(昨日からの続き、このシリーズ最終回)
細胞自身が寿命に抗って生き延びようとしているのががん細胞。がん細胞、すなわちもともとは自身の細胞だってなんとか生き延びたいのだ。でも、その上手な方法がみつからない。だからがん化するしかない。そしてせっかく不死化能を獲得したのに、それを上手に使って個体としての人間を生き延びさせることができないのだ。
”人生50年”とかいわれていた頃は、感染症で亡くなる人が多かった。感染症がほぼ制圧され、栄養状態も良くなって人間全体の寿命がどんどん延び、人間が生物として生きることのできる限界まで生きることができるようになったからこそ、このがんとの戦いという現象が起こったといえるのではなかろうか。
”世界最高齢”クラスの人の年齢が110歳すぎ。そこが人間の生物学的な限界だとすれば、その手前で細胞自身が身の危険を感じてがん化するのも理解できる。がん細胞もヒトの体の一部。自らの命を奪ってしまう恐ろしい存在ではあるけれど、がん化は彼らなりに生き延びるすべを必死で考えた結果なのだと思う。
医者が、何のエビデンスももたないで、自分の妄想を不特定多数の人に向けて発信するのは社会的責任を考えるとやっていいことなのか自信が持てない。けれども、スピンオフの下手くそな物語を含め、日々癌の病理診断で顕微鏡を介して癌細胞と対峙している病理医の気持ちだと理解していただきたい。
がんの臓器を手に取り、顕微鏡で調べることができるように病気の部分を探し出し、標本化する。そして、そのがん細胞の広がり、悪性度を日々評価検討する。がん細胞は凶暴な”モンスター”の顔をしていたり、狡猾な詐欺師のような澄ました顔をしていたりする。がん細胞が、いかに人の体の中で生き延びようとしているのかということを考えながら診断するということで、病理診断にも新しい方法論が出てくるかもしれない。そしてそれは人間の新たな生き方を提示してくれることにつながることになるかもしれない。
”病気”はなぜ”病気”なのか