こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

小鳥と一緒に講習会

2021年02月13日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
日本病理学会主催の講習会(ゲノム病理診断講習会)をオンラインで受講。
暖かな天気だったので、ベランダで聴くことにした。都内の密な講演会場で聴くのとは大違いで楽ちんだ。講師の先生は東京の会場に3人ほど集まったようで、あとは、地元からだった。新型コロナのおかげといってはなんだが、移動の要不要が急速に明らかとなってきている。移動会場に費やされていたお金が別のことに使われるようになって、1年前までの会議室ラッシュが嘘のようだ。

臨床の現場は遺伝子解析が席巻していて、患者さんから採取された検体を正しく適切に処理をすることのできる病理医の役割が飛躍的に重要となっている。がんゲノム診断に関する講義なのだが、PCRとかウェスタンブロッティングだのを使って研究をした最初の世代だったのは幸いで、これらの内容になんとかついていっている。それでも”いまさら聞けないこんなこと”なんていうのがたくさんあって、大いに役立った。一番知りたかったのがClinVar。がんゲノム医療で行うエキスパートパネルでよく出てくる言葉。どうもデータベースらしいということで、ググってやっとわかった。そうしたら、You Tubeとかにも解説があっていろいろ勉強できそう。1人病理医をいいことに不勉強のままだとこういうことにいなる。こういう講習会というのでも、ずいぶん刺激になる。
小鳥のための餌台をちょっと離して置いたら、スズメが群れでやってきた。この間までは7羽だったが、今日は10羽。二家族ぐらい集まっていた。スズメがバタバタしているのを背中越しに感じながら講義を聞いた。
朝、9時半から途中休憩を挟んで終わったのは16時少し前。私の病理診断科もまだまだ整備しなくてはいけない問題点が浮き彫りになったし、まだまだ汗をかかなくてはいけないようだ。
終わってから、散歩に出かけ4キロほど歩いた。
鎌倉も結構揺れました

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飛び石連休は泣き面に蜂?

2021年02月12日 | 日々思うこと、考えること
雲の多い朝。気温は高めで、マフラーをせずに出てきた。胸元が少し涼しいが、あんまり寒かったら一番上のボタンをはめたらいい。電車は空いていた。普段の半分ぐらいだろう。それもそのはず今日を休みにしたら4連休になるし、この緊急事態宣言の折、休みを増やすのに悪いことはない。それに、春節の連休でもある。ただまあ、医者は少なくとも病院を開けている日には出勤するのがデフォルトだし、病理医であっても必要としてくれる臨床医がいる。

病院ではチョコレートを何個かもらった。1人目の女医さんにもらった時は一体なんのことかわからなかったが、カレンダーを見て今度の日曜がバレンタインデーだということで合点がいった。病院勤めのような仕事だと出てくるが、リモートワークが進んでいくと、誰も会社にいないから、チョコレートも不要になっていくだろうとチョコレート会社が心配になった。そう考えると飛び石連休で今日休む人が増え他であろう今年のバレンタインデーは泣き面に蜂のような話で気の毒なことだ。

女性蔑視発言で、森喜朗オリパラ組織委員会会長が辞任することになった。思っていることを口にしてしまうようでは、その任にある資格はない。多分、座を盛り上げようと冗談めかして言ったつもりだったのだろうが、他人を揶揄することでしかそんなことができないようでは今やダメだということだ。

電脳化社会は働き方を変え、個々人の発言力を変えている。人の粗探しとまではいかないが、ちょっとしたミスであってもそれが社会通念にそぐわないもであれば糾弾される。政治家など、小さな会合であってもおかしなことを口走ったら一巻の終わりとなりかねない。案外、いい方向に向かっているのかもしれない。ただ、心配なのは、たまに人と話すと嬉しくなって余計なことまで口走ってしまいそうになるということ。私自身、おおいに自重しなくてはいけない。
今日いただいたチョコレートにしても、チラとでも私のことを思ってくれたのだと、コロ健にも配ろうと考えてくれたことに思いを致し、ありがたくいただくことにする。
ダイエット中につきちびちびと

