日々、いろいろな出来事がおこる。
国家間の戦争・紛争からテロに始まり、地域、会社、そして個人的にもさまざまなことがおこる。
そこには、多くの人がいて、それだけの人生がある。
いろいろな局面で、人は選択して生きていかなくてはならない。
人間の人生はその選択の積み重ねからなっていて、その時々の選択が正しいかどうかはわからない。
すなわち、人生に正解はない。
その時々の選択の結果などどうなるかわからないのだから。
けれども人生の選択に不正解はある。
正解がなければ、不正解もないはずだけど、人間にはしてはいけないことがある。
してはいけないこと、それが人生の不正解。
一言で言えば罪。
罪に対して、人は罰を受ける。
だが、人生の不正解は、不正解をした人が罰を受けるだけでは済まない。
罰を受けないような不正解もある。
世の中に最も多いのはこのような不正解行為。
そして、人は自分が人にどれだけ迷惑をかけ、どれだけ傷つけているかに気づく必要がある。
自分だけは正しいと思っている人がいる
私は罪とは、人間という他者と関わって生きることしかできない存在が、他者に対してしてしまうことだと考えます。自分に対する罪は自分自身に返ることだから、それは自分自身で始末したらいいと思います。でも、自分自身に対する罪って、自殺以外にはないと思います。それに自殺だって後始末のことを考えたら誰かに迷惑をかけてしまうということで、罪の一つにならないでしょうか。そして、他人に対してしてしまう迷惑なことが、私の考える罪です。具体的にいえば、自分がされて嫌なこと。いじめにしても公共の場での迷惑行為にしても、どれも罪ではないでしょうか?そして、それはしてもいいことでしょうか?私は、自分がされて嫌なことは他人に対しては絶対にしてはいけないと思います。それでも、罪を犯してしまうから、日々悩みながら生きて行くのだと思います。そして自分は罪を犯して反省して成長することができますが、被害を受けた人、いじめられた人にとっては重要でも何でもない迷惑なことです。
なぜ不正解になるのか、もう少し明瞭な答えが聞きたいです。
私は人生に正解も不正解もないと思っています。
罪を犯すことも人生において重要な経験であり、その人の人生で欠かせないものであるからです。