こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

春雷

2010年03月11日 | 鎌倉暮らし
昨日、倒れてしまった大銀杏を見に、いつもよりも早く出て、鶴岡八幡宮を通った。

この世のものとは思えない、無惨な姿で大銀杏は本殿前の大石段の下に横たわっていた。
ちょうど、鎌倉の町に朝日が差し込んで来る時間だったが、倒れてしまった大銀杏に日の光りは届いていなかった。

大石段を登れる時間でなかったので根のところは見ることができなかったが、折れたようになっていた。植えなおすのは難しそうだ。
大銀杏が倒れた昨日の未明、雨はほとんど止んでいたのだが、ゴロゴロというような音で目が覚めた。横で寝ていた妻も目を覚ましていて「春雷かしら」と言っていた。
新聞には、昨日の午前四時頃、警備員も同じような音を聞いたことが書かれていた。近所の人でも私たちのように大銀杏の倒れる音を聞いた人間はいたと思うが、倒れる様は、誰にも見られなかったのだろう。

人知れず倒れた大銀杏。大往生だ。

いきものは命の終わるときに、誰の目にも触れないように身を隠すというが、大銀杏の最期も、これに通じる。

このことが単なる自然現象であったとして、もし、あと、半日後で雨がやみ、参拝客の多い時間帯に大銀杏が倒れていたとしたら、どうなっていただろうと思うと恐ろしい。

数日来の悪天候との関連がいわれているが、千年の命の中で、あれだけ多くの人を見守ってきた大銀杏の最期が、誰もいないあの時間であったというのは、大銀杏をこの世に遣わした神の配慮であったのではなかろうか。

大銀杏のもたらした春雷が、私たちに多くの恵みをもたらすものであって欲しい。
(2008年のお正月)
『春雷』 
春の初めに鳴る雷。
春の到来を伝えてくれるという事で大変めでたい雷とされ、その雷により雨が降り農作物も多くできると農民にも喜ばれるものと知られている。
雷鳴に驚き冬眠していた地中の虫たちが目覚めるという想像から、「虫出しの雷」という呼び名もある。(はてなキーワードより

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