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お客さんが来てくれた

2021年02月11日 | 日々思うこと、考えること
近所に小さな赤ちゃんのいるご夫婦がいて、子供好きの妻がその奥さんと仲よくなった。その方は外国出身でママ友がなかなかできないということで先日わが家に遊びに来てもらった。ご主人も遊びに来たいということで、今日お招きした。
暖かい時間においでください、と声をかけておいたので、1時過ぎにくるとのこと。妻はチーズケーキを焼くというので、私はその前にヴェランダと玄関の掃除をすることにした。ヴェランダの手すりの緑苔をケルヒャーで落としたら、ずいぶん白さが戻った。お客さんが来てくれると家が綺麗にすることができて嬉しい。
ヴェランダとはいえマスクをしておしゃべり。北風が強かったということだが、裏山のおかげで風を感じることはほとんどなく、暖かく過ごすことができた。まだ、1歳にもならない赤ちゃんというのを久しぶりに間近にみて、抱っこしてずいぶん小さいものだとびっくりした。日が陰ってからは部屋の中に移動した。それにしてもマスクをした大人を見て育つこれからの子供、どうなっていくのかとしんぱいになった。
3月並みの穏やかな暖かさの1日、結局のんびり過ごしてしまった。
明日は頑張ろう

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これからはどうやって人間関係を築いていけばいいのだろう

2021年02月10日 | 人間関係
夜明けが美しい時間がやってきた。春はあけぼのというがまさにその通り。そんな美しい空を撮った写真を見てみると、もっと青みがかって美しかったのにと残念になる。もっと広い範囲が入るようにしておけばよかったと思うが、寝起きでは寒くてそんなに外に出ていられない、2、3枚パパッと撮り、見直すこともなくすぐに引っ込んだ。今朝の鎌倉、気温は2度ということだけど、車載の温度計では氷点下0.5度。それでも、昨日ほどの寒さを感じないのは今日から暖かくなるという天気予報のせいかもしれない。

いつの間にか2月も10日。来月の講演の打ち合わせをZoomを使って担当の方としたら、案外時間がないことに気がついた。何を話すかというのはしばらく前から考えているのだが、実際にスライドを作るとなると想定とは違ってくる。1月中にもう少し頑張っておけばよかったのにとほぞを噛んでも遅い。1月締め切りの原稿はやっと半分終わったところ。1月締め切りの原稿は他にも2本あって、それらはとっくに片付けていたのだが、残り3本の1.5本分というわけなのだが、原稿依頼がたくさんきたのに気を良くして引き受けたのは軽率だった。原稿バブルが弾けてしまうことのないようもう一踏ん張りというところだが、休みが来ると思うとすぐに疲れが出てしまう。

昨日、病理診断科に出入りしている業者さんが懐かしい病理医の名前を聞かせてくれた。最近、ご無沙汰でどうしているだろうかと何かの折にふと思い出していたのだが、その業者さんの口から、先生が新天地で元気にご活躍だということを聞いて嬉しかった。なんでも、私のことをずいぶん褒めてくれたそうで、私のような人間のこと気にもかけちゃいなかっただろうと考えていた身としては意外だった。例え、その人の立場に立っているつもりであっても、他人が自分を見る目などわかったものではなく、真逆のこともしばしばある。相手に期待しないことを当たり前として、おかしな予断は持たないで接するようにすることが大切だろう。

コロナ禍で、人と人との付き合いが減ったようであっても、全くなくなるわけではないし、やがてはこれも収束したら付き合いも多少は戻る。Zoomでの講演会の打ち合わせは3人で行なったが、相手方の1人は初対面だった。背格好はわからなかったが、マスクをしないで家族以外の人と話したのは久しぶりで新鮮な思いがした。容量の問題もあって大人数のオンライン会議では映像を切るようになっているが、どうするかは難しい問題だろう。やっぱり、相手の顔を見ながら話すのはいいが、わざわざ嫌いな人の顔を見るのは遠慮したい。人との付き合い方もこれから変容していくので、どういうことがあると人の好き嫌いが生じるようになっていくのかもなかなかわからない。対応するのも一苦労となりそうだ。
嫌なら即、シャットダウンというわけにもいかず

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抑え込みまであと半年ぐらいか(私の希望的観測)

