昨晩は仕事の終わるのが遅くなり、ヘトヘトになりつつ帰ったもののあともう少しで鎌倉というところで電車が止まり20分以上足止めを食って、結局帰りだけで2時間以上かかった。駅を降りたら暴走族が爆音を立てながら走っているわ、駅のロータリーは遅れた電車から降りてくる人を待つ車であふれ、風雨も強く、がっかりさせられるこんなことがあると、朝晩送り迎えを当たり前のようにしてくれる妻に対して感謝の気持ちが湧くのだが、それを言葉として表すとしても”ありがとう”の一言か、これに少し修飾語が加わる程度だ。だが、妻は私からの感謝の気持ちをその都度要求することはない。お礼を言ったら嬉しそうにしてくれるが、言い忘れても不満な顔をすることはない。
ロシアに理不尽に侵略されているウクライナが、各国からの支援に感謝する動画を公式ツイッターに投稿したところ、その”各国”の中に、日本が入っていないということで、物議というほどではないが、さざ波がたった。ウクライナとしては「武器提供してくれた国に対する感謝」だったそうで、防弾チョッキや金銭的援助に対してではないようだ。ウクライナ支援に血税が投入され、ロシアとの外交関係も大きな転換を迫られることとなって、日本も少しは”よくやった”と評価されたかったのかもしれないが、誰も褒めてくれなかった。だが、武器を提供している国、多くの戦争避難民を受け入れている国などの目に日本の行っている援助はどう映っているかは考えられておらず、一部の日本人の持った不満は子供っぽいものだったかもしれない。
このことをネット上で知った時、私は少し不快な思いを持った。でも、国は「本件は軍事支援の文脈で謝意が示されたものと推察している」と慌てずに大人の対応ができていて、私も納得できた。ゼレンスキー大統領の米国議会での真珠湾攻撃と9.11をならべて言ったり、昭和天皇を当時の他の枢軸国指導者と並べてツイートとしたりとか、日本人から見たら”せっかく助けてやっている割には態度がデカくない?”と思ってしまうことを、ウクライナは次々とやっているが、それはこちらの視点からの思いであって、これらのことに対して、よその国でどこか抗議反論をしてくれたところがあったかというとそれは聞こえてこない。そもそもウクライナにしてみたって、先の大戦における日本の過失はもはや過去のそれであり、今の日本はそんな国ではないし、同胞を受け入れてくれている国の一つだという認識を持っているはずだ。
地球上にある国で、他国に一切迷惑をかけることなくやってきた、脛に傷をもたないところなどない。先住民の虐殺から始まる歴史は、戦争での非人道的殺戮、無差別空襲、原爆の使用にまで至った。それぞれ暴挙と言わざるを得ない行為を乗り越えて人類は平和に向けて歩いている。国内問題を抱えながら外交問題を解決していくのはどの国も難しいことだろう。発展途上国にしてみたら欧米の既得権益に対する不満はいつまで経っても消えることはないが、G7がそれに耳を傾けることは少ないように見える。つまるところ外交では相手に期待するようなことをしてはならず、自国の立ち位置というものを客観的に捉えることが必要だし、世界をリードする国であると自負しているのであったら、鷹揚にどっしりと腰を据えて対応することが求められるのではないか。個人レベルでもそうだが、いったんしてあげたこと、出してあげた金やモノをどう使われようが、感謝されようがされまいが、相手に期待してはいけないのだ。
国はよく対応していると思う