こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

病理診断とは・・・検査ではない

2009年10月04日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
先の総選挙で落選した大臣経験者が亡くなった。
その死因については行政解剖を行って検索を行うことになったのだが、一部の報道では”病理検査”を行って死因を検討するとなっていた。
病理診断には確かに検査としての側面があるが、やっぱり”検査”ではなく、診断なんだと言いたい。病理診断は病理医すなわち、医師が行う行為だ。
もちろん、病理”検査”という言い方は臨床医が患者さんに対してするもので、一般的にはそれでいいのだが、われわれ病理医(少なくとも私)は”検査”というよりは”病理組織学的診断”を行っているという意識だ。

とくに、死因についての検索は“病理検査”ではなく、“病理解剖”もしくは”剖検診断”だ。
「行政解剖を行ったが、死因は判らず、病理検査を行う」って、どういう意味なんだと言いたい。解剖から組織学的診断までを含めたものが病理解剖”一式”であり、だから、”組織や細胞を調べる病理検査”って言うのはどうもしっくりこない。

病理解剖は、亡くなられた方の一生を振り返ることとなる極めて高度な診断業務だ。それだけに、2、3日で結果が出るものでもないし、今回の死因の究明についても、明日明後日には(おそらく)結果は出ないだろう。

マスコミの病理に関する認識も低くて悲しい。
先日も某大新聞の記者が、私の知り合いの病理医に、「病理医ってどんなことやっているんですか?」と聞いていたそうだ。
臨床医が病理診断を行っているのは、実は自分とは別の医者が行っているということをわざわざ言いたがらないので、なかなか一般の人の間で認知度が上がらないのもわかるが、医療関連のことを取材している記者でも病理医の仕事内容を知らないとは残念だ。

まずは、アーサーヘイリーの「最後の診断」を読んで欲しい。
それとも、山崎豊子の「白い巨塔」を読んだことはあるのだろうか?日本の医療小説の金字塔だ。
そこに登場する病理の大河内教授を知らないのか?

こういうことがあるたびに、病理医としてのプライドを傷つけられ、病理を続ける気持ちが萎える。