2021年02月09日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
先週末の暖かさとはうってかわって、昨日今日は寒い。でもこの寒さも明日までで、あさっての建国記念日には暖かくなるようだ。この時期になると、”三寒四温といったら朝鮮半島”、というのを中学受験の時に教えてくれた塾の社会の先生は穏やかでいい方だった。もともと社会科が好きだったというのもあるが、スパルタ式の嫌な塾にあってその先生の授業だけは落ち着いて話を聞くことができた。あの頃40歳前後だっただろうから、今なら80歳過ぎぐらいか。コロナ禍の中、お元気でお過ごしだろうか。その塾はもう無くなってしまったが、寺子屋式というのか、板の間に座布団1枚で座って授業を受けるのだが、密も密、たくさんの小学生が押し込まれ、よくあんな窮屈なところで勉強させられたものだと思う。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大防止のために提唱された”新しい生活様式”は人と人との距離を着実に広げている。人の間隔は2mが推奨されるようになった今となっては私が通った塾のような密な状態はあり得ない。いきなり人との距離を取るようにといわれても対応できない人は少なくない。そういった人が会食をやって感染を広げてきた。まさか自分は感染などしないだろう、という正常性バイアスに捕らわれていたのだろうが、それで命まで落とした方は気の毒だった。”どうしたら感染しないか、感染を広げないか”ということが分かり始め、多くの人の生活様式が変わりつつある。これまでのおよそ1年は、このような生活様式を定着させるための準備期間であったと考えることもできる。

東京での新規感染者数が昨日276人となった。もう一息で100人を切る。あと、1ヶ月頑張ったら100人以下で推移するようになるのではないだろうか。そこで、緊急事態宣言を解除したらまた感染者数は増えていくだろうが、ワクチンの供給が追いついて高齢者の重症者が減ったら医療現場は一服できるので、希望的観測だがあと半年、7、8月ごろには医療崩壊から立ち直ることはできないかと思っている。東京オリンピックは是非開催してほしいが、依然としてギリギリのところにあって予断を許さない。

ポストコロナの時代に、どうやって経済を立ち直らせるかは国の方針に関わっている。もっとも有効な感染拡大防止策はワクチン接種であって、その証明をマイナンバーカードと紐付けできないだろうか。ワクチン接種を受ける受けないは個人の自由だが、すくなくとも航空会社や旅行会社、ホテル、旅館、飲食店などの受け入れ側も証明のある人だけを中に入れるということが可能となる。ワクチン接種を受けた人はある程度の自由を手に入れることができる、そんなインセンティブはあっていいのではないか。当然のことだが、アナフィラキシーの危険があるようなワクチン接種に危険が伴う可能性のある人にはその証明をした上で、PCR検査を定期的に受けるなどの代替策を講じる必要がある。

あと、ワクチンに効果が無いとか言っている人がいるようだが、そういいながら”一応”とかいいながら接種していたりするので、あまり信用しないで、自分の考えた通りにするのがいいでしょう。
ワクチンがちゃんともらえたら

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妻と2人の生活に戻り

2021年02月08日 | 家族のこと
先週末、息子夫婦が遊びに来て、久しぶりに4人で夕食を囲んだ。嫁に会うのは久しぶりで、楽しい時間を過ごすことができた。私の勤務先も含め、それぞれが勤める病院ではクラスターは発生していないので、2家族での食事は許容範囲だったかと思っているが、あと一息でワクチン接種というところまで来ているので、もう少し我慢するべきだったかとも考える。症状の出る前に感染力が生じるという、新型コロナウイルス(SARS-CoV2)というのは本当に厄介だ。とにかく、おとといを起点として2週間は体調の変化に注意を払って生活しなくてはならない。

それはさておき、翌朝になって食洗機に入りきらずに洗い残しとなった食器の量に驚いた。さすがに鍋料理にはしなかったので、却って食器が増えたのかもしれないが、妻と2人の生活にすっかり慣れていた身としては久しぶりの大人数だった。遅くまで嫁と話し込んでいた妻が少し寝坊したので、昨日は私が朝から洗い残しを手で洗った。

食器の量に驚いたということを話したら、妻も前の晩、食洗機に入りきらなかったのをずいぶん驚いていたらしく、私に感謝してくれつつ、”(2人の子育ての間、あんな量)よくやっていたわ”と言っていた。妻は専業主婦で、家事育児に全力を傾注することができていたが、これに仕事が加わっていたりしたら水分大変だっただろう。世の働くお母さんたちへの支援をもっと拡充しなくては、少子化を抑えることはできまい。

