台風一過に近い状態なのか、気温も湿度も低めで、寝苦しさからは解放され、久しぶりによく眠れた。
とはいえ、今朝も空は雲におおわれスッキリせず、時折雨がぱらつくが、しばらくの間はこんな調子の天気でも我慢しよう。
先日、アップルウォッチで自動改札機にタッチしたが、タイミングが悪かったようでバーが大きな音とともに目の前で閉じた。
私の後ろにいた人は、迷惑そうな顔をして左右の改札口に流れ、私はもう一度タッチしたけれどやっぱり赤いランプがついてしまうから、強行突破はさっさとあきらめ、駅員のいる窓口に回った。
もう、出場し(たことになっ)ていますね、どうぞ(お通りください)
と、許可された。
自動改札の反応が悪かったせいで、私は少し傷つき、少し時間を無駄にしたので、機械の対応の悪さのせいだと駅員に向かって恨み節の一つもかけたいところだったたが、詮無いことなのでそのまま駅をあとにした。
世の中便利になってきたたなどと言って、ちっともそんなことないではないか。
先日のauの通信障害だって、何でもかんでもスマホにやらせるようになってしまったから極端に困ってしまったわけで、電話なんて固定電話だけ、インターネットは有線だけだったら良かったのではないかと思うが、技術革新は止まるところを知らない。
フリーズしたのが特定のユーザーだけというのも奇異な状況で、他のキャリア利用者は全く何もなく、日常は普通に過ぎていたが、通信など国が一括管理したらいいとも思うが、そうすると監視社会へと繋がってしまうわけで、それほど簡単な話ではない。
この先も、人類が便利と引き換えに失うものは数限りなくあるだろう。
火、文字、武器、翼、電気、原子力、通信、その他もろもろ人類が獲得した技術で、これだけは他人を傷つけることのない有益なもの、というのは果たしてあるだろうか、そんなもの一切無いのではないだろうか。
そうすると、文明の利器の発達によって得られた便利と引き換えに人類は多くのものを失ったのではないかと考えなくてはいけない。
いまさら、リセットはきかないし、技術革新の流れを止めることもできない。
人類はどこへ向かうのだろう。
ついていけなくなりつつある
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メールやLINEの返信などで、便利どころか逆に生活が忙しくなっています。携帯が普及する前は、家に帰るとホッと一息つけたのですが。
頻繁に来る通知が煩わしいので、私は寝る1時間前にスマホの電源を落としています。
いつでもどこでも誰とでも連絡が取れるようになりましたがそれが果たして本当に便利と言えるのか。
人はときおりそう思いたくなりますね。
しかし古来から人類は技術を発展させてきたわけで、
もし技術の進歩が人に何かを失わせるばかりなら、
我々はすでにすべてを失っているでしょう。
電話が固定電話だった時代でも
問題は多々あったはずです。
今でも役所への届出は書面でしか受け付けないとか、
急患を受け入れる病院を探すために、
救急隊員は各病院にいちいち電話をかけないといけないなど、
それが正しい姿なのでしょうか。
低度の技術は人間を単純作業に縛り付け、
つまりそれは人間をロボット化しています。
ときおり人は、技術が低い昔の方が
今より何かがあった、と思うものですが、
低い技術の社会や時代は、代わりに人間を奴隷として使う社会ではないでしょうか。
高度の技術は、仰る通り、崩れたときに
社会が麻痺する危険はありますが…。
それは津波や地震でも同じではないかと思います。
だからといって、人々が密集し、高度な建築物が並ぶ都市を築くべきではない、と言ったらおかしいのではないでしょうか。
私は過去へのノスタルジーに溺れて、
人々が実は奴隷化されてきた歴史を
甘くオブラートに包んで忘れてしまうことは
間違いであると思います。
私は、人々を単純労働から解放し、
また一庶民すら簡単に世界に意見を発信できるようにさせた、
技術の進歩は素晴らしいと思います。
技術の進歩で何かを失って見えたとしても、
人間の根底は常に変わりません。
ただその見え方、出し方が変わるだけです。
人は変わらず、同じものを求め、
同じことを悲しみ、怒り、
同じことを喜び、感激します。
高度な技術に頼ってしまうと
崩れたときに、というのはいつの時代にもあったリスクではないでしょうか。
うまくまとめられず、長々と書いてしまいましたが、
進歩は恐れるものではないと思います。
良い1日をお過ごしください。😊
コメントありがとうございます。
技術の進歩に追いついていけなくなりつつある自分に対する苛立ちもあるかもしれません。
良い点、悪い点を取捨選択して考えながら生きていきたいものです。