケで紹介していますが、当時最新流行の演奏がいまとなってはさほど革新的でもましてや感動的でもないことは、改めてベーム&ドレスデン国立歌劇場による「正統的」な演奏で序曲だけでも聴けば、どんなロバの耳にでも分かるのではないでしょうか。


 歳時記をバイブルにしながら生きてくなんておいらにゃ到底出来ないよ 蝶人

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保坂和志著「朝露通信」を読んで

2014-12-06 10:18:24 | Weblog


照る日曇る日第740回

人は誰でも忘れがたい一瞬の記憶やとぎれとぎれの印象を心の片隅に仕舞い込んで、長い歳月を生きているのだが、折に触れてその光彩が蘇ることもある。

「朝露の消なば消ぬべく恋ひしくもしるくも逢へる隠り妻かも」と柿本人麻呂がうたったように、朝露は儚く消えてしまうが、その一瞬の輝きを眼にした者は、その記憶を終生忘れることはない。

この本では著者の幼少の頃からの人世の歩みをたどりながらそのような朝露の一粒ひとつぶがさながらドビュッシーのピアノ曲のようにとめどなく開陳されてゆく。

というと詩的に聞こえすぎるかもしれなくて、昨年の十一月から半年間にわたって某紙に連載されたこの詩的エッセイを、著者による「詰らない早すぎる自叙伝の試み」として受け取る人もいるかもしれない。


   子供のころ鉄斎江漢が掛かっていた思えば我が家も没落したもの 蝶人
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倉田喜弘編岩波文庫版「江戸端唄集」を読んで

2014-12-05 10:57:26 | Weblog


照る日曇る日第739回 &遥かな昔遠い所で第86回


 この本をパラパラ手にとっていたら、夭折した近藤さんのことを思い出した。

 昔リーマン稼業をやっていたころ同じ課に近藤さんという若い女性がいて、宴会なんかの余興で三味線もないのになんとかかんとかサノサなどと唄っていたが、それが思いがけず普段とはトーンの違う渋い喉声で、きっと子供のころから小唄なんかを嗜んでいたのだろうが、色っぽくてカッコ良かった。

 小唄も端唄も同じだろうと思っていたら、どうも違うようだ。ウイキによれば江戸端唄は江戸時代中期以降における短い歌謡の総称で、長唄と対をなすという。小唄も端唄の名前で呼ばれていたが、1920年ごろに、さらりと歌う「端唄」、こってりした「うた沢」、撥を使わず爪弾く「小唄」、都都逸、かっぽれ、サノサなどの「俗曲」に分かれたのだそうだ。

 とすると近藤さんが愛唱していたのは俗曲だったかも知れないが、いまさらそんな重箱の隅をつついてもなにも出てこないに決まってる。

 そもそもこの本を編纂した倉田選手なんかは端唄の定義すらしていないし、端唄と称しつつ「俗謡」も加え、「江戸端唄集」と言いながら明治期の西南戦争や文明開化の散切り頭まで平気で入れているから、はて呑気なものだね。

 異人さんエ 異人さんエ 鹿鳴館の大夜会 なぜにそれに 急そゐで帰らんす グートバイ グートバイ

 この他の収録された作品は挙げないが、忠臣蔵や源氏物語、四季12ケ月、百人一首をテーマにしたものなど、いずれも読んで退屈しないし、寓居の四畳半で自己流でうなってみるのも一興であらう。

 なお「あとがき」に、カール・ベームがウイーンフィルのニューイヤーコンサートを指揮したのをラジオで聞いた、とあるが、ベーム翁はバースタインと同様、生涯一度も元旦の楽友協会大ホールの壇上に立つことはなかった。


 なにゆえにベーム、バーンスタインは振らなかったのウイーンフィルのニューイヤーコンサート 蝶人
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ジェームズ・オア監督の「MRデスティニー」をみて

2014-12-04 08:50:32 | Weblog


bowyow cine-archives vol.738


もし僕があの時別の人を選んでいたら、もし私があんな人ではなく別の人にしていたら、という思いを、ある日あるときふと懐かなかった人はいないだろう。

それを映画でやって見たのがこの作品だが、あの憧れの女性をモノにできたというのに、主人公はだんだん落ちこんでしまって、結局元の古女房のさやに収まろうとするのだったあ。