息子と娘が出て行ってからのわが家は静かだ、そして夫婦2人となって共に年老い、いろいろ病を得ていくのだと実感する。それが新型コロナウイルス感染症なら、私は元喫煙者、(今は薬でコントロールはしているが)高血圧、男性と重症化リスクが3つあるから、死ぬことも覚悟している。妻は女性なので死ぬことはないだろうが、やはりかかったら面倒だ。がんのリスクなどわからないし、運動機能の低下か認知症が元で、不慮の事故にいつ遭遇するかも不明だ。互いのそういった命に関わるリスクを考えながら生きるようになり、これが運命共同体なのだとしみじみと思う。明日にでもどちらかに何かが起こるかもしれないのだと、いつもある程度の覚悟を持って生きているくことが大切だ。
人は必ず死ぬ

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なにもなかった1日

2021年02月07日 | ガーデニング・菜園・花・緑
昨日に続いて今日も好天。
原稿を書こうと思っていたが、やる気が出てこない。結局、妻と散歩に出かけてしまった。
コロナ疲れで昨日の鎌倉は大変な人出だったというネットニュースがあったので、表通りはなるべく歩かないように市内を歩いた。
それなりの人出だったが、お互いソーシャルディスタンスをとっていた。
スーパーでお花を買って帰り、淡い色を集めた寄せ植えを作った。
昨年12月に作ったハンギングのうち、ネメシアが枯れてしまってたので、それも手直し。今日買ったパンジーと別の植木鉢にあったノースポールを植え込んだ。ネメシアを抜いてみたら、小さな芽が出ていたので、別の鉢に植えた。ただ単に寒さにやられていたようだったので、これから暖かくなったら元気になってくれるだろう。
ギザギザ葉の葉牡丹は相変わらず調子がいい。パンジー、ノースポールと競い合って立派なハンギングになってくれるだろう。
そんなわけで、今日は特に何もせずに終わってしまった。明日からお仕事頑張ろう。
明日は真冬の寒さだって

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東京2020まであと167日+90日ぐらいでどう?

2021年02月06日 | 日々思うこと、考えること
朝のうちは雲が出ていたけどやがてそれもとれて快晴となった。
東京駅の近くに用があって横須賀線で直行直帰。

往復の電車の中では佳境に入ってきたエミリーブロンテの「嵐が丘」をずいぶん読み進めることができた。
あと、脱稿の遅れている原稿の資料読みも。
用事を済ませ、東京駅の前まで来たが人出は少ない。銀座あたりはどうなっているだろうかと思ったが、さっさと帰ろうと駅の写真だけ撮って帰ることにした。
東京駅の駅前広場には東京2020のカウントダウンウォッチがあって、今日は167日を示していた。
167日というのはなんとも日が無い。
森喜朗大会組織委員会会長の舌禍も、山下、橋下、なによりIOCの強行突破で開催へ向け、乗り切ってしまおうとしている。なんとも大したものだ。
いただいたコメントへのお返事にも書いたが、無観客開催ではできないかと考えているのだけど、選手役員だけでもものすごい人数となるので、現実的には無理だろうか。そう考えながら、では、ワクチン接種証明があれば入国を許可したらどうかと思いついた。ワクチンの供給のことを考えたら、10月開催ぐらいに延期したらどうかと。
モスクワ五輪のことを思い出すと、選手がやっぱりかわいそうで、なんとかならないだろうか。

あと、政治家は誰が責任を取るか、責任をとる覚悟があるか、それが一番不安ではある。
涼しい方が

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30年後の医療はどうなってる?

