太宰治の「人間失格」を読んだ。
以前にも読んだことがあったはずだったのだが、内容をほぼすべて忘れてしまっていたので、新潮文庫を新たに買った。
最後まで読み、やっと以前読んだことがあったのを思い出した。でも、読んだのはずいぶんと昔、おそらく、高校時代のことで、その時には何の話だか理解できなかったように思える。
この年になって、私の人生がこれまで決して人様に話せるようなものではなかったと多々思う。
本当に悔いの多い人生を送ってきた。
一番後悔していることは、いじめ。けがをさせるとか、登校拒否にさせるといったことにはならなかったものの、相手を深く傷つけたことに変わりなかった。中学高校時代の私は最低の人間だった。
二つめは女性を傷つけたこと。容姿のことを平気で悪しざまに言ったことが何度かあった。その点で私はゴミ以下の人間だった。
こんなことを考えさせること自体、太宰の術中にはまっている訳だが、それはそれで、自分を考えるきっかけにはなる。
ゴミ以下だった私がこの先どうやって、生きていくか?
女房、子供(二人)をかかえて、どうやって生きていくか?
生き様って?
何が人生の本質なのだろう。
『乞食のような心を持っている者は幸いである。。。!』。これが人生すなわち人間の本質なら、
答えは上から、貴方の貧しさを知っている天からいただいてもいい、いただきたいという心。小さい子供のような、希望を持てる素直な貧しさは純粋。
『子供のようにならなければ、あなたたちは神の国に入ることはできない』から。
本当に嫌な10代20代でした。
そして、50が近くなっても、その頃の自分が悪魔のような顔をのぞかせるのに戦々恐々として生きています。
でも、素直に、というか自分には正直に生きていきたいと思っています。そして、悩んでいます。