こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

医療者としての病理医である自分の存在意義

2023年07月24日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
日が昇るとあっという間に暑くなるうえ、今日は少し蒸し暑い。
起きがけに寝違えて、背中が少し痛むが、これは早晩おさまるだろう。

なんとなく肩身の狭い思いがする。
何がどうというわけではないのだが、いろいろ面倒と思うことがある。
これも早晩おさまってくれるだろうが、職場でのことが原因の一つであることは間違いない。

そんな仕事なら放り出してしまえばいいのだが、何より生活もあるし、職場では自分が必要とされている(と思う)ので、いなくなったら困るだろうからそうもいかない。
まあ、代わりなんていくらかはいるだろうから病院はなんとかするだろう。

それはさておき、私はなんのために働いているのかと言われたら迷いなく、医療のため、と答える。
医療とは何かと、10年ちかく前にいろいろ考えたことがあり、『医療とは人の願いの実現』とか『医療とは国家が医療者を通じて行う生命のサービス』と結論づけた。
前者は患者目線の、後者は医療者目線の定義で、それぞれ当たらずともいえども遠からずといったところだろうと思う。

ただ、病理医の場合、その定義がそのまま当てはまるかというと、最近少し自信がない。
病理医は直接患者さんを診ないからだが、これは患者さんを診たくない病理医が決めつけているような気がする。
まあ、ただでさえルーチンの診断で忙しいのに、これに外来や入院患者さんへの説明などが加わったら時間がなくなるが、診断に責任を持つのであれば説明を直接行うことが要求されても仕方あるまい。
そのようなことをやらせてくれたところもあったが、臨床医も時間調整が面倒なのだろうか、ほかでは依頼はない。

この先も、診断とカンファレンスや学会発表の手伝いだけをやっていたらいいのだろうかと思ってしまう。
でも、最近、あれをやってやろうこれをやってやろう、という気概が少し減ってきていて、このまま消えていくのもいいかと考えることが多い。
何のために働くの

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