2021年02月05日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今朝もよく冷えていた。テレビニュースでは朝から、政治のバタバタの話、ウンザリを通り越してもう笑ってしまう。新聞も同じような記事ばかり。新型コロナウイルスに対するワクチン接種の準備も右往左往しているみたいだが、自治体レベルの仕事は住民目線できめ細かいからおそらくどこも比較的うまくいくだろう。無駄だけは出さないようにしなくてはいけない。

昨日、私の子供たちと同世代若い技師さんが切り出しについてくれた。包埋用のカセットが機械から吐き出されるのを待っている間、

「(あなたが私の年になる)30年後って、臨床検査とか、病理とかどうなっているんだろうね」

と、話しかけたら、

「どうでしょう、全く想像できませんね。自動化がどんどん進んで、(検査技師の)仕事がなくなっているかもしれませんね。」

と、答えてくれた。

医者を含め、”医療者”がする仕事で機械にできそうなことはあと10年もしたらほとんど開発され尽くし、置き換えられてしまう。病理診断に関してだとどのようなところがそうなるか、容易には想像できないが、その手前のところ、例えば消化管腫瘍の内視鏡診断などはすでに相当な精度で行われているし、画像診断の精度も飛躍的に伸びている。その採取してきた検体の”確認”作業である病理診断は、個人個人のバリエーションが大きいため機械にはなかなか任せることはできない。悪性腫瘍であれば、類似した組織像をネット上から大量に抽出して症例との合致率の高いものを提示してくれるような診断補助装置ができたら病理医は大変助かるが、私のようなニッチな領域までそれが行き届いているかはわからない。ただ、ゲノム医療には病理組織検体の取り扱いが重要となってきていて、私にも新しい仕事が増えている。

臨床はどうか。臨床データからAiが自動的に診断をして、治療方針を決めてくれるようになるだろうから、臨床医はずいぶん楽になるだろうが、結局のところ、実際に患者さんを診るという作業は医者がやらなくてはならないし、急変時は人間でなくてはどうしようもない。介助作業はロボットの方が安全だし、介助者の負担も少ない。介助作業はロボットのオペレーターのようになっていくかもしれない。まだまだたくさん挙げられようが、医療現場の省力化はずいぶん進むに違いない。

医療技術の面白いところは、機械ができることはどんどん機械にやらせるのだが、それではカバーできない人間でないとできない仕事が後から後から出てくるということだ。

私が死にかけているだろう、もしくは既に死んでいる30年後の医療はどうなっているか。進歩した医療の恩恵を受けているか、受けることなく死んでいるかだけど、継時的に見ていったらこんなものかと受け入れいるだろう。まずは、コロナ禍を生き延びての話だが。
省力化と精度向上

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呆れてものも言えない今日この頃

2021年02月04日 | 日本のこと、世界のこと
 2、3日でそうそう変わるものではないけれど、心なしか日差しが力強くなってきたような気がする。お日様がこんなだとこっちも元気になってくる。とはいえ、放射冷却のせいだろう、気温は0度、またまたダッフルコートに大判マフラーで出かけた。

 コロナコロナの毎日だが、新型コロナウイルス感染症とはあまり関係のなさそうなことで最近起こったことを書き留めておく。

・ミャンマーでクーデター。アウンサンスーチーさんはロヒンギャ問題で国家顧問として世界中からバッシングされていたが、この問題も軍部との対立の一つではなかったか。結果として総選挙で国民はNLDを支持し、軍部が不正を主張するに至っりクーデター。ミャンマーの人たちの誇りを傷つけるようなことであって、とても残念。(アウンサンスーチー氏を拘束か ミャンマー国軍 朝日新聞デジタル 2021年2月1日)

・ロシアでは反プーチン運動が盛んになっているそうだ。長期独裁政権は仮に善政であったとしても、人間は変化を必要とする生き物だから閉塞感は免れない。ましてやこのコロナ禍、影響力を残しつつ第一線から身を引くという手もあるだろうに、王様にでもなったつもりなのだろうか。野党指導者のナワリヌイさんが実刑判決を受けたというのも残念なことだ。(プーチン政権、デモ沈静化に苦慮 長期支配や経済低迷が背景―ロシア 時事ドットコムニュース 2021年2月2日)

・菅総理が、緊急事態宣言を発出した時の記者会見でプロンプターを使ったそうだ。原稿があるからか、目には生気が戻って、まるで官房長官時代に戻ったようだった。悩みも多いだろうが、政治に中途半端は許されない、結果がすべてだ。悩みなんてみんな抱えている、甘ったれたことは言わずに腹をくくってことに当たってくれないだろうか。(菅首相が発信力強化狙う、プロンプター初使用-「日々悩む」と本音も Bloomberg  2021年2月3日)

