(第6話からの続き)
警察での事情聴取が終わってから、家に帰り着いたのは終電1本前の電車だった。事情聴取の順番を待つ間、スマホで事件の概要を調べた。
事件発生後2時間の段階で分かっていたのは、犯人の男が職業不詳の46歳。動機はわかっていない。被害者は6人。私のすぐ横で腕を切られた女の子は中学生で、軽傷だったとのこと。お腹を刺された初老の男性と、背中を刺された中年男性はいずれも重傷だが、一命は取りとりとめたようだ。このほかに、3人、女性2人と男性1人が、腕とか脚を切られたとのことだ。被害者はなんの罪もない人ばかりだった。
犯人は周囲にいた人の協力によって取り押さえられた、とネットニュースでもすでに報じられていたが、その顛末、すなわち、キムチ桶が犯人の男に命中したことと、男を取り押さえた2人の売り子については何も言及されていなかった。みんなの協力というよりは、男を捕まえてくれたはあの2人だったのに、だ。
スマホニュースにそのことが書かれていないのなら、SNSの動画にアップされているのではないかと探してみたがやはりあの2人は出てこない。それどころか、あたり一面がキムチだらけになった画像もない。
出てくるのは男を遠巻きに囲む人たちを後ろから映した動画しかなかった。プライバシーに配慮しているのか、警察の捜査に影響でもがあるからなのだろうか。
警察の事情聴取では、私が目撃したこと、すなわち目の前で女の子と男性2人が傷つけられたこと、そしで、いよいよ自分もお終いかと思ったところで、キムチ桶が飛んできて、キムチを売っていた売り子が助けてくれたことを話した。私の話を聴いた捜査員は、その状況をいぶかしむこともなく、私が話すことを淡々と記録していた。
後日、話を聞かせてもらう必要がいるあるだろうからその時は連絡が自宅にくるということ、カウンセリングが必要ならすぐに手配すると言われた。カウンセリングについては今日のところは結構ですと、配慮にお礼を言って警察を出た。
帰宅してからみた夜のニュースでも、キムチ桶の話はでてこなかった。
どうしてだろうと妻に話したが、妻は私の話の方に半信半疑だった。
警察では話さなかったが、今夜のわが家のメニューはキムチ鍋の予定だった。妻からのリクエストでキムチを買って帰ろうとしていた矢先、この事件に巻き込まれた。
あの階段を登りきったところで、目の前にキムチフェアーのワゴンがあるはずだったが、現れたのは凄惨な通り魔事件だった。男が取り押さえられたあと、妻には「ごめん、すごい事件があって、キムチ買えなかった。僕は無事だから。」とだけ、アプリで連絡した。
「何かあったの?大丈夫なのね。」
と返事が来てからは、警察の人への説明やら何やらでやりとりができなかった。妻もその後ニュースで状況を知って、何通かメッセージをくれていた。断片的にやり取りし、「ところで、今夜の夕食どうなった?」と入れたら、「あるものでなんとかするから心配しないで。」と返信があった。
思っていたよりも帰宅が遅くなってしまったので、普段通りの量では胃がもたれるからと、夕食は鮭茶漬けと豆腐サラダにしてもらった。
「ねえ、結局、キムチは買わなかったのよね。それにしてはスマホにキムチの宣伝が急に入ってくるようになったの。なんでだろう。」
「あれ、そっちも。僕の方もなんだよ。僕が買えなかったから、どこかで買ったのかな、と思っていたのだけど。」
「ううん、あの連絡のあと、何かあったら困ると思って、家にずっといたわ。」
「そっか、何が起きているのかな。」
キムチ鍋食べたかった
第8話に続く