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今や世界の多くの人のへあわへの希望と期待と夢を背負っているロシアのプーチン大統領だがウクライナへの侵攻の手を弛める気配は一向にみえてこない。せめて非戦闘員である一般市民の命だけは確保してほしいと願うが、それすらも危うい情勢で、いよいよ核兵器の使用を匂わせてきたし、西側へのエネルギー供給を完全に止めることまでして、戦況はますます混迷の度合いを深める一方だ。世界平和、人類共存などということは所詮絵に描いた餅だったのか。
生きている限り、人間は常に希望と期待を胸に、少しでも幸せになろうという夢を抱いている。ただ、それらは多分に利己的、自己中心的なものであって、誰もが勝手にそれらを都合よく解釈してたらとてもじゃないがこの世の中は回っていかない。希望とか期待、夢という言葉、どれも素敵な意味を持っているように聞こえるが、実際は個々人の勝手な思いであって、地球上にいる全ての人間が同じ言葉でそれを語ったところで、同床異夢もはなはだしい。
国家のありようを考えると、数千年にわたって多くの国がスクラップアンドビルドを繰り返してきた。その都度最適な国家体制を考え、理想的なシステムによって国家が樹立されたと考えても、それらはいつのまにか瓦解していく。その第一の原因はやはり人間が介在するからで、さまざまな思惑、利害が理想的な状態を台無しにしていく。そして、このことは国家のみならず、そこに属する多くの自治体・会社・学校などのコミュニティーレベルでも大なり小なり発生する。
それぞれの人間がそれぞれの希望を胸にし、何かに期待しながら夢の実現に邁進する。だが、その多くは壊され裏切られ破れる。私の人生を振り返っても、多くの希望を持ったがその都度それは壊され、期待したことのほとんどは裏切られ、夢に至っては未だ持つことすらできないまま馬齢を重ねるばかりだ。辛く悲しい思いをしなくてはならないとわかっているのに、人間はこれらを失って生きていくことはできないということは、存在そのものに矛盾すら感じてしまう。
これこそ人生