冬型の気圧配置が崩れるとかで、空はどんよりしている。
季節の変わり目となる今日は節分。
寒さは底を打ったようで、あとは暖かくなるらしい。
今年の冬もなんとか乗り切ることができそうだ。
天寿をまっとうするというのは難しいということで、話がおわった一昨日からの続き。
生きている限り、自分の意のままにならない死というものが訪れる可能性がある。
無事(?)に自分の家で死を迎えるためにはどうしたらいいかと考えたが、そんなことは土台無理だと思ったほうがいい。
いつどこで大怪我を負うかわかないし、いつ癌が見つかるかもしれない。
その都度それらを乗り越えなくてはならないと考えるか、それともそれらを受け入れて生きてく方が楽だろう。
痛かったり苦しかったりと体の自由がきかない辛さはあるが、それに立ち向かうのではなく、その状況を生きる、その状況と共存する、それこそがうまい生き方だろう。
機能障害があっても、生きる。
そして、いつも死を覚悟して生きる。
それが難しいからこそ、死を考え、恐れおののくわけだが、死から目を背けて生きていては、突然の死に立ち向かうことはできない。
かといっていつも死ぬことを考えて生きるのも馬鹿馬鹿しい。
ただ、その瞬間、
ああ、自分という人間はいつかこうして死ぬ存在だった、そしてその時がいまなのだ
と死を思い、受け入れ、とにかくここまで生きてくることができて、いい人生だったと思えるのではないか。
そうやって、自分の死を客観視することは可能かもしれないが、では死による別離はどうするかというと、こればかりはどうしようもなく、やはり死はやっかいなものである。
これが宿命か
応援よろしくお願いします
何が起ころうとも運命には逆らわず、そう考えることで心が軽くなりました。
運命に逆らわない。
生きるというのは難しいですが、なるようにしかならないと、その時々自分に恥ずかしくないように生きたいものです。
私も「死」ということについて、ずっと考えています。
特に去年の3月と5月にペットを続けてなくしてからは、それまで以上に考えるようになりました。
死が怖いのは、多分、それがなんなのか、その正体がわからないからなのかなと思っています。
人間は、わからないことや得体の知れないものを怖いと感じるのだと思うのですが、死はまさにそれなのかと思っています。
もっとも、その前に一番怖いのは、死ぬまでの痛みとか苦しみとかを想像してしまうことなのかもしれません。
だから、その時間が短ければ短いほどいいなとは思います。
ただ、残された者にとっては、例えば事故死等のような突然の死の方が、覚悟した死よりも悲しみが大きいのかなという気もします。
とても難しいです。
一つ言えることは、死ぬよりも生きることの方が難しい。
でも死ぬまでは一生懸命に生きるしかないということでしょうか。
まとまりがないコメントなってしまって申し訳ありません。
死ぬよりも生きることの方が難しい、というのは確かにそうですね。
命を粗末にしてはいけない、生きている限りは自分が嫌いになるような生き方をしてはいけない。
そんなところでしょうか。