東日本大震災のため、私鉄、JRとも運転を見合わせたため、帰宅困難者(帰宅難民)となった人がたくさんいた。
実家では、4時頃おこった長野での地震で目が覚めた。学会での発表(指定発言)と後輩の結婚式があるため、着替えのためにも一旦家に帰らないといけない。東海道と横須賀線が動き出したということをテレビで確認し、おふくろにお礼を言って、出る。
東海道が動いているという話だったが、動いていない、みんな立ち往生。
鎌倉へは、京急で金沢八景周りで新逗子へ。逗子から歩くつもりだったのだが、鎌倉行きのバスがあってそれに乗った。海周りのバスで、小坪を通ったときは不安だったが、窓越しに見える海は静かだった。
昨日は由比ガ浜に1メートルを越える津波が来たということだったが、大津波ではなく幸運だった。
新築とはいえ、あのような大津波が押し寄せていたら、木造家屋の我が家など、あっという間に流されてしまっていただろう。
それにしても、この海があのようになってしまうとは、都内と違って大きく見える富士山を仰ぎ見ながら考える。
鎌倉に着き、駐輪場に行くと、自転車がいっぱいある。
まだ多くの人が帰って来れないでいるようだった。
これが、9時半。我が家に着いた。
フラットコーテッドレトリーバーのナイトが、いつも以上に私に抱きついてくる。
マルチーズのコロも同じようなもので(彼はフラットコーテッドレトリーバーほどな抱きかかえられるような距離には来ないが)。犬たちもよほど怖かったのだろう。
文字に書かれているもの(朝刊)を読むと、大変さが別の形で認識される。
学会の中止の知らせが来て、今日の予定は夕方にある後輩の結婚式だけとなった。
娘は稽古事の発表会で私とはすれ違いに妻と神戸に。息子は、ボーイスカウトのキャンプが中止となり、中学時代の友人のところへ。
皆、普段の生活をすることしかできない。
横須賀線は終日、逗子-大船間のみの運行。東海道を乗り継いで、都内に入った。
3時間(普段の倍)ちかくかけて、式場に着いた。
新郎新婦とも、このような事態のうちに結婚式を開くことに、気の毒にもずいぶんと恐縮していた。
それでも列席者全員で新しいカップルの門出を祝った。
みな、昨晩は帰宅難民化しており、新郎は3時間、主賓の方も5時間位かかったとスピーチでおっしゃっておられた。
帰りは、極めて乗り継ぎがよく、1時間程度で帰ることができた。
家ではテレビでは、ますます深刻化する被害状況が流されていた。
お互いにプラス思考で頑張りましょう。