あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

新潮日本古典集成新装版で田中祐校注「世阿弥芸術論集」を読む 

2019-03-16 11:28:46 | Weblog


照る日曇る日第1215回


むかあい昔「風姿花伝」は目を通したことはあるけど、「至花道」「花鏡」「九位」「世子六十以後申楽談義」は読んだことがなかったので、まとめて通読してみたずら。

んで、まあ読んではみたんやけど、「時分の花」とか「初心を忘るれば初心へ返る理」とか、「序破急」、「動十分心、動七分身」、「目前心後」とかは、まあなんとか分かっても、超老人になっても若い時どきの花花を初心忘れず習練によって自覚的に咲かせることが可能になる、なんて、いったいどうやってそんなことができるんかいな。

しゃあけんど、実際わいらあ昔喜多流の塩津哲生はん、最近では金春流の佐野玄宜はんの実演で、その花が幽玄の風情のうちに咲き誇るてふ、思わず我が目を疑うような風姿を見てしもうたからには、そういう不条理の美学は、室町時代からずーっと今に生きながらえてきたんやろなあ。

そおいえば、わいらあ半世紀以上も前に、かの独逸の名指揮者チェリビダッケはんが、当時の本邦の3流オケたる読響を相手に、ブラームスの4番やムソグルスキーの「展覧会の絵」を振った時にも、物凄い幽玄の快花が、会場の空間全体に咲き誇り、これはいかなる奇蹟の顕現かあ!と、わいらあその場に棒立ちになりながら、あたりを見回したもんやった。

「花鏡」に出てくる「離見の見」は、能に限らず古今東西の芸術全般について演者が経験する背中に付いた第3の眼であり、素人のわいらあでもなんかの拍子になんかが憑依するとこういう心理心霊現象に漂着することがあるけど、皮肉骨の3つのうちの骨が「まことの根本」と認めながら、なお「まことの姿(幽玄)」は皮にある!などと喝破されると、それってほんまのほんまかいなあ?と目に唾せざるを得ないんやね。

よしんば世阿弥が、中世最大の能楽者であり、藤原定家、二条良基を凌ぐ美学者であったにしても、本書で説かれている様々な哲理は、能楽の具体的な実践者でなければ、本当には理解味読することなどできへんのやろうね。

  年下の会ったこともない女の子を「佳子様」などと様付きで呼ぶ 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弥生の空に洋画10連発! 

2019-03-15 11:30:34 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1963~1972



1)ディン・パリソット監督の「ギャラクシー・クエスト」
シガニー・ウィーバーのおっぱいだけが見どころでしたあ。

2)トニー・スコット監督の「アンストッパブル」
爆発物を乗せた暴走貨物列車を、命がけでとめるディーゼルたちの大活躍。

3)ジョン・アヴネット監督の「アンカーウーマン」
レッドフォードと組んだミシェル・ファイファーのテレビ業界ものだが、なかなかみせてくれます。テレビカメラを前にコメントするのは確かに難しい。プロの仕事だなあ。

4)ジョージ・ロイ・ヒル監督の「華麗なるヒコーキ野郎」
独逸の撃墜王とのマジ対決に命を賭けるレッドフォードがかっこよすぎるずら。ロイ・ヒルも名人芸を見せる。

5)ステュアート・ベアード監督の「追跡者」
どうも怪しいなと思った奴がやっぱり犯人だったが、見ている途中でやっぱりこいつ怪しくないじゃんか、と思わせないと映画としては失敗なんだね。トミー選手が熱演してる。

6)アンドレ・ド・トス監督の「馬上の男」
どんなピンチの時にも余裕があり、どこか漂漂としたランドルフ・スコットがいい味わいをかもしだす洒落た西部劇ずら。

7)ジョン・ヒューズ監督の「フェリスはある朝突然に」
典型的な阿呆莫迦ハリウッド映画ずら。シカゴの街の建築物が映るのが唯一の見どころか。

8)アンドリュー・デイヴィス監督の「逃亡者」
むかしテレビで悲壮感いっぱいで放送していたが、こんな話だったのか。地味でネクラの死刑囚デビッド・ジャンセンとはうって変わって、本作でのハリソン・フォードは医者とは思えない七面八臂の大活躍で己の無実を暴いていくう。