・東京オリンピック・パラリンピック組織員会会長の森喜朗元首相が“女性の多い会議時間かかる”と発言した。これは男性でもそうで、学会とか会議で延々と話す長広舌の男性は少なくない。根底には、”女のいうことなんて聞いていられない”ということがあるのではないか。男性と女性では話の進め方が違うから、男性にはわかりにくいだけで、女性同士だったら案外分かり合えもする。全柔連評議員の銀メダリスト溝口紀子さんが、「女性理事の『発言の時間をある程度、規制をしていかないとなかなか終わらない』のは、女性理事の問題ではなく、会議進行役の手腕によるものだと思います」 というコメントは秀逸だった。(「女性が多い理事会は時間がかかる」五輪・パラ組織委 森会長 NHK 2002年2月4日)

遊泳する人の近くを航行か クルーザー操縦の医師を書類送検へ NHK 2002年2月4日 去年8月の話
小川彩佳、エリート夫に不倫発覚! 秘密主義の男がコントロールしきれなかった“女性感情” 週刊女性PRIME 理Ⅲ出の脳神経外科医で今は医療ベンチャー企業の代表とか。

医者が話題になるのはいつもこんなこと。クルーザーって、一隻いくらするのだろう。やっぱり、逗子マリーナとか葉山マリーナに泊めているのだろうな。そして医療ベンチャーなんていうのがあっても、私は常に使われる側。まあそれはそれでいいのだけど、品位を落とすような真似はしないでほしいものだ。

どれもマスコミ経由の話なので、多少なりともバイアスはあるだろうが、額面通り受け取るとなんといっていいか言葉を失いそうになる。

というか、世の中ひっちゃかめっちゃか

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緊急事態宣言の延長と政治家の壁

2021年02月03日 | 日々思うこと、考えること
立春。

先週末あたりからの昼間のポカポカ陽気で勘違いしていたが、朝はすごく寒かった。鎌倉の気温は0.5度。考えてみればまだ2月3日なのだから当たり前で、そんなに春が早くきては調子が狂う。子供の頃は、今の時期が真冬だと思っていたが、それは関東地方では降雪が2月、3月に多かったからなのだろう。凧揚げ、コマ回しに興じていた1月ごろの方がよほど寒かったはずなのに、子供の感覚とは面白いものだ。寒暖の差が大きくなって、最高気温と最低気温の差が10度以上になるらしいが、寒いうちに病院の建物に入って、寒くなってから出てくる生活をしているので、このことはあまり関係なさそう。

新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のための緊急事態宣言が1ヶ月延長された。内閣官房より出された”新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言”では、外出・移動、イベント、施設の使用、テレワークなどについて書かれているが、結局のところすべては”会食”に繋がっている。今や、マスク越しの会話に不自由を感じる人はほとんどいない。老若男女を問わず、マスクなしとなる会食での飛沫が感染拡大の原因であることは間違い無いので、”宣言”でもそのことが強調されている。


感染状況を示すカーブが下向きになってきて、多くの人が緊急事態宣言の効果を実感し始めているが、このような状況をどれだけの間続けることができるか疑問だ。だが、完璧に続けることができなくなってもこの2ヶ月で”新しい生活様式”に多くの人が順応することができたら、感染をコントロールすることも夢ではない、そんな希望もみえてきた。

ただ、それが現実のものとならないのはやっぱり政治家の壁があるからなのはいうまでもない。一部では国会をオンラインで行うという意見もやっと出始めたたようだが、そんなこと、”声の大きさ”で恫喝することを旨としてきた代議士が受け入れるはずがない。憲法が足かせとなっているようだが、解釈を変えるのが上手い人はいるだろうに、どうして進まないのだろう。オンライン化したら陳情だって銀座のクラブで受ける必要はないわけで、地元でじっくり話し合ったらいい。議員同士の情報交換はオンラインで行ったらいい。国民の生命、財産を守るというような覚悟があったら、そういった方策を考えていったらいいのに、多分嫌なのだろう。面倒だし、内緒話ができなくなりそうだし。

STAR WARSの中でジェダイ最高評議会はオンライン会議だったが、パルパティーンが銀河共和国最高議長に選ばれた銀河元老院の会議は向こうが見えないようなとてつもなく大きな会場で行われていた。あれも、効率非効率を対照的に表していたのだろうか。

