こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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病理解剖で思うこと(7/10)マクロ的な死と病理

2016年04月21日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

昨日も書いたが、マクロ的な死というのは“社会的な存在である人間の死”であると考えている。病理医はそこにどのように関わることができるか、私はこれまであまり考えたことはなかった。 臨床医であれば、患者さんを入院させるにせよ、生活習慣の指導にせよ、医療費負担にせよ、患者さんの社会的な存在の部分に大きく関わっていて、当たり前のように考えていることだ。

終末期医療の進歩により、様々な評価方法、基準が提案され、実際に用いられている。だが、その評価方法に病理解剖診断が含まれているという話は聞いたことがない。当然といえば当然のことで、人生は死で永遠に停止するので、生前にさかのぼって評価しても仕方ない。しかしながら、抗がん剤などの治療効果を病理医が評価するようになっていることを考えると、病理医が求められていることはまだまだありそうだ。

 

その一つが病理解剖を通じてのことだ。治療効果の判定は昔から行ってきたことだが、治療の質まではともかく、生活の質(Quality of life)までは検討しようがなかった。マクロ的な死に対する評価というのが必要か、それにあれこれ考えてブログに書くのは勝手だが、このようなことに多忙な病理医が労力をさく余裕があるのか。そもそも病理医が関わる必要があることなのかどうなのか。

 

 病理の現場を考える必要もある

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