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今日は五月晴れの一日となるそうで、朝のうち空を覆っていた雲も行きの電車に乗る頃にはずいぶん晴れて明るくなった。そもそも旧暦の五月というのが梅雨時で、その合間の晴天を五月晴れだと言うのだという気象予報士の解説を聞いてそういえばそうだった、そんなことも忘れてしまっていたかとちょっと情けなくなる。ちなみに今は新暦の五月の晴天のことで使うのが一般的で、大型連休ごろの晴れを指して言ってもいいようだ。
おととい、新聞のクロスワードのようなものをやっていたら漢字が出て来なくて参った。いくつかあったが、述懐の懐の字が正しく書けなかったのには参った。毎日、1、2度はペンを持ってノートに字を書き込んでいるものの、画数の多い字を書くことは減っている。先週、学生に「嚢胞って、知ってる?あの、嚢っていう字を使うやつ」と尋ねてから、いざ自分では正しく表現できず、指で宙にいい加減に書いて納得させた。胆嚢の嚢と同じだよと言って逃げたらよかったか。
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PCの変換機能に頼り切って久しい私、いまのところ漢字の選択は正しく行なっているが、この能力もこの先どうなるか怪しい。NHKの連続テレビドラマで、主人公の無学な兄が、「(持ち逃げした金は)倍にして返す」を置き手紙に「部にして返す」と金を盗む場面が出てくるが、このままでは私も置き手紙ひとつろくに書けなくなってしまうかもしれない。漢字を読む力は本を読んでいたらまだ維持されるだろうが、書く力は書かないでいたらどんどん失われていってしまう。最近、一番字を書いたのは、昨年12月の分子病理専門医試験の記述式問題の時だった。解答用紙に大量の字を書き込むことができてよかった。
もうちょと頻繁に字を書くように努めないと、正しく書けない上に、下手くそにもなってしまう。写経でもしたらいいのだろうが、その時間はないので、ノートを開く頻度をもう少し多くして仕事で使う字だけでも正確に書けるようにしたい。そういえば、昔の人の書いた書簡というのが残っていて、その達筆さに驚くことがあるが、この先、美しい字というものが、一般の人の間から失われていってしまうのだろうと思うと残念だ。
ペンダコも消えた
私も、職場ではPC、自宅でもPCとスマホで、
ペンを持つのは、書類に名前をサインする時だけです。
文字は、書かないと忘れていきますよね。
脳の引き出しが、どんどん減っていくようで、、、。
人間の脳は、使わない機能を排除するように、コンパクトになっているのでしょうか?
なんだか怖いですが。
こんな生活を送っていると名前すらちゃんと書けるか心配になってしまいます。いや、冗談ではなくてね。
あなたのいうように、脳が使わない機能を排除しているとしたら、その排除した分は何に使っているのでしょうか。脳は使えば使うほど神経回路が増えていくと言いますが、使わないでいるとどうなるか、ちょっと怖くなりますね。