西暦2014年葉月蝶人酔生夢死幾百夜
ベートーヴェンの「第9」を演奏することになった。基本的にはベーレンライター版に依拠しつつ、ブライトコプフ旧版の良さも取り入れ、いうなれば柔道の受身のような自然体の良いとこ取りで臨んだわけであるが、演奏は、それはそれは酷いものだった。8/1
街のどこかにある家の地下室に横たわっていたら、突然スポットライトが当てられて、誰かが「歌を歌え」というのだが、私にはそんな器用なことはできないので、いつまでも固辞してうだうだ言っている。8/1
どこかで時計が鳴っているので目が覚めたが、よく聞いてみるとそれはすだく虫の音だった。あんな金属的な響きはいままで耳にしたことがないが、けっして不快な音ではなかった。8/1
夜の弾丸配送列車での運送を依頼した3社に対して、私はその委託を急遽キャンセルしようとした。2社はすでに出発していたので間に合わなかったが、さいわい残る1社の弾丸列車は、まだ発車していなかったので助かった。8/2
頭が2つで体が1つの人間と、頭が1つで体が2つの人間がいた。
前者の頭のうちの1つは私の頭であったが、見知らぬ別の頭の持ち主との折り合いがつかないので、困る。
また後者の頭の裏表は、別々の人物の顔になっていて、その1つは私なのだった。8/2
頭の中のノートにマーラーの全交響曲の全楽章を書き出しながら、頭の中でその音楽を鳴らそうとしたが、全然だめだった。
考えてみれば楽譜を読み書きできない私には、はなからそんな芸当ができるはずがない。8/3
グラグラ自転しながら公転する巨大なお皿の上で、人形のジェロームとフラッシャーがうごめいていたので、はズドンと1発で仕留めてやった。8/5
閻魔大王による審判が終わった。
お情けで今生の思い出に1曲だけ聴かせてやるというのでジュークボックスのバッハを押したのに、流れてきたのはなんと「千の風になって」であった。8/6
ようやくパリの地下鉄構内に入ったが、ここでいきなり投石を受けた私たちは、やむをえずその正体不明の集団に対抗して石やゴミや棒を投げ返したので、そこらじゅうに血まみれの負傷者が続出した。8/7
2年前のリストラを上回るリストラをやらねば会社がつぶれてしまう、と思い込んで、私は出張をキャンセルして、本社への道を急いだ。8/9
リストラのことで頭がいっぱいになっていた私は、毎朝新聞の全15段広告を代理店に発注するのをすっかり忘れていたので、夜の街を疾走した。8/9
カタログ撮影の3人のモデルが上京してきたので、次々にものにしてやろうと思い、まず最初の女に手をつけたのだが、次の日になると誰が誰だかわからなくなってしまったので、もう手を出すのをあきらめてしまった。8/10
大儲けを企んだ投資に失敗して一夜にして資産を失ったオブローモフを憐れんだ婦人ソーニャは、一文なしの初老の男を彼女が経営する旅籠に招いた。8/11
そして彼女は、来る朝ごとに彼の部屋の窓から見える白雪の前庭に、さまざまな意匠を施した世界中の珍しい風景や花鳥風月、珍奇な見世物を、みずからの手で色彩豊かに飾り付け、傷心の男オブローモフを慰めた。8/11
会社の製品を上代の半額で社員現売して、大量に外部に横流ししている社員がいるとわかり、突如監査が入ったので、私たちは「俺じゃないぞ、俺じゃないぞ」と大騒ぎしていた。8/12
海底からにょろにょろと立ち上がるヒドラの2本の足を、私は自分の足でキックしながら撃退していたのだが、ヒドラはその攻撃の手を休めずにだんだん肉薄してくるのだった。8/12
私の好きな尾道のおじさんは、舟遊びが大好きで、東京湾にボートを係留している。8/13
おじさんと2人で山本橋を散歩していたら、おじさんが「ほら見て御覧、ほらほらあそこ」と指さしながら、夕暮れの運河に落ちてしまった。おじさんは毛皮の首巻きのついたコートを着たまま、浮き沈みしている。
ようやく岸壁に辿りついた尾道のおじさんに「あれはわざとおっこちてみせたんでしょう?」と尋ねたら、「そうじゃない、ずるずる滑り落ちてしまったんだ」と笑いながら答えた。8/13
大地震で海に落ちた2人の女の子は、すぐに元気を取り戻して、それぞれ2人の男の子から声をかけられたが、2人ともてんでその気はないのだった。8/13
菊池は作曲家だったので、ジャノメミシンに向かってある少女への思いを作曲しようとしたのだが、それほど彼女を愛しているわけではないことが分かった。8/15
私がやむにやまれず意思表示をするやいなや、官憲は「秘密保持法違反のヒコクミンめ!」と怒鳴りつつ私を拘束した。8/15