それはないあわな。

主演はジェームズ・ベルーシ。若くしてみまかった兄のジョン・ベルーシが懐かしい。


  夜になり電気も灯らぬあばら屋に一人の男が住んでいるのだ 蝶人
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「井上ひさし短編中編小説集成」第1巻を読んで

2014-12-03 09:56:14 | Weblog


照る日曇る日第738回


 著者の小熊秀雄への傾倒と敬愛を明かした「ブンとフン」や「いとしのブリジット・ボルドー」に加えて3つの単行本未収録作品が収録されていますが、とくに注目すべきは後者の中の1作「燔祭」ではないでしょうか。

 これは若き日の著者が浅草6区のストリップ劇場「浅草フランス座」の進行係(文芸部員)として食うや食わずで働いていた頃のありようを、聖パウロ女子修道会発行の月刊誌「あけぼの」に発表したもので、未完の小説ながらすぐれた作品だと思いました。

 そこには下層階級に浮き沈みする男と女、ストリッパーや役者や照明や支配人やブルジョワの社長、そして何とかしてこの絶望的な桟敷から逃亡したいとあがいている若き日の著者の苦しみと生の哀歓が見事に浮き彫りにされており、読者は1959年現在の「浅草フランス座」一座の仲間になったような錯覚に陥ることでせう。

 とくに印象的なのは、この苦界を奇跡的に脱出して有名スターへの道を歩みはじめたばかりの勝者、渥美清の姿で、その渥美に媚びる、当時まだ下積み生活を続けていた谷幹一の浅ましい言動、そして余裕を持って先輩風を吹かせる渥美との大きな社会的落差を、著者はくっきりと描いているのです。

 著者が得意とする機知と諧謔、ヒュウモアとレトリック、地口と歌謡、劇性と抒情味、そして終生変わることのなかった反権力意識は、この最初の活字作品にすでにして顕著です。

 ただし248頁の「還暦」は、「古稀」の間違い。2刷の際には必ず訂正していただきたいものです。


キになるイバラのカバライキン果たして私と関係があるのかないのカバライキン 蝶人

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夢は第2の人生である 第21回 

2014-12-02 10:32:26 | Weblog


西暦2014年葉月蝶人酔生夢死幾百夜

ベートーヴェンの「第9」を演奏することになった。基本的にはベーレンライター版に依拠しつつ、ブライトコプフ旧版の良さも取り入れ、いうなれば柔道の受身のような自然体の良いとこ取りで臨んだわけであるが、演奏は、それはそれは酷いものだった。8/1

街のどこかにある家の地下室に横たわっていたら、突然スポットライトが当てられて、誰かが「歌を歌え」というのだが、私にはそんな器用なことはできないので、いつまでも固辞してうだうだ言っている。8/1

どこかで時計が鳴っているので目が覚めたが、よく聞いてみるとそれはすだく虫の音だった。あんな金属的な響きはいままで耳にしたことがないが、けっして不快な音ではなかった。8/1

夜の弾丸配送列車での運送を依頼した3社に対して、私はその委託を急遽キャンセルしようとした。2社はすでに出発していたので間に合わなかったが、さいわい残る1社の弾丸列車は、まだ発車していなかったので助かった。8/2

頭が2つで体が1つの人間と、頭が1つで体が2つの人間がいた。
前者の頭のうちの1つは私の頭であったが、見知らぬ別の頭の持ち主との折り合いがつかないので、困る。
また後者の頭の裏表は、別々の人物の顔になっていて、その1つは私なのだった。8/2

頭の中のノートにマーラーの全交響曲の全楽章を書き出しながら、頭の中でその音楽を鳴らそうとしたが、全然だめだった。
考えてみれば楽譜を読み書きできない私には、はなからそんな芸当ができるはずがない。8/3

グラグラ自転しながら公転する巨大なお皿の上で、人形のジェロームとフラッシャーがうごめいていたので、はズドンと1発で仕留めてやった。8/5

閻魔大王による審判が終わった。
お情けで今生の思い出に1曲だけ聴かせてやるというのでジュークボックスのバッハを押したのに、流れてきたのはなんと「千の風になって」であった。8/6

ようやくパリの地下鉄構内に入ったが、ここでいきなり投石を受けた私たちは、やむをえずその正体不明の集団に対抗して石やゴミや棒を投げ返したので、そこらじゅうに血まみれの負傷者が続出した。8/7