9)デルマー・デイビス監督の「去りゆく男」
不運に付きまとわれて逃げてばかりいる男グレン・フォード、頭が弱いくらいの善人アーネスト・ボーグナイン、いい男に抱かれたくてウズウズしている人妻、陰険な悪人ロッド・スタイガー、、厳しいモラルに生きる教徒たち、と西部劇では珍しく登場人物の個性が明確に描きだされている。

10)ヴィム・ヴェンダース監督の「アメリカの友人」
デニス・ホッパー、ブルーノ・ガンツのガチンコ対決、加えてニコラス・レイ、サミュエル・フラー、ダニエル・シュミットまで特別出演する絢爛豪華なサスペンスミステリーだが、やや冗漫に流れる部分もある。

 「人の上に人を作らず」と諭吉言いしが天皇だけはその限りにあらず、か 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立能楽堂で第18回「青翔会」を見聞きする 

2019-03-14 12:56:40 | Weblog


蝶人物見遊山記 第306回



能楽の若手の研修を発表する「青翔会」の今回は、舞囃子が「弓八幡」、「屋島」「小塩」、狂言は「佐渡狐」で、トリの能は「海人」というプログラムでした。

3つの舞囃子からはさしたる感銘を受けず、狂言もまあまあの出来栄えだったので、今日はハズレかな、と嫌な予感に襲われつつ鑑賞した最後の「海人」が良かったのです。

これは大臣藤原房前と母の命がけの愛を切切と描く人情ドラマで、特に海女の母親が子のために自分を犠牲にして秘宝を取り返し斬った乳房の中に玉を隠すという「玉ノ段」が名高いのですが、私が感動したのは、中入り後に再登場したシテによる「早舞」の見事さでした。

宝生流の58歳になるベテラン、佐野玄宜選手が、龍女として舞い踊るのですが、これがじつに力が抜けた風情で、私は世阿弥の説く「幽玄」の「花」を、舞台で初めてこの目で見たという思いにつかまれました。

だんだん速くなる笛、小鼓、大鼓、太鼓のBGМは、さながらスティーヴ・ライヒのように奏でられ、その麻薬的なミニマム音楽に乗ったシテは、世阿弥が「花鏡」でいう「動十分心、動七分身」「目前心後」の教えを、地で行く飄々とした風のような踊りの極地を見せ、私は「ああ、この心地よいダンスよ、永遠に続け!」と願いながら、これまで味わったことのない仕合せな気持ちに包まれておりました。

いやあ、歌舞伎より、文楽より凄いのは、やっぱ能ですね。


    遠き世の部族の長の末裔と伝わる人に額ずく人々 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年版共同訳で「旧約聖書続編エステル記」を読む

2019-03-13 13:01:41 | Weblog


照る日曇る日第1213回

これはアルタクセルクセス王とその王妃となったエステルの物語です。

ユダヤ人モルデカイに囲われていた美女エステルは、傲慢なワステイの追放の後を襲って新たな王妃となちまする。

されどアルタクセルクセス王の暗殺計画を知ったモルデカイは、素早く王に注進して事なきを得た。

ところが、ままなく王の絶対的信任を得た宦官ハマンは、ユダヤ人皆殺し計画を発案、これを実行しようとするのですが、モルデカイはエステルの協力を得て、反ユダヤ主義者の陰謀を未然に防ぎ、敵を死に追いやって、その勝利を確実なものにするのでありました。パチパチ。


   和歌短歌宮廷文化の精華とて今なお愛でる歌人もありしが 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョン・チーヴァー著・川本三郎訳「橋の上の天使」を読んで 

2019-03-13 12:59:11 | Weblog


照る日曇る日第1214回

村上春樹の翻訳によるジョン・チーヴァーの短編が良かったので、今度は川本三郎訳にて読んでみることにする。全部で15編だが、村上版とのダブリは少ない。

1912年にマサチューセッツ州クインジイに生まれた著者は、1982年に70歳で死んだが、ニューヨークとその近郊の住宅地を舞台にした中流階級のWASPを主人公にした心理小説を、雑誌「ニューヨーカー」などに発表して後年の輝かしい文名を築き上げた。

