こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

社会と医学とジェンダーと

2023年02月27日 | 愛と女性とジェンダーと
今日から暖かくなるというので、コートは着ないでジャケットにマフラー、手袋で出てきた。
太陽も顔を出していて、寒さをほとんど感じない。
冬は終わったと感じるが、次は花粉の季節だ。
土曜日に洗った車の上には、花粉が被膜のように乗っかっている。
一難去ってまた一難、寒さ対策の次は花粉症対策だ。
テレビ、新聞でジェンダー問題についての話題を見たり読んだりしない日はほとんどない。
病理医としての仕事をしていると、人間の性別についてほぼ毎日意識する。
意識する、というよりは患者さんの性別は診断に必須な情報の一つであって、そのことを抜きにして診断を進めることは不可能だ。
遺伝性疾患には圧倒的に男性の方が症状の強い出るものがあるし、膠原病のように女性に多い疾患もある。
だから、特徴的な症状を有する患者さんの診断をするときなどは性別を加味して進めなくてはいけない。

私は、患者さんから病変部として切り離されてきた組織を見て診断するので、患者さんの性自認について考える事はいまのところ無い。
今後、ホルモン療法などその人固有の状況が生じる可能性はあるものの、そのような事態はまだしばらく先になるだろう。
だが、臨床医にしても性別について区別した上で診断、治療を進める必要があり、そういう点に配慮しながら行うことになる。
例えば、女性病室、男性病室という区別、名札、カルテ上の性別の表示、その他諸々のことを細かく対応しなくてはいけない。

昨今、こういったことに対応しようと頑張っているのはいいことだが、このような事は、”もともと”配慮しておかなくてはならなかったのではないだろうか。
以前から時々考えていた、障がい者と健常者の違いというのは、”健常者”という人が作った環境こそがスタンダードであるということから始まっていることであり、ジェンダーギャップについても状況は同じだ。
人間、誰一人他人と同じではない。
思想信条にそれぞれ違いのあることは比較的容易に受け入れるのに、障がいのあるなし、ジェンダー認識の相違についてはなぜそれが難しいのか。
そのことを考える社会を実現することがより幸せな世界をもたらすことにつながる。
私もあなたも違うのだ

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