こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

パラリンピアンの生き方をお手本に

2019年04月03日 | 生き方について考える
生き方についての考え方には目的論的なものと原因論的なものがある(人生は微分と積分・・・人生は積分2019年03月18日)。
これは私なりの解釈だけど、原因論的な考え方とは、これまでの人生で経験してきた物事によって今後のことがある程度決まるという考え方。原因論的考え方の立場に立つと、出自、学歴、経歴が重要になるし、一度の失敗で将来はずいぶん暗いものとなってしまう。私はずいぶん長い間、この考え方に囚われたつまらない生き方をしてきた。
一方、目的論的な考え方とは、この先にある目的あるいは目標に向かって生きることで、現状にとらわれることなく、未来の自分は今の自分が作るのだと考えることとなる。”今のようになってしまったのは、これまでのことが原因だから、この先どう頑張っても人生が上向きになることなんてない”というのが原因論的な生き方とすれば、”今のような状況から人生をより良いものとするには、どうしたらいいか、そのことを考え実践して生きていこう”というのが目的論的な生き方といえる。
恥ずかしながら、これまで私は障害者スポーツの意義というものを理解しないできた。障害、という言葉が適切かどうかの議論はここでは別として、世の中の多数派である”五体満足な健常人”ではない人がスポーツその他の分野で力を発揮しようとすることが、とても目的論的な生き方であるということ、そして、パラリンピックの意義がなんであるのか、パラリンピアンの生き方というのが、目的論的な生き方のお手本であるということに、今日、気が付いた。
そのことを忘れてはいけないと、その気付きを文字としてこのブログに書き残すことにした。

手足が不自由だから、ろうあ者だからと人生をあきらめる必要はない。様々なことをあきらめずに明確な目標を持って生きているのが、パラリンピアンであるならば、その生き方を私は手本にしたい。
やれることを目標として生きることで、人生は開ける。
 
 
人間誰しも、空は飛べないし、年老いることからは逃れられない。そういう意味では、オリンピアンにせよ、パラリンピアンにせよ、老若男女みんなが同じ地平に立っていて、それぞれがそれぞれの目的に向かって生きていきたい。

目的を持っている人を邪魔してはならない


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