こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

帰宅困難者

2011年03月12日 | 自然災害・事故・感染症
 東日本大震災のため、私鉄、JRとも運転を見合わせたため、帰宅困難者(帰宅難民)となった人がたくさんいた。

 実家では、4時頃おこった長野での地震で目が覚めた。学会での発表(指定発言)と後輩の結婚式があるため、着替えのためにも一旦家に帰らないといけない。東海道と横須賀線が動き出したということをテレビで確認し、おふくろにお礼を言って、出る。

 東海道が動いているという話だったが、動いていない、みんな立ち往生。
 鎌倉へは、京急で金沢八景周りで新逗子へ。逗子から歩くつもりだったのだが、鎌倉行きのバスがあってそれに乗った。海周りのバスで、小坪を通ったときは不安だったが、窓越しに見える海は静かだった。
 昨日は由比ガ浜に1メートルを越える津波が来たということだったが、大津波ではなく幸運だった。
 新築とはいえ、あのような大津波が押し寄せていたら、木造家屋の我が家など、あっという間に流されてしまっていただろう。
それにしても、この海があのようになってしまうとは、都内と違って大きく見える富士山を仰ぎ見ながら考える。

 鎌倉に着き、駐輪場に行くと、自転車がいっぱいある。
 まだ多くの人が帰って来れないでいるようだった。
 これが、9時半。我が家に着いた。
 フラットコーテッドレトリーバーのナイトが、いつも以上に私に抱きついてくる。
 マルチーズのコロも同じようなもので(彼はフラットコーテッドレトリーバーほどな抱きかかえられるような距離には来ないが)。犬たちもよほど怖かったのだろう。

 文字に書かれているもの(朝刊)を読むと、大変さが別の形で認識される。

 学会の中止の知らせが来て、今日の予定は夕方にある後輩の結婚式だけとなった。
 娘は稽古事の発表会で私とはすれ違いに妻と神戸に。息子は、ボーイスカウトのキャンプが中止となり、中学時代の友人のところへ。
皆、普段の生活をすることしかできない。

 横須賀線は終日、逗子-大船間のみの運行。東海道を乗り継いで、都内に入った。
 3時間(普段の倍)ちかくかけて、式場に着いた。
 新郎新婦とも、このような事態のうちに結婚式を開くことに、気の毒にもずいぶんと恐縮していた。
 それでも列席者全員で新しいカップルの門出を祝った。
みな、昨晩は帰宅難民化しており、新郎は3時間、主賓の方も5時間位かかったとスピーチでおっしゃっておられた。

 帰りは、極めて乗り継ぎがよく、1時間程度で帰ることができた。

 家ではテレビでは、ますます深刻化する被害状況が流されていた。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
3・11 (iminaine)
2017-03-15 03:15:04
あれから6年。
お互いにプラス思考で頑張りましょう。
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