「サバービア」(郊外人種)を見つめるチーヴァーの視線は、あくまでもクールで、文明社会の矛盾の本質を衝いていると感じられるが、表題作の「橋の上の天使」に象徴されるように、絶望とペシミズムの彼方に、一瞬垣間見られる虹の光彩をみると、読者である我々もほっと救われるのである。

いかに絶望的にみえようとも、人世に希望は、ある。と信じたい。


   今もなお五七五七七が大王の治世を言祝ぎ下支えする 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年版共同訳で「旧約聖書続編ユディト記」を読む

2019-03-11 14:21:59 | Weblog


照る日曇る日第1212回


超美貌の寡婦ユディトの色香に惑わされ、さんざん葡萄酒を飲んで熟睡していたためにベトリアであっさり首を掻かれた軍最高司令官のホロフェルネス。その姿は古来カラヴァジョ、クラナッハ、クリムトなどの名筆に描かれて人口に膾炙していますが、そのすべての源泉はこの「ユディト記」にあるのです。

ホロフェルネスは、エクバタナに首都をおいて権勢を誇ったメディアのアルファクサド王を滅ぼしたアッシリアの王ネブカドネツァルのナンバー2でしたが、結局イスラエル救国の女傑の血祭りにあげられたことによってのみ青史に名をとどめました。

しかし有名な画家たちのよって描かれたホロフェルネスの生首は、いずれもそんな不名誉などものともせず泰然自若としており、むしろユディトに殺されたことを喜んで受け入れているようにも見えるから不思議です。

圧倒的軍事力によって追い詰められ、絶対絶命の窮地に陥っていたイスラエルは、ユディトの奇跡的個人テロによって危機を脱し、包囲していた大軍を一発逆転の大敗に追いやった訳ですが、果たしてそれは歴史上の事実であったか否かは一切闇の中ずら。

されど「ユディト記」によれば、故地バトリアの地に凱旋した彼女は、ますます偉大な人物として崇められ、もはや二度と男に抱かれることなく105歳の天寿を全うし、祝福されながらこの世を去った、と記してあります。


   愛しけやしわご大王の御代のいやさかを年の初めに祈る歌人は 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九螺ささら著「神様の住所」を読んで

2019-03-10 10:03:32 | Weblog


照る日曇る日第1211回


新進気鋭の歌人による短歌&エッセイ一体型作品集です。
一体型というのがちょっとわかりにくいけど、たとえば「黒柳徹子」編では、あたまに、

 徹子の部屋の窓から見えてたえいえんみたいな二個目の太陽

という短歌が掲げられていて、それに続く2Pには黒柳徹子と「徹子の部屋」をめぐる気の利いた短文が添えられていて、

 こんにちは黒柳徹子こんちはえいえんの続きごっごそませう

という締めの短歌で終わる3Pの文芸劇場がぜんぶで84セット用意されているわけです。

作者は「どこからでもお好きな所を読んでください」とおっしゃっておるが、よっぽど頭と心と手に自信がなかれば、こんな思いきったご開帳ができるわけがない。

ちなみに、「ものごころ」編の「しおりちゃん」の童話はかなり泣かせます。

 なぜだろう三十二日梨だけを食べているのに梨にならない
 齷齪とアクセルを踏む齷齪がだんだんアクセルになってく
 そうめんとひやむぎは似て非なるもの二月と三月のあいだ辺りの
 獣道分け入ってゆく指先が永久の泉をさぐりあててる
 (みんちょうたい)と読み始めたらちがってた「明朝体に残るか不安」
 一文字も読まずに置かれた聖なる書聖書は置き薬箱の隣り

 最後の「聖書」の巻で作者が触れている聖書は、国際ギデオン協会が世界中の全国のホテルに寄贈しているもので、晩年にこの普及運動に全身全霊をあげて打ち込んだ私の祖父は、滋賀県大津の琵琶湖ホテルの贈呈式で挨拶に立ち、「主イエスキリストは」と語り始めたときに斃れて、帰らぬ人となったのだった。
 
   「主イエスキリストは」と言いながら祖父小太郎は召天したり 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恩田陸著「蜜蜂と遠雷」を読んで