2年前のリストラを上回るリストラをやらねば会社がつぶれてしまう、と思い込んで、私は出張をキャンセルして、本社への道を急いだ。8/9

リストラのことで頭がいっぱいになっていた私は、毎朝新聞の全15段広告を代理店に発注するのをすっかり忘れていたので、夜の街を疾走した。8/9

カタログ撮影の3人のモデルが上京してきたので、次々にものにしてやろうと思い、まず最初の女に手をつけたのだが、次の日になると誰が誰だかわからなくなってしまったので、もう手を出すのをあきらめてしまった。8/10

大儲けを企んだ投資に失敗して一夜にして資産を失ったオブローモフを憐れんだ婦人ソーニャは、一文なしの初老の男を彼女が経営する旅籠に招いた。8/11

そして彼女は、来る朝ごとに彼の部屋の窓から見える白雪の前庭に、さまざまな意匠を施した世界中の珍しい風景や花鳥風月、珍奇な見世物を、みずからの手で色彩豊かに飾り付け、傷心の男オブローモフを慰めた。8/11

会社の製品を上代の半額で社員現売して、大量に外部に横流ししている社員がいるとわかり、突如監査が入ったので、私たちは「俺じゃないぞ、俺じゃないぞ」と大騒ぎしていた。8/12

海底からにょろにょろと立ち上がるヒドラの2本の足を、私は自分の足でキックしながら撃退していたのだが、ヒドラはその攻撃の手を休めずにだんだん肉薄してくるのだった。8/12

私の好きな尾道のおじさんは、舟遊びが大好きで、東京湾にボートを係留している。8/13

おじさんと2人で山本橋を散歩していたら、おじさんが「ほら見て御覧、ほらほらあそこ」と指さしながら、夕暮れの運河に落ちてしまった。おじさんは毛皮の首巻きのついたコートを着たまま、浮き沈みしている。

ようやく岸壁に辿りついた尾道のおじさんに「あれはわざとおっこちてみせたんでしょう?」と尋ねたら、「そうじゃない、ずるずる滑り落ちてしまったんだ」と笑いながら答えた。8/13

大地震で海に落ちた2人の女の子は、すぐに元気を取り戻して、それぞれ2人の男の子から声をかけられたが、2人ともてんでその気はないのだった。8/13

菊池は作曲家だったので、ジャノメミシンに向かってある少女への思いを作曲しようとしたのだが、それほど彼女を愛しているわけではないことが分かった。8/15

私がやむにやまれず意思表示をするやいなや、官憲は「秘密保持法違反のヒコクミンめ!」と怒鳴りつつ私を拘束した。8/15

こんなド田舎の茶店などいつ潰れてもおかしくないというのに、私はルリマツリの花で覆われた土蔵に名人を招いて、連日連夜の連歌三昧にうつつを抜かしていた。8/16

引っ越し用の荷物を積む込むトラックがやってきたので、運転手に「これは物集高見の荷物なんだがね」と言ったが、知らん顔をしていた。8/17

首の入ったずだ袋をたくさん並べて風入をしていたら、捨てたと勘違いしたのだろう、誰かが全部持ち去ってしまった。817

一晩中窓を開けたまま眠っていたので、上弦の月が、私の額をいつまでも照らしていた。8/19

その大分限者は、太平洋を見はるかす大邸宅の3階に住んでいたが、ときどき私たちが住んでいる2階まで降りてきて、キョロキョロと様子を窺うのであった。8/19

かの有名なる彫刻家に頼まれて、彼の膨大な作品の複製を製作をすることになったのだが、考えてみれば、それで一生食いっぱぐれこそしないものの、自分の作品は作れそうもないので、意を決して断った。8/20

半世紀ぶりにマージャンをやることになった私は、いきなりチンイツトイトイドラサンイッパツツモバンバンで上がったのだが、この「バンバン」こそが我が国の高度成長の原動力となり、バタイユの生きる歓びであり、ベルグソンのエラン・ヴィタールであったことが初めて分かった。8/21

「象の飼育に必要な毎月の経費100万円は、ここから出してください」と言われた。私は金川氏の預金通帳を預かっているのだが、いつも残額がすれすれなので、ハラハラドキドキさせられているのである。8/22

