今日はCPC(Clinico-pathological conference;臨床病理検討会)がある。
CPCについてはこれまでにも何度も書いてきたので、詳細は割愛するが、私の中では院内で最も重要なカンファレンスだと考えている。
院内で亡くなられた方について、関係した全科が集って死に至るまでの全ての経過を検討するのだから、当然のことである。
そんなわけで、今日はネクタイを持ってきた。
CPCの終わりに病理医が、症例の死に至る総括を行うのだが、その時がCPCのハイライトとなる。
臨床医が、疾患の発症から、診断、治療を行い、最終的に救命し得なかったのはなぜかを病理医が解剖(剖検)所見から解説するのだから、途中居眠りしていたものであっても、最後だけは聴かなくては意味がない。
病理医に注目が集まるその時にだらしのない格好というのでは様にならない。
以前は、若い医者だけが着ていた医療用スクラブだが、今や老若多くの医者が使っている。
コロナの取材でも院長クラスの人の多くがスクラブだ。
病院というところは、診療を行うところだから、それはいいのだが、なんとなくみんながみんな”軽い”感じになっている様な気がする。
外来では、スクラブの上に白衣を着ているが、前を閉めないでいる医者が多いのには閉口する。
病理医も切り出しだの迅速診断だのさらには病理解剖だのでは着替える必要があるが、それ以外は汚染、感染する機会はあまりなく、基本的には普段着でいることができる。
学生時代、死んだ父に言われた、
大学で講義を受ける時にTシャツなどもってのほかだ、襟付きの服を着ろ
というのが頭に残っていて、社会人たるもの襟付きの服を着るのが最低限のマナーだと思っていて、そんな服を着て出勤し、院内を歩く時には、その上から白の診察衣(ガウン)を羽織ることにしている。
白衣はもちろんくるみボタンで、前は全て閉める。
そして、必要に応じてネクタイを締める。
若かった頃、何かの折にずいぶん立派に見えた先生がいたが、私もそんなふうに見られたいと思う。
そもそも60歳近く、というか定年近くになってもチンケな格好をしていてはいけない。
見栄えも、多少は重要だ。
学会ではネクタイをしている人は依然として多いが、院内とはまた別だ。
役者では無いので所作までとはいかないが、それでもそういう場には居住まいを正して臨むという姿勢が大事だ。
一人でもそんな姿に”いいね!”と思ってくれる若い医者がいたら、ネクタイ一本締めた甲斐があるというものだ。
年相応、立場相応のあり方というものは必要であり、それを演じることも必要で、権威主義的とかそういう類いのものとは異なる。
まあ、こんな話はこれぐらいにして、今日の最後の内容チェックに取り掛かろう。
緊張せずに
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