2019-03-09 11:17:44 | Weblog


照る日曇る日 第1210回



映画にしたらよさそうな題名なので読んでみたら、クラシックの音楽コンクールをネタにしたコンペ物だった。

これは昔から小説にもなったり、映画にもなったり、エッセイにも書かれたりしているので、さほど珍しい話ではないが、昨今のこの業界の話題や過去の巨匠の面影なども巧みに取り混ぜて、1次から3次、そして本選に至る演奏作品の特徴やコンテスタント(コンペ参加者のことらしいが、ほんとにこんな風に呼ぶのかしら。「プロテスタント」なら分かるけど)たちの肖像、そして彼らの内面の葛藤をドラマチックに描いていて興味深い。

さすがは直木賞作家!と褒めたたえたいところだが、塩野七生ほどの悪文ではないにしても、なんとお粗末な文章の連続であることか。

せっかくの題材なのに、作者はただプロットのあらましを新聞記事のように無味乾燥な、あるいは漫画のセリフのような幼稚な感情表現の言葉を羅列するのみで、これでは到底プロの仕事はいえまい。

初心に戻って、少しは向田邦子や佐藤賢一や橋本治などの作文作法を勉強し直してみてはどうだろう。

読み終えての内容が「蜜蜂と遠雷」という立派なタイトルと、どのように対応できているのかも甚だ疑問で、同じコンテンツを、例えば角田光代に書かせたら、もっと素晴らしい小説になっていたに違いない、と思わずにはいられなかった。



「日本第一の大天狗」と「日本第一の大悪霊」をこの世に送りし鳥羽上皇 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年版聖書協会共同訳で「旧約聖書続編トビト記」を読んで

2019-03-08 11:32:43 | Weblog

照る日曇る日 第1210回



新旧教会が協力して2010年から17年まで7年間の歳月と労苦を経て遂に誕生したこの最新版の日本語聖書。外展の冒頭を読んだだけだが、ななかか読みやすく、訳文も簡潔でほとんど美しいので、すっかり気に入ってしまった。

「トビト記」は、アッシリアに捕囚となってニネベに連れてこられた善人父トビトと息子トビア親子のものがたり。貧者や恵まれない人々に施しをする善人トビトを嘉下した神は、天使ラファエルを遣わして父親の盲をひらいたのみならず、息子に良縁を与え、すぐ背中まで迫っていたバビロン捕囚から一家を救いだす。

世界中にある善悪因果応報の昔話、といえばそれまでだが、一読後のさわやかな幸福感は凡俗のおとぎ話の域をはるかに超え、入信へと自然にいざなう完成度の高い清話といえるだろう。

トビアの新婦サラは、悪魔につけ狙われ、これまで7度も新郎を迎え入れようとする都度殺されていたが、今回はトビアが大河で捕まえた大魚の肝臓と心臓が役立った。
香に焚かれた魚の臭いが悪魔を砂漠に追いやったのである。

またトビアが、同じ魚の胆嚢を父トビトの両眼に塗ってから、白い膜を両手で剝すと、ほむべきかな! 長年閉ざされてきた目が見えるようになる。

この2つの事象は、キリスト教の信者からみれば奇跡なのだろうが、宗教や信仰を離れても、ある種の医学的合理性があったのではなかろうか、などと思わず考えこんでしまった。


   なにゆえに赤の他人に頭を垂れるその来歴も定かならぬに 蝶人
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉文学館主催の「北鎌倉周辺 鎌倉文学館散歩」に参加して 

2019-03-07 11:35:51 | Weblog


蝶人物見遊山記第305回&鎌倉ちょっと不思議な物語第409回



毎年恒例の文学散歩は円覚寺前に10時に集合して、円覚寺境内の塔頭をめぐりました。その中の帰源院は、夏目漱石が止宿してその参禅体験を「門」に書いたことで有名ですが、その同じ塔頭に青春漂泊時代の島崎藤村も滞在して、「春」を書いたとは知りませんでした。

さて漱石の小説「門」の主人公、宗助は、円覚寺の老師から「父母未生以前の本来の面目如何」という公案を出されて呻吟し、それでも懸命に考えた1句を老師の前で述べると

「もつと、ぎろりとした所を持って来なければ駄目だ。其の位な事は少し学問をしたものなら誰でも云へる」

と切って捨てられ、「喪家の犬の如く」室中を退いたのでしたが、そんなら老師を瞠目させるような、「ぎろり」とした見解とは、どのようなものなのであようか?