また電通の岡田君が出てきて、「この広告の掲載誌は何部お持ちしましょうか?」と尋ねる。
彼は三越の社長の御曹司であるという噂があるが、本当だろうか?親とは似ても似つかぬ顔立ちと性格の人なのだが。8/23

私は日本人が大好きなアメリカ人だったが、大川のほとりを散策していたら、おばあさんが私に興味を持ったのかいろいろ話しかけてきて、とどのつまりは旧芭蕉庵の近所に下宿することになってしまった。8/24

部下の男女がヴェルサイユ宮殿で挙式するので、仲人を頼まれた私(景山民夫になっていた)が仕事を終えて駆け付けると、待ってましたとばかりにスピーチを指名されたのだが、いくら考えても2人の名前すら出てこないので、頭の中が真っ白になり、滝のような汗を流していると、ミンミンゼミが大きな声で鳴いてくれたので助かった。8/25

祖父小太郎の展覧会を開催しているという連絡があったので、はるばる駆け付けてみたのだが、だだっ広い会場に人影はなく、展示物は祖父に何の関係もないものばかりなので、私は途方に暮れてたたずんでいた。8/27

「憲法」という文字をどう「読み解く」かでいろいろな意見が出たが、「ケムンパス」と読むのが正解だと、全評議員の意見が目出度く一致した。8/28

世田谷のノッポビルで撮影があるというのでやってきたが、指定場所には定時になっても1人の女性モデルしか姿を現さない。
仕方なく色々話し合っているうちにすっかり意気投合して屋上へ行って抱擁、接吻したのだが、それ以上は許そうとしないのだった。8/28

大恐慌に突入したために、私が関係している5つの会社からすぐに連絡するよう急を告げる電報が届いていたが、私は全部ごみ箱にほうりこんで山本大介と一緒に銀座に飲みに出かけた。8/28

江ノ電の中で短歌新聞を読みふけっている少年は、腰越に住んでいることを、なぜか私は知っていた。8/29

暖房のないシカゴの鋼鉄ビルの最上階で凍えていた私を温めてくれたのは、春の女神アフロディーテだった。私らはことのついでに何度も愛し合ったのだったが、2か月ほどで別れてしまった。8/29

11時にパリのIRCAMを出て、そのレストランを探した。それと思しきレストランは街道に面して建っていたが、私は車から飛び降りることができなかったので、そこへ行くことができなかった。8/29

4年生になった私たちの別れの時がやってきた。在学中に有名になったデザイナー黒田信夫が、「1年生の時に、俺はこの日のために君たちのために黒いスーツを作ってやったことを覚えているかい?」と聞くので、そういえば黒い奇妙な服をもらったような気がしはじめた。8/30

なかなか電車が動かないので、私たちは駅のホームに降りた。大勢の子供たちが乗車口を出たり入ったりしていると突然ドアが閉まり、電車が動き出したために、何人かの子供は線路に振り落とされ、回転する車輪が彼らの頭や手足を切断していくのがはっきり見えた。8/30

田中陽子がブラジル国王に選ばれた瞬間、彼女の心身が、私に転位してしまった。そして次の瞬間、私は押し寄せる群衆の渦に飲み込まれてしまった。8/31


  スカ線の武蔵小杉は大混雑日経平均もっと揉み合え 蝶人

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三隅研次監督の「女系家族」をみて

2014-12-01 09:31:57 | Weblog


bowyow cine-archives vol.737


ごぞんじ山崎豊子選手の原作を、才人三隅研次監督が折り目正しく描く。

女系制度は古代から中世の鎌倉時代まで脈々と本邦に流れていた経済社会政治制度であるが、我々はこの映画の中で、その最後の光芒を昭和の商都大阪において見物する貴重な機会に接することができるのである。

浪速の名家の養婿の三人姉妹の長女を演じるのは京マチ子、次女が鳳八千代、三女は高田美和であるが、あとの二人は京の強烈な存在感の前に完全に霞んでいる。

突如真正の遺言状を持って出現し、あぶらげをサラう死んだ父親の若い妾若尾文子のはじめは処女のごとく、終わりはトンビのごとき演技は、悪戦苦闘一敗地にまみれる番頭役の中村鴈治郎、三女を応援する浪花千栄子の秀演ともども忘れ難い。



旅客機と戦闘機の区別さえつかぬままミサイルの発射ボタンを押すや戦争の犬ども 蝶人
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