感染状況の改善がみられ、医療体制の逼迫が改善したら早く終わらせるというようなことも言われているみたいだが、見切り発車だけはしないでほしい。本丸である東京、そして神奈川、埼玉も十分コントロールできるまでは、絶対に解除できない。この3都県は最低でも1ヶ月の延長である覚悟が必要だと思う。

オンライン国会、道のり遠く 新型コロナで議論活発も (時事ドットコムニュース 2020年12月29日20時30分)

油断は禁物

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99%の反省と1%の肯定

2021年02月02日 | 人間関係
 一足早くというか、フライングしてしまった感じのような春の嵐。1日早いといっても立春はまだ明日だ。昨晩からの強い南風がたくさんの雨雲を運んできたようで、風の音と雨音でいつもより早くに目が覚めてしまった。いつも通り、妻に駅まで車で送ってもらったが、降りる時には雨脚も弱くなっていたので、傘を持たずに少し小走りで駅舎に駆け込んだ。多少は濡れたが、満員電車で濡れた傘を持っての取り回しを考えるとよほど楽だ。帰る頃にはすっかり止んでいると言うし、いざという時には病院には置き傘もある。それほど心配することもあるまい。
 昼はいい天気だったが、南風は夜には冷たい北風に変わっていた。

 コロナ禍で他人との”親密な”接触がほぼ不可能となって、これからの人類は、少なくとも新型コロナウイルスをコントロールできるようになるまでの間(そんな日はおそらく来ないだろうが)、行動の変容が求められる。今朝髭を剃りながら、誰かとすれ違ってもその人の人相というものがほぼわからなくなるのだなあと、ふと思った。目だけ見てもマスク越しではその人が自分にとって親しみが持てる容姿なのかどうかはさすがにわからない。そしてそんなことを考えたら、これからどうやって人とのつながりを作っていったらいいのだろうかと不安になった。自分の思いとか、考えとかをどこでどうやって表出していったらいいのだろう。

 私は、自分がこうありたい、こうなりたい、こんな気持ちでいたい、と思いながらこのブログ(”こんきも”)を日々書いている。ここには、私の心の片隅にある、善的なもの、のみならず私の心に巣食う暗黒面に対するアンチテーゼのようなものが渦巻いている。それは私の中の99%の反省と1%の肯定だ。

 ブログを書く目的は、人それぞれ、政治の話を思いを込めて書いておられる方、医療のことを客観的に書いておられる方などがいる一方で、風景写真、お花の写真を載せている方もいる。

 私はそのたくさんのエントリーの中から気に入ったものを読み、だんだんとそのブロ主さんの人となりを想像していく。読み始めた頃は興味深かったもののその後その勢いの無くなってしまった方もおられるし、その逆もある。これは、生身の人間関係と同じようなものだ。この先、実際にお会いしてお話ししたいと思うようになる人がいるかどうかはまだわからないが、興味のある方はたくさんいる。

 昨日のエントリー(『だから?で?なんなの?』)で最後に、

 ”SNSとかブログとかでその人の人格とか性格を推し量り、付き合いたいと思う人を選んでいく”

 そんな時代がくるのではないかと思った。すくなくとも、エントリーを書いた人の心にはそんな一面があることは本当だから。それがぶれずにあったら、そこにはその人の本質的なものの一部があるのではないかと思えるのだ。

 自分自身でこのブログを通覧してみると、わずか十数年の間には私の身の上には数え切れないほど多くのことが起こったが、ブログの世界は案外静謐が保たれている。不思議なものだ。

 新しい形での人間関係の構築方法を考えなくてはいけない時代はすでに到来している。
人間関係も変容していく

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世界の十大小説と世界恋愛文学全集・・・2021年1月の読書記録

2021年02月02日 | 読書、映画、音楽、美術
サマセットモームは世界の十大小説、というエッセイを書いているそうで、それは、フィールディング/トム・ジョーンズ、オースティン/高慢と偏見(自負と偏見)、スタンダール/赤と黒、バルザック/ゴリオ爺さん、ディケンズ/デイヴィッド・カパーフィールド、フロベール/ボヴァリー夫人、メルヴィル/白鯨、ブロンテ/嵐が丘、ドストエフスキー/カラマーゾフの兄弟、トルストイ/戦争と平和 だそうだ。
どれもタイトルは聞いたことはあるが、これまで読んだことがあったのは恥ずかしながらカラマーゾフの兄弟だけ。ディケンズはクリスマスキャロルしか読んだことはない。その一つの嵐が丘、まだ上巻を読み終えただけだが、どうも読むスピードが遅い。時代背景が古いうえに外国の話ということでなかなか進まないのだろう。先月読んだ雪国も結構時間がかかった。まあ、教養のためと思って、下巻も今月いっぱいで読破しよう。辛酸なめ子の本は買ってまで読むほどではなかった。まあ、誰かに貸してもらうというようなものでもないが。