思えらく、我々が六道十界を経巡り、終わりなき輪廻転生を繰り返す間にも、断ち切られずに宇宙と 厳然とつながっている黒い紐のようなものかしら。

よく分からないのでネットで検索すると、「人間はもともと神である。よってあなたも神なのである」というまさに「ぎろり」とした回答もありましたが、たまたま円覚寺のHPに老師のイエール大学の学生への見解が出ていて、それによると「父母未生以前」から個々の人間を内包しつつ延々と続く「いのち」であるということでした。

ふーむ、「いのち」ねえ。宇宙開闢以来烈々と燃えたぎる生命の大海! 
もしもそんな鮮烈なヴィジョンが、宗助の陰鬱な生の胸の裡に一灯を点じたならば、漱石の「門」の世界、そして人生観は大きく変わったかもしれませんね。



   文学館の山田さんの導きでいくたびも巡る文学名所 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

粕谷一希著「作家が死ぬと時代が変わる」を読んで 

2019-03-06 11:39:20 | Weblog

照る日曇る日 第1209回



戦後日本と雑誌ジャーナリズムの一角にあった著者が「中央公論」「東京人」などの編集長時代の体験を赤裸々に語っておもしろい。

たとえば塩野七生は、学生時代に東レの「シャーベット・トーン」キャンペーンに応募して、そのネーミング当選のご褒美でイタリアに留学。そこで偶然会った著者が「ルネサンスの女たち」を書かせたことが、彼女の作家デビューにつながった。そうだ。

大岡昇平の「花影」は好きな小説だが、この自殺した魅力的な主人公は、なんと小林秀雄、青山二郎、直木三十五とも関係があり、大岡はこの女性と同棲していた、というのも初耳でした。

深沢七郎の「風流夢譚」右翼テロ事件の詳報なども興味深い。そういえば私も昔、たまたま光文社の知人を訪ねたところ、森村誠一の著書に抗議、威嚇、罵倒する右翼と出くわし、ひたすら平身低頭する総務課長氏にいたく同情したことがある。

そのチンピラ右翼の投げた灰皿は、あやうく私に当たるところだった。くわばら、くわばら。 知識人がいちばん弱いのは暴力である。 私なんか偉そうなことをまき散らしていてもドスを孕んだヤクザに襲われたらひとたまりもないだろうな。

しかしこの本は、いま流行の「語りおろし」であって、著者が自ら書いたものではないから、文体が無個性で、その内容までも嘘っぽく感じられる。
タイトルは中央公論社の嶋中鵬二氏の名言だと著者はいうが、どこが名言なの、私にはわからん。
文学者がひとり死んだくらいで時代が変わってたまるか。



  南北で2つに分かれし万世のいずれが正当いずれが異端 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族の肖像~親子の対話その43