こんなド田舎の茶店などいつ潰れてもおかしくないというのに、私はルリマツリの花で覆われた土蔵に名人を招いて、連日連夜の連歌三昧にうつつを抜かしていた。8/16
引っ越し用の荷物を積む込むトラックがやってきたので、運転手に「これは物集高見の荷物なんだがね」と言ったが、知らん顔をしていた。8/17
首の入ったずだ袋をたくさん並べて風入をしていたら、捨てたと勘違いしたのだろう、誰かが全部持ち去ってしまった。817
一晩中窓を開けたまま眠っていたので、上弦の月が、私の額をいつまでも照らしていた。8/19
その大分限者は、太平洋を見はるかす大邸宅の3階に住んでいたが、ときどき私たちが住んでいる2階まで降りてきて、キョロキョロと様子を窺うのであった。8/19
かの有名なる彫刻家に頼まれて、彼の膨大な作品の複製を製作をすることになったのだが、考えてみれば、それで一生食いっぱぐれこそしないものの、自分の作品は作れそうもないので、意を決して断った。8/20
半世紀ぶりにマージャンをやることになった私は、いきなりチンイツトイトイドラサンイッパツツモバンバンで上がったのだが、この「バンバン」こそが我が国の高度成長の原動力となり、バタイユの生きる歓びであり、ベルグソンのエラン・ヴィタールであったことが初めて分かった。8/21
「象の飼育に必要な毎月の経費100万円は、ここから出してください」と言われた。私は金川氏の預金通帳を預かっているのだが、いつも残額がすれすれなので、ハラハラドキドキさせられているのである。8/22
また電通の岡田君が出てきて、「この広告の掲載誌は何部お持ちしましょうか?」と尋ねる。
彼は三越の社長の御曹司であるという噂があるが、本当だろうか?親とは似ても似つかぬ顔立ちと性格の人なのだが。8/23
私は日本人が大好きなアメリカ人だったが、大川のほとりを散策していたら、おばあさんが私に興味を持ったのかいろいろ話しかけてきて、とどのつまりは旧芭蕉庵の近所に下宿することになってしまった。8/24
部下の男女がヴェルサイユ宮殿で挙式するので、仲人を頼まれた私(景山民夫になっていた)が仕事を終えて駆け付けると、待ってましたとばかりにスピーチを指名されたのだが、いくら考えても2人の名前すら出てこないので、頭の中が真っ白になり、滝のような汗を流していると、ミンミンゼミが大きな声で鳴いてくれたので助かった。8/25
祖父小太郎の展覧会を開催しているという連絡があったので、はるばる駆け付けてみたのだが、だだっ広い会場に人影はなく、展示物は祖父に何の関係もないものばかりなので、私は途方に暮れてたたずんでいた。8/27
「憲法」という文字をどう「読み解く」かでいろいろな意見が出たが、「ケムンパス」と読むのが正解だと、全評議員の意見が目出度く一致した。8/28
世田谷のノッポビルで撮影があるというのでやってきたが、指定場所には定時になっても1人の女性モデルしか姿を現さない。
仕方なく色々話し合っているうちにすっかり意気投合して屋上へ行って抱擁、接吻したのだが、それ以上は許そうとしないのだった。8/28
大恐慌に突入したために、私が関係している5つの会社からすぐに連絡するよう急を告げる電報が届いていたが、私は全部ごみ箱にほうりこんで山本大介と一緒に銀座に飲みに出かけた。8/28
江ノ電の中で短歌新聞を読みふけっている少年は、腰越に住んでいることを、なぜか私は知っていた。8/29
暖房のないシカゴの鋼鉄ビルの最上階で凍えていた私を温めてくれたのは、春の女神アフロディーテだった。私らはことのついでに何度も愛し合ったのだったが、2か月ほどで別れてしまった。8/29
11時にパリのIRCAMを出て、そのレストランを探した。それと思しきレストランは街道に面して建っていたが、私は車から飛び降りることができなかったので、そこへ行くことができなかった。8/29
4年生になった私たちの別れの時がやってきた。在学中に有名になったデザイナー黒田信夫が、「1年生の時に、俺はこの日のために君たちのために黒いスーツを作ってやったことを覚えているかい?」と聞くので、そういえば黒い奇妙な服をもらったような気がしはじめた。8/30
なかなか電車が動かないので、私たちは駅のホームに降りた。大勢の子供たちが乗車口を出たり入ったりしていると突然ドアが閉まり、電車が動き出したために、何人かの子供は線路に振り落とされ、回転する車輪が彼らの頭や手足を切断していくのがはっきり見えた。8/30
田中陽子がブラジル国王に選ばれた瞬間、彼女の心身が、私に転位してしまった。そして次の瞬間、私は押し寄せる群衆の渦に飲み込まれてしまった。8/31
スカ線の武蔵小杉は大混雑日経平均もっと揉み合え 蝶人