読んだ本の数:2
読んだページ数:580
ナイス数:46

上下巻あるうちのまだ半分、この陰鬱な物語がまだ同じぐらいあるのかと思うが名作といわれる古典、なんとか頑張って読破しよう。
読了日:01月30日 著者:エミリー・ブロンテ

以前からペンネームが気になっていた辛酸なめこ、初読。途中からはネタ切れだったようで、後書きにあるように新しく読んでは書きというマッチポンプになってたみたいで無理も見える。武蔵美卒と書いているのでググってみたら高校はJG。なるほどいかにもJGだと思ったが、学生時代、私にJGにガールフレンドはおらずこれは単なる男子高生の妄想。竹取物語から太宰治まで読んで思ったのは男は単純で女性に好かれるためにありとあらゆる努力をする生き物であるが、女性とは女性にもよくわからない恋愛感情を持っている生き物らしいということ。
読了日:01月07日 著者:辛酸なめ子

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だから?で?なんなの?

2021年02月01日 | 人間関係
 どんよりした空、車窓に付く水滴を見て、遠くに雨雲のあることを知る。今日は東京・神奈川の私立中学入学試験解禁日だな、と条件反射のように思い出した。受験のことなど忘れてしまいたいのに、どうやら死ぬまでできそうにない。こんなに暗い思い出を人生に刷り込むようなシステムはやめてしまった方がいいと思うのだが、それは無理なのだろうか。この、コロナ禍を契機に変わっていくことはできないだろうか。

 なんでも変わることができる、と言うのは簡単だが、実際に変わるということは難しい。世の中には色々な立場の人がいるから、変わろうと思えば変われるのに変わらない人がいる一方で、変わりたくても変わることのできない人、あまり変わる必要のない人、変わらなくていい人、などだ。私のようにあまり変わる必要のない人が変わりたくても変わることのできない人のことをあれこれ言う資格はない。あれこれ言うのは簡単だけど、いざ、じゃあどうしたらいいの?と聞かれたら答えは容易に用意できない。

 昔、不用意に自分のことをひけらかしたことがあった。今思えば”自慢話”というやつで、客観的には良いことだから相手も同意してくれるだろうと期待していたら、全く違った。

「だから?」

と、冷たい反応があって、

『で?なんなの?』

と、今まで続く無言の時が訪れた。
大人になったあとでのことだったので、その反応に驚いたし、こうしていまだに忘れることができないでいる。

 根本的に、私にあるそんな他者への冷淡さ、意地の悪さがそういった言動を引き起こすのだと思うし、このブログでもそういった底意地の悪さはしばしば現れ、反省することは少なくない。じゃあ、どうしたらいいかというと、難しい。ある時、ある友人が、素晴らしい仕事を成し遂げたということをフェイスブックで報告していた。自慢に聞こえたわけではなかったが、

「いつもすごいね!」

とコメントしたら、

「ここには良いことしか書きませんから」

という返事が来た。確かにそうだ。発信する情報の種類は人それぞれで、幸せ自慢、不幸せの報告、いろいろある。インスタなんかは、幸せの共有、を目指しているようで、良いねを押してもらえばそれで互いに幸せになるという仕組みだ。いちいち、『で?なんなの?』なんてコメントを入れたところで、生産的なことはない。この先、人と人との関わりが減って、会話そのものも激減していくと、人間関係はより希薄にな方向へと変容し個々人の発信に対する反応も変わってくるに違いない。だとすると、なんらかの形ーーーSNSとかブログとかーーーでその人の人格とか性格を推し量り、付き合いたいと思う人を選んでいくしかなくなるような気がする。放っておいても、世の中はどんどん変わっていっている。
人間の本質とは

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