2019-03-05 10:36:06 | Weblog
 

ある晴れた日に第555回



お母さん、イソウロウってなに?
何もしないでおうちに居続ける人のことよ。

ぼく、光触寺と報国寺好きですお。
そうなの。じゃあ行きましょうか?
いやですお。

ぼく、岡田准一になりました。
こんにちは、岡田准一さん。

お父さん、加藤の藤は、藤沢の藤でしょ?
そうだね。
ぼく、藤沢好きですお。
そうなんだ。

ぼく、ふじさん牧場、好きですお。
そうなの? そういう牧場があるの?
ありますよ。

明日は図書館行ってえ、西友行きますお。
分かりました。

どうぞお入りください、どうぞお入りください。
「どうぞお入りください」って誰に言われたの?
小児療育で。

ササキマサミ先生、なんで小児療育やめたの?
定年で、だよ。

ぼく、イクタナオヤ君、好きですお。
イクタ君、どうしてるんだろうね?
わかりませんお。

ぼくは、線香花火、好きですお。
そうか。今年の夏にやろうか。
やらなくていいですお。

太田胃酸、胃が痛いときでしょう?
そうだよ。耕君、胃が痛いの?
痛くないお。

ぼく、オオヤさん、好きですお。
そう、お母さんも。
オオヤさんが「お仕事がんばってね」と言ったお。
そう。良かったね。

お父さん、比嘉さん、泣いてたよ。
そう。「比嘉さん泣くなよ」と言ってあげなよ。

お母さん、おくれてるみたいって、どういうこと?
おくれてることよ。

お父さん、イグサ、水の中でしょう?
そうだね。

証明ってなに?
どうしたらこうなるかっていうことよ。

お母さん、なんとなくって、なに?
お母さん、なんとなく、耕君好きです。

お母さん、集金ってなに?
お金を集めることよ。

お母さん、われらって、なに?
わたしたち、ってことよ。

ぼく、学校、好きですお。
そうなんだ。どこの学校?
鎌倉の。

お父さん、ホームって、とまるところでしょ?
そうだね。
お父さん、ぼく八百屋さん、好きだお。
そうなんだ。

お母さん、お腹いっぱいって、なに?
お腹いっぱい食べることよ。

お父さん、うろついちゃダメでしょう?
そうねえ、うろついちゃダメだよ。

お母さん、髪の毛をバサっとしてください。
はいはい、分かりましたよ。

お母さん、今日トマトシチュウとサケご飯にしてね。
はい、分かりましたよ。

「万世一系」などと気安く言うが最初期の天皇なんて誰も知らない 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プルースト著・吉川一義訳「失われた時を求めて 13」を読んで 

2019-03-04 10:39:29 | Weblog


照る日曇る日 第1208回


プルースト選手の大著もいよいよ大詰めを迎え、第7編の「見出された時」に突入することになった。といっても実際に汗をかいているのは吉川選手だけど。

ここまで悠揚迫らずゆったりとアダージョで流れてきた物語と、それが対象化している時間は、突如アレグロに瀬を早めたり、かと思うといきなり10年も20年も間歇温泉状態になって停止していたり、かと思うと、フローベールの「感情教育」に見習って突如蠕動を再開したりする。

すでに小説の現場では、第2次大戦が始まっていて、フランスはドイツの猛攻を受けてランスの大聖堂が崩壊したりしているが、我らがシャルリュス男爵は、「巴里が燃えてもわしゃしらん」とばかりに、自分が出資した男娼館に日参して離反した恋人モレルのそっくりさんに手足を鎖で縛らせ、鋭い鋲がついたバラ鞭で乱打されて苦痛の叫びを上げながら、恍惚のエクスタシーの世界に没入しておりやす。

本巻におけるクライマクスは、初巻の冒頭につながるゲルマント大公邸における「わたし」の体験で、突然よみがえったマドレーヌの味覚、高低差のある敷石の違和感が、「わたし」の精神を懐かしの「コンブレーの方」、「ゲルマントの方」へと向かわせ、わたしは戦中戦後の長い空白を経て、少年時代にそこで見知った土地や自然や家や「花咲く乙女たち」の真実の姿と向き合うようになるのです。

どこか遠くて深いところに隠されていた「無意識的記憶」が突如蘇ると、「わたし」はいい知れぬ幸福感に包まれるが、それは時間の秩序から抜け出した「一瞬の時」が、これまた一瞬真の自我に目醒めた人間を、我々のうちに再創造し、そのエッセンスを感知させてくれる、というのでしょうか。

いわば万骨枯れて時間の外に出る特権を獲得した「わたし」=プルーストは、文学や絵画、あるいは人世全体を淡々と観想するニーチェ、あるいはワーグナー的高みに立って、遂にはかく断言するにいたるのです。

「この人間にとって「死」という語はもはや意味を持たないということが理解できる。時間の埒外にある人間であれば、未来のなにを怖れることがあろう?」
「真の人生、ついに発見され解明された人生、それゆえ本当に生きたといえる唯一の人生、それが文学である。」

かくしてプルーストならではの独自の文学観、人生観、そして、嫌な言葉ですが、世界観がこここに誕生したと申せましょう。

  八隅しし吾大王の高照らす日の皇子らはいかに御座すや 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すべての言葉は通り過ぎてゆく 第66回

2019-03-03 11:35:59 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.304



欧米でもアジアでも中東でも南米でも、独裁権力者に対する反対運動の主戦場は街頭なのに、この国では沖縄と治安維持法反対の折の国会前を除くと驚くほど静謐である。もはや
安倍蚤糞の暴政には無抵抗を決め込んでいるのか。2/1

橋本治氏が70歳で命終した。ほとんど著作を手にとったことはないが、氏が源氏の右手になり代わり、光源氏を主語にして一気呵成に語り下された「窯変源氏物語」は見事な創作だった。合掌。2/2

国立能楽堂で開催されている「囃子方と楽器」展をのぞいてみたら、織田信長が献上された「青葉の笛」について、異常なまでの関心を示している書状があった。この銘器も、きっと本能寺で、彼の遺愛の品々と共に命終したんだろうな。2/3

能の公演では、地謡は囃子方の右側に座っているが、「囃子方と楽器」展で、囃子方の背後に地謡が座っている江戸時代の絵を見つけた。
これは現在のクラシックの合唱付きの演奏会の定位置に似ているな。2/4

先日の首相施政方針演説の「一人親家庭の大学進学率は24%から42%に上昇した」というデータを、朝日新聞の佐藤武嗣解説委員が検証したら、その出所は、サンプル数260弱の統計的意味が薄い「アンケート」だったそうだ。統計でも大嘘をつく安倍蚤糞!2/5

兵庫県の宝塚市では障害を障碍という字に変えることにしたそうだ。私も障ぐあい児の親としてその種の提案を役場にし続いていた時期があるので歓迎はするが、「害」を「碍」に変えただけで、障ぐあい児者施策が一歩前進したと考えるのは幻想にすぎない。2/6

純粋天皇の胎水しぶく暗黒星雲を下降する by大江健三郎2/7

「チュ、ジュウ」と鳴き交わしながら、コジュケイの6人の親子が、木陰からノソノソ出てきて、狭い滑川の上をヨタヨタと飛び越えた。こんな鈍重な田舎者の鳥たちが、よくも狂暴な台湾リスに襲撃されずに、ここまで無事に生き延びてきたものだ。2/8

「棘皮動物を裏がえす しかも 表にオレンジ色の肉があり 内側に黒紫色のトゲが蝟集する 逆さまのウニを なおも裏がえす」 大江健三郎2/9

ハ エンヤーコーラヤ ドッコイ ジャンジャンコーラヤ 一揆に出ましょうや わたしら女が 一揆に出ましょうや 男は強姦する、国家は強姦する わたしら女が 一揆に出ましょうや だまされるな、だまされるな! 大江健三郎「水死」2/10

「もしあなたが死んでも、私がもう一度、産んであげるから、大丈夫」 大江健三郎「水死」2/11

民意が変われば政権も変わる。前政権が決めたことを新政権が覆して正反対の内容に更新することは今も昔も世界各国でよくあることだ。韓国との慰安婦問題しかり。ロシアとの領土問題しかり。米国との安保条約、地位協定問題しかり。2/12

映画「スターウォーズ」のような新奇さを追求することによって、現代絵画は、風景画や静物画―そして最も大事な裸婦画―という言語を失ってしまったように見える。ジョン・チーヴァー、村上春樹訳 2/13

そして現代音楽は、我々が記憶の中でとても深く馴染んできたリズムと調性から離れていってしまった。しかしながら小説は、いまだに物語をしっかり保持している。ストーリーというものを。これは命を賭けて守るに値する。ジョン・チーヴァー、村上春樹訳 2/14

どうしても壁を作りたいというので、非常事態宣言を出したトランプ大統領。非常事態になっているのは、お前の頭の中だろう。2/15

憲法第1章第1条には、「天皇がこの国の象徴であり、国民統合の象徴である」と麗々しく書かれているが、象徴ならば、そんなとってつけたような大王よりも、一輪の菫、一匹の蜻蛉、あるいは春先に里山の麓を舞う一頭のギフチョウのほうがそれにふさわしい、と私は思う。2/17

「欲望という名の電車」の妹のステラは、ときとして往年を振り返って姉を「ブランシュ」と呼んでもおかしくない。そういう言語のはざまで居場所を失ったのがブランシュ=ブランチであり、そうした「名前のゆらぎ」のなかにあることこそ「欲望という名の電車」の危うさにつながっているのだ。西成彦「台湾文学のダイバーシティ」2/18

「佐々木」姓の私の実の祖父の姓は「雀部」というのだが、上田秋成の「雨月物語」の「浅茅が宿」を校注された浅野三平氏によれば、「雀部」は仁徳天皇の諱である鷦鷯(読みはササキ、意味は雀)を名にしたもので、山城国に雀部姓があるという。祖父は福知山の出身であったから話が合う。2/19

なんでも高級な補聴器だと、片方だけで30万円もするそうだ。両方なら60万円! それでも機能としては完璧にはほど遠いというのだが、ちと高すぎないか? 私ならいっそ補聴器は諦めて最高級のオーディオスピーカーを買いたいな。2/21

「フクロウと違って耳が付いているからミミズク」などと、能天気な「ニュース」を大騒ぎして「報道」しているテレビ局よ。そんな暇があったら、第2のモリカケ問題を徹底的に特集してみよ。2/22

記者会見で記者がするべき仕事は、首相や官房長官などに対して、問題意識を持って質問をすることであって、他の記者の質問やその答えを、PCに逐一打ち込むことではない。また質問のない記者は、記者会見に出る資格はない。2/23

ドナルド・キーン卒去、齢96。米国生まれの日本人、鬼怒鳴門氏の真骨頂は、石川啄木、正岡子規などの代表的日本人の伝記にあり、その白眉は「明治天皇伝」全3巻(新潮社)だろう。2/24

沖縄の県民投票で7割以上が辺野古新基地建設にNO!。この結果はいかな阿呆莫迦安倍蚤糞も尊重せざるを得ないだろう。2/25

安倍蚤糞が、その言葉通りに沖縄県民の基地反対の民意を「真摯に受け止める」なら、即刻辺野古工事を中止する以外の対応はできないはずだ。2/26



  和歌というも短歌というも同じこと民草は今もなお大王を讃える 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なにゆえに第61回~西暦2019年如月蝶人花鳥風月狂歌三昧 

2019-03-02 11:25:21 | Weblog


ある晴れた日に第554回



なにゆえに鎌倉ではゴミ収集車にカメラをつける「不審者!?」を追及するんだって

なにゆえに恵方巻きが大量に捨てられる予約分以上に生産するから

なにゆえに彼女はいつも肩を落としている突如息子を喪ったから

なにゆえにタレントが報道番組の司会をする報道が娯楽になったから

なにゆえにスマホを見ながら運転する道行く人を殺したいから

なにゆえに「鐘ひとつ」はなくなったNHKのど自慢の鐘

なにゆえに老いも若きもガンになる生死をわかつ天の気まぐれ

なにゆえにメルカリは「本人確認」を要求する余を怪しい人物と睨んでか

なにゆえにauへの相談は難しい何をどこに訴えたらいいのかさっぱりわからん

なにゆえに1万何千円もするケータイをつかまされたau店は無料だと云うたに

なにゆえにカール・ラガーフェルドは死んぢまった自分が死ぬとは思いもせずに

なにゆえにドナルド・キーンは死んぢまったドナルド・トランプに呆れ果てて

なにゆえにスタンリー・ドーネンは死んぢまった大紐育が踊らなくなったから

なにゆえに「多選自粛」の厚木市長がまた出馬して四選される

なにゆえに「みあ」ちゃんを「ゆあ」ちゃんに変えるどうでもいいんだ安倍蚤糞

なにゆえに「民主党政権は悪夢の時代」とのたまうなんせ天下無敵の大悪魔ゆえ

なにゆえに岡本行夫は統計不正を人手不足から論じるお前は昔から安倍蚤糞の手先

なにゆえに安倍蚤糞と参院選候補者を並べて掲げる公明党は自民の飼犬

なにゆえに「問題意識」を伝えたかモリカケと同じ「忖度官僚」

なにゆえにゴーン、厚労省、児相を責める安倍夫妻はすっかり忘れて

なにゆえに安倍蚤糞は森羅万象を担当するなんたってボクちゃん総理大臣だから

なにゆえに軍事費ばかり大盤振る舞いトランプはんの言いなりになって

なにゆえに君らは安倍に臣従し安倍はトランプに平伏する

なにゆえに沖縄県民の総意を踏みにじる安倍蚤糞を打倒せよ!


  なにゆえに見ず知らずの若い女性を眞子佳子様と尊称つけて恭しく呼ぶ